日本には大小合わせて420万の会社があるが、そのうちの8割が同族経営、上場企業でも4割だ。これは同族経営にメリットがある証とも言える。しかしその一方で、世襲に失敗するケースも後を絶たない。果たして成功と失敗の分水嶺はどこにあるのか。文=流通科学大学特任教授/長田貴仁(『経済界』2021年9月号より加筆・転載)
同族経営企業を取り巻く環境
同族経営は非民主的か?
6月25日の株主総会で永山治取締役会議長(中外製薬名誉会長)の再任が否決される事態に発展した東芝の迷走を目の当たりにして、コーポレート・ガバナンス(企業統治)を巡る議論が活発化してきている。
このところ、東芝をはじめ、専門経営者(サラリーマン経営者)が司る企業での失態が少なくないためか、揶揄されることが多かったファミリービジネス(同族企業)と世襲経営に対する見方が近年大きく変わりつつある。
今も、「世襲」という言葉が持つイメージは、一般的には良いとは言えない。「民主化」が是で、世襲は「非民主的」であるとの認識は大企業では、かなり前から一般化していた。
ホンダ(本田技研工業)創業者の本田宗一郎氏は、社長を退いてから10年後の1983年に開いた創立35周年記念式典で、二代目社長の河島喜好氏とその後任となる久米是志氏を携え、社員に向かって次のようなスピーチをした。
「今度、新社長を迎えたけど、旧社長の河島もええかげんであったが、私もええかげんでした。ええかげんなのがうちの社長になることになってんだから。社員がしっかりしてもらわないと、危なくてしようがない。お願い致します」
こう言い深々と頭を下げる姿に、鈴鹿サーキットを埋め尽くした社員たちは、「いいぞー」と喝采を送った。
本田氏の真意は何だったのだろうか。それは、「世襲なんかしたら、若い人がやる気をなくしてしまいますよ」という「民主的発言」に象徴されている。
このような風潮の中にあって、「非民主的」と思われがちなファミリービジネスでスキャンダルでも起ころうものなら、テレビのニュースどころか絶好のワイドショーネタとなり、「時代遅れの世襲経営をしているので……」というタッチで描かれる。
大王製紙の創業家3代目の井川意高元会長が7つの子会社から105億円の不適切な融資を受け、カジノにつぎ込んでいたということが後に明らかとなり、2011年11月に逮捕された特別背任事件や、これと同列に並べるわけにはいかないが、15年3月、株主総会では、父であり会長(当時)の大塚勝久氏と、娘の久美子社長(同)が経営権を巡って激しく争った大塚家具のお家騒動は、お茶の間の興味を誘う話題にまで発展した。
日本は「同族企業大国」
思い起こせば、08年に勃発した「リーマンショック」と呼ばれる世界的な金融経済危機の後、堅実なファミリービジネスが注目されるようになってきた。日本企業のうち約80%、上場企業の約40%はファミリービジネスである
「同族企業大国」である日本には、200年以上続く老舗が3千社以上も存在する。その中でも、578年に創業された寺社仏閣建築の金剛組は、1905年まで金剛一族が経営してきた。55年11月に髙松建設(現髙松コンストラクショングループ)の子会社へ移行するまで、世界最古の企業、ファミリービジネスとして存続してきた。
ファミリービジネスの経営は、そうでない企業と比べて比較的順調である。その理由として、オーナー経営者は長期的視点に基づき、経営資源を有効活用している点が指摘されている。ファミリービジネス、特に日本の老舗の存在が注目されているのは、多くの伝統的叡智が潜んでいることに気づき始めたからである。
何が同族経営の成功と失敗を分けるのか
同族とサラリーマン社長のハイブリッド経営で地盤を作ったトヨタ
日本のファミリービジネスが見直されている上で、その「実証データ」となっているのが業績好調のトヨタ自動車の存在である。
「トヨタイムズ」というオウンド・メディアともいえるCMで、主役を演じている豊田章男社長は、ファミリービジネスの応援団長のように映る。この姿を見て、世のファミリービジネスの社長は心を強くしていると思われる。
ファミリービジネスの強さを確信している星野リゾートの星野佳路社長は、「大学にファミリービジネス学部をつくるべきだ」と後継者教育を提唱しているほどだ。
トヨタ自動車はリーマンショックを受けた2009年3月期、71年ぶりに赤字転落。翌年には世界規模でのリコールが発生し、豊田社長は米議会の公聴会にまで呼ばれた。さらにその翌年には東日本大震災が起こり全工場操業停止に。これらの苦難を乗り越え、コロナ禍の中でも好業績を達成した豊田章男社長の活躍は高く評価できる。
一方、一部メディアでは創業家と反章男派の確執が指摘されていたが、稼ぎ頭のハイブリッドカー「プリウス」を軌道に乗せた奥田碩元社長を含む3人の歴代サラリーマン社長が成長への地盤を固めた「ハイブリッド経営」が功を奏したとも考えられる。
これまで創業家以外の人が社長になることがなかったサントリーは、赤字を垂れ流し続けてきたビール事業から簡単に撤退することなく我慢強く継続することで、黒字転換を果たした。四半期決算の洗礼を受けている上場企業のサラリーマン社長では同じような意思決定はできなかったであろう。
純血主義の「非上場企業の盟主」においても、現在はローソンを改革した新浪剛史氏がスカウトされ社長を務めている。とはいえ、創業家出身の佐治信忠会長が相変わらず睨みを利かせ影響力を持ち続けていることに変わりはない。
トヨタ、サントリーとも大政奉還を睨んでいると見られているが、大企業のファミリービジネスでは、新しい世襲経営の形として中継ぎ投手でつなぐスタイルが定着しつつある。
ところで、「世襲」と一口に言っても、日本と中国、韓国と大きな違いがある。それは、家のつながりと血のつながりの差である。
具体的に説明すると、中国、韓国で後継者を考える場合、経営者と血族であることが絶対条件となる。その血が濃ければ、濃いほどいい。すなわち、実子であることがベストなのだ。それに対して、日本は血がつながっていなくても家族であれば、後継者の有力候補になり得る。
スズキのカリスマは息子ではなく「女婿」
その代表例が、日本を代表する軽自動車大手のスズキだ。スズキといえば、91歳まで40年以上経営トップとして同社をけん引し、6月25日の総会後に会長職を退任し相談役となったカリスマ経営者・鈴木修氏を抜きにして語れない。この舞台裏には「娘婿物語」があった。
1920年に創業されたスズキでは、2代目以降、鈴木修氏に至るまで、歴代、娘婿がトップを務めてきた。修氏は「娘婿がこの会社をだめにした、と後ろ指を指されたくないという一心で、これまで頑張ってきた」といい続けていた。
その言葉通り、国内では軽自動車でダイハツと首位争いを繰り広げており、急成長中のインド四輪自動車市場でトップシェアを占める。欧州でもハンガリーに工場を建設し躍進を遂げ、世界的な小型車メーカーへ脱皮させた。優秀な娘婿が成功に導いた実績が同社の歴史と言っても過言ではない。
それだけに、次期社長も娘婿の小野浩孝・元取締役専務役員が就任するものと目されていたが、2007年12月12日、膵臓ガンのため52歳の若さで急逝した。その結果、長男の鈴木俊宏氏が社長に就任するという想定外の承継となった。
スズキのようにアクシデントが生じた場合、選択肢が少ない世襲企業では致命傷になりかねない。アクシデントが起こってから、どたばたするというのでは遅過ぎる。親族だけでなく、社内に留まらず社外にも目を配り、選択肢を広げておくことが後継者問題のリスクマネジメントになることだろう。少子高齢が急激に進行している日本の現状を鑑みれば、なおさらそう言えるのではないか。
同族による事業承継に一度失敗したライフ
この点については、スーパー「ライフ」が参考になる。同社の創業者で、現取締役名誉会長の清水信次氏も後継者問題で苦労した一人である。戦後、焼け跡の闇市から立ち上がり、1956年、清水商店を母体に清水實業(現ライフコーポレーション)を創業、「ライフ」を全国展開し食品スーパー日本一に育て上げた。
清水氏はファミリービジネスを実の弟に任せたところうまくいかず、娘婿も候補として考えてみたものの適切ではないと判断した。結果的に、他人に承継することにした。
82年2月、ライフコーポレーションが大阪証券取引所(大証)2部に上場したのを機に清水氏は、後継社長として実弟・三夫氏を任命し代表取締役会長になった。三夫氏は、同志社大学を卒業後、清水商店に支配人として入社した。信次氏の片腕として経営を支え続けた。周囲にとっても納得性の高いトップ人事だった。
このとき、店舗数は50にまで増え、83年に東京証券取引所(東証)2部に、翌84年には東証・大証1部に上場した。就任して最初の1年ぐらいまで、三夫氏は信次氏に経営状況を報告し、重要な意思決定についても相談し許可を得ていた。
ところがだ。業容が急拡大する中で、三夫氏はすっかり違う人になってしまったのだ。全く信次氏に業務報告することもなくなり、本業の店舗経営よりも財テクにうつつを抜かすようになった。信次氏は三夫氏に浮利を追うような株式投資は止めて、それを店舗の建て直しに回すよう促した。だが、三夫氏は聞く耳を持たなかった。
しかし、結果は歴史が物語っている通りである。「こんなバカ騒ぎが長く続くわけがない」とバブルの崩壊を予見していた信次氏は、三夫氏の更迭を決断した。88年3月15日、6年ぶりに会長として出席した役員会の冒頭で、信次氏は社長を解任。自ら会長を兼務し社長に返り咲く特別決議を動議したのだった。
この苦渋の決断を振り返り、清水氏は正直な感想を吐露した。
「弟にはかわいそうなことをしたなと思いました。社長にしなければあんなことにはならなかったのにと思っているぐらいです。ただ、本人の素質もあるからね。100%私が悪いともいえない」
社長に復帰してから清水氏は、8年間で132店舗を出店し、一躍下位から食品スーパー首位に躍り出た。
ライフと同様、創業者の存在が重過ぎたがゆえにトップの後継人事で苦労したのがダイエーの創業者である中内功氏だろう。清水氏は同じ戦中派で苦労した同世代として、また、スーパーの先輩として中内氏を大変尊敬し、その経営手腕を高く評価していたが、後継者問題については意見を異にしていた。
そんな清水氏が目をつけたのがイギリス・リバプールで出会った三菱商事にいた若手社員・岩崎高治氏であった。
岩崎氏は将来を嘱望された期待の星だっただけに三菱商事も手放したがらなかった。交渉してから2年後、32歳になった岩崎氏をライフに迎えた。それから7年間、岩崎氏は食品スーパーの仕事を勉強し、経営者への道を歩んだ。そして、2006年3月、岩崎氏を代表取締役社長兼COO(最高執行責任者)とし、自身は代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)となった。
三菱の持分法適用会社になった現状を見て、三菱商事に乗っ取られたと勘違いしている向きもあるかもしれないが、むしろ、小が大の力を活用しベストプラクティスを可能にしようとしたのだ。例えば、三菱UFJ銀行から融資してもらうときも、三菱グループ各社と同じ低い金利を適用されるようになった。
世襲だからこそ背負うべき重荷
ファミリービジネスの経営が国内だけでなく海外でも注目されるようになってきた今、古臭そうな響きを持つ「世襲」という日本語に惑わされず、わが社のためになると思えば、正々堂々と世襲を実施すればいいのではないのだろうか。
その場合、「沈黙は金なり」は許されない。「御曹司は楽でいいですよね」と思っている若い従業員もうならせるほど、妥当性と納得性に富んだ説明が任命責任者に求められる。いや、当事者に覚悟がいる。その覚悟は、生やさしいものではない。いまどきの「民主化世代」、「SNS世代」は、極めて冷ややかな目で見ていることをお忘れなく。
そこで、これからの世襲トップは、現場で起こる経営現象を広く深く見ることができる洞察力と、意思決定に不可欠な精緻な論理的分析力、俊敏な行動力に加え、卓越したラポートトーク(感情に訴える話法)を備えなくてはならない。
そのうえで、従業員だけでなく、顧客、社会からも尊敬される経営者になるには、どうしたらいいのか、と日々謙虚に自問自答すべきだ。さらに、社内外から得た知恵をうまくアレンジし、差別化された競争力に富むビジネスモデルを構築、実践することが求められる。
これらの条件を満たせば、サラリーマンから「俺たちとは違うな。到底かなわない。でも、いい人だな」と一目置かれながらも愛すべき御曹司になれるだろう。