経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「出版冬の時代」だからこそ「知の流通」を追い続ける―松尾英介(丸善CHIホールディングス社長)

丸善やジュンク堂書店などの大型書店を傘下に抱える丸善CHIホールディングス。出版流通を巡る環境は厳しく、市場規模は25年間に1兆円減り、今後も明るい展望は描けない。このような状況で経営者は何を掲げ会社を率いていくべきなのか。松尾英介社長に聞いた。(『経済界』2022年3月号より加筆・転載)

松尾英介・丸善CHIホールディングス社長プロフィール

松尾英介・丸善CHIホールディングス社長
(まつお・えいすけ)1953年生まれ。76年慶應義塾大学経済学部を卒業し大日本印刷入社。事業企画推進室長を経て2008年丸善常務、10年CHIグループ(丸善CHIホールディングス)取締役、13年専務を経て19年社長に就任した。

「出版冬の時代」に書店経営に乗り出した理由

―― 老舗書店の丸善は、今では大日本印刷(DNP)グループの一員です。松尾さんもDNP出身です。

松尾 丸善がDNPの子会社になったのが2008年。丸善、図書館流通センター(TRC)が経営統合し10年にCHIグループが誕生、11年に丸善CHIホールディングスに称号変更し、新たに加わったジュンク堂書店、丸善雄松堂などを含め事業再編を行い、現在の形になりました。

―― 松尾さんはDNP時代、事業企画推進室長を務めていたそうですが、どういう経緯で丸善CHIに来たのですか。

松尾 事業企画推進室とは、経営企画、経営管理を行う部署です。そこで私はM&Aを担当していました。丸善がDNPグループに入る時も、私が責任者となっていて、そのまま丸善の取締役となり、19年に丸善CHI社長に就任しました。

―― 出版業界は長らく冬の時代が続いています。書店の数も激減しています。DNPはなぜ書店経営に乗り出したのでしょう。

松尾 出版流通市場のピークは1996年の2兆6千億円です。それが現在は1兆2千億円にまで落ちています。その一方で電子書籍が増えてきて、この市場が3900億円ありますが、合計しても1兆6千億円でピークから1兆円も減っています。書店数は99年には2万2千軒ありましたが、2020年には1万1千軒に半減しています。

 もちろん、出版流通を巡る環境が厳しいことは、以前から分かっていたことです。でもこれまでDNPは出版社や書店さんにお世話になることで成長してきました。ですから、なんとかして出版流通に貢献したい、そういう思いからグループに迎え入れました。

丸善日本橋店
丸善日本橋店

グループ経営理念は「知は社会の礎である」

―― とはいえ環境が好転する見込みはありません。

松尾 コロナ禍の巣籠もり需要により、本を買う人が増えました。ただしわれわれの書店はオフィス街や繁華街に多くあるため、リモートワークの影響を大きく受けています。その代わりに住宅街の書店は調子がいい。コロナにより人々の行動様式が変わったため、今後は出店の仕方や規模を見直す必要があると思います。それでも長期的に見れば、今後も書店流通は減り、ECや電子書籍が増えるものの、トータルでは減っていくことを想定せざるを得ません。

 ではどうやって出版流通に貢献していくか。

 丸善CHIグループの経営理念は「知は社会の礎である」です。そしてグループビジョンは「知の生成と流通に革新をもたらす企業集団となる」というものです。社名の「CHI」も「知」に由来しています。つまりわれわれは知を通じて社会に貢献していきたいですし、それによりグループの未来を切り拓いていこうと考えています。

 人生100年時代を迎え、学校だけが学びの場ではなくなっています。人間はいくつになっても知的好奇心を持ち続けています。生涯にわたり学びと就労のサイクルを繰り返すリカレント教育の重要性も増しています。そのような知的コンテンツを必要としている人たちへの流通をわれわれは担っていく。今は書店の果たす役割が非常に大きいですが、これからはECや電子書籍、図書館や大学などの教育・研究機関など、さまざまな場を通じて、コンテンツを届けています。

自治体と連携して実現した図書館と書店の複合施設

―― 具体的にはどのような取り組みを行っているのですか。

松尾 電子書籍なら、DNPグループ内にトゥ・ディファクトという会社があります。これは多様化する読書スタイルに応え、リアル書店、オンライン書店、電子書店のチャネルを連携させたハイブリッド型総合書店「honto」を運営しています。リアル書店を最大限に活用しながら、「読みたい本を、読みたい時に、読みたい形で」提供しています。

 また丸善雄松堂では、学術研究機関のために専門書や教養書、学術雑誌を取りそろえた電子書籍提供サービスを行っており、300社以上の出版社が参加しコンテンツも10万タイトルを超えました。

 一方TRCでは、クラウド型電子図書館サービスを提供しています。図書館を利用したくても、近くにない、あるいはお年寄りや、子育てや介護に忙しくて来館できない人も数多くいらっしゃいます。こういう人たちに、もっと身近に図書館を利用してもらうサービスです。既に全国で200を超える自治体が導入しています。

―― コロナで図書館を利用したくない人も増えているそうですが、これなら安心ですね。

松尾 ええ、コロナ以降急速に導入するところが増えています。

 コロナがきっかけになって実現したものに、大学向けにオンライン授業を一元管理できる仕組み「オンラインアカデミー」の提供があります。コロナによって大学では対面授業ができなくなりましたが、それは社会人向け講座も同様です。でもオンライン授業にはさまざまな問題点があり、円滑に運営するには教職員の負担が大きくなってしまいます。そこでDNP、丸善雄松堂、セカンドアカデミー、日本ユニシスの4社が共同で、大学の複数のオンラインの管理から配信までを一元的に管理でき、必要な情報を発信できるサービスを開発し、提供しています。

―― 知的コンテンツを届けるためのさまざまな取り組みを行っていることは分かりましたが、ますます書店の存在感がなくなりそうです。

松尾 リアル書店での体験は非常に重要です。でも今までと同じでいいとは思っていませんし、新しい試みも始めています。

 そのひとつが埼玉県桶川市の駅前の商業ビルです。ここにはもともと図書館がありましたが、リニューアルに合わせ、丸善桶川店を隣接して出店し、一体感ある運営を行っています。週末には地域の子どもや大学生と連携しながら共有スペースでイベントを行っています。

―― 図書館があったら本を買わないのではないですか。

松尾 ところが逆で、相互補完になるのか、売り上げは好調です。大学生は図書館や隣のカフェで勉強し、ついでに本を買っていく。リニューアルから6年がたちましたが、今でも売り上げは伸びています。

 福井県敦賀市ではJR敦賀駅前に間もなく誕生する知育啓発施設の設計・運営事業者には丸善雄松堂が入っています。敦賀駅は24年に北陸新幹線が延伸しますが、ここに1万~3万冊の書籍を用意し、来館者が自由に閲覧・購入できる施設が誕生します。

 当社は重点施策として、地域創生への貢献を掲げています。われわれの強みはやっぱり本です。しかも社員はみな本が大好きです。ですから本を通じて住民のための場所作りができるのであれば、ぜひとも協力をしていきたい。

 この他、大学と連携して、従来にない知的好奇心を刺激する全く新しい図書館を企画したり、ゼンリンのミュージアムのお手伝いもしてります。このように、いろいろな自治体や、教育機関、企業と連携しながら知的コンテンツを提供していきたいと考えています。

目指す世界は「出版流通への貢献」

―― 松尾さんの夢は何ですか。

松尾 厳しい経営環境は今後も続きます。だからこそ、出版流通への貢献という原点が、目指すべき世界です。経営者としてさまざまな意思決定をしていかなくてはなりません。今あるものを伸ばしていく必要がありますし、それだけではなく、新しい分野にもチャレンジしていく。今の時点で未来が明確に見えているわけではありません。そういう時こそ、最初に申し上げた経営理念やビジョンに戻る。そしてわれわれのパーパスは何かを自問自答し続け、実現できるようなグループにしたいというのが私の思いであり、それを見据えて日々経営しています。

―― 松尾さん自身は、夢を実現するためにどのような方法を取りますか。

松尾 プライベートでも仕事でもまずは形から入ります。例えば私は数年前から習い始めたテニスが好きですが、恰好から入る。普通はテニスを始めて好きになってから道具やウェアにこだわるのかもしれませんが、私は始めようかと思った段階で、まず道具を調べて用意する。時には無駄になることもありますが、始める前にある程度の準備ができている。

 仕事も同じです。何かやりたい、やる必要があると思ったら、まずデータを徹底的に収集する。始める前にできるだけの準備をし、それから取り掛かる。それが私のやり方です。