SANKO MARKETING FOODS(以下SANKO)はコロナ前から業績が悪化、営業赤字は4年連続、最終赤字は5年連続を記録している。19年6月期で107億円あった売上高は21年6月期で71%減の21億円に激減した。しかしここにきてようやく黒字が見えてきた。長澤成博社長の反転攻勢が始まった。聞き手=外食ジャーナリスト/中村芳平 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2022年6月号より)
新宿に40店あった居酒屋が今はゼロに
―― 三光マーケティングフーズ(21年10月「SANKO MARKETING FOODS」に変更)は創業者の平林実氏が1975年に神田のガード下で食堂「三光亭」を開業したのが始まりです。98年、東京・新宿で業界初の個室居酒屋「鶏屋東方見聞録」を開業したのがヒット、2003年にはJASDQ上場、04年東証二部に上場しました。08年9月のリーマン・ショックを機に、09年夏「全品270円均一居酒屋」を急速に展開、11年6月には「東京チカラめし」1号店を開店、再び急速展開しました。しかし店長の育成が追い付かず破綻、数店舗を残して売却せざるを得ませんでした。この後2代目社長の平林隆広さん(現会長)が第2の創業を掲げ、大衆酒場「アカマル屋」「焼肉万里」を投入、再建に取り組みました。長澤さんが18年9月に社長を引き継がれました。何が一番の失敗だったと思いますか。
長澤 創業者の平林は首都圏駅前一流立地の飲食ビルの空中階、地下に出店しました。賃料は高くても集客に困ることは少なかったからです。特に東京・新宿の大繁華街には「金の蔵」「東方見聞録」「月の雫」など大箱の居酒屋を40店舗、合計1万席以上も集中的に展開。法人・団体などの宴会需要の獲得、また、インバウンド(訪日外国人客)の獲得にも熱心でした。客単価3千円前後。しかし、経営体力のある大手居酒屋チェーンとの価格・サービス競争は激化、100~300席の大箱を満席にするのも難しくなりました。閉店と業態転換による再編が急がれたのですが、そんな矢先の20年2月、コロナ禍に襲われたのです。
20年4月緊急事態宣言が発出され、その後小池東京都知事が新宿・歌舞伎町での感染拡大に警鐘を鳴らしました。これで新宿の居酒屋は壊滅的な打撃を受けました。当社では当時賃料だけで、毎月トータル5億円が減っていきました。そこで新宿を中心に展開していた直営40店舗の閉店に踏み切りました。今回のコロナ禍で創業者のつくったビジネスモデルそのものが破壊されたと思っています。
様変わりした社員の意識
―― 新宿に集中出店したことで同じブランド同士、カニバリ(共食い)を起こしたこともブランドが飽きられる原因ではなかったでしょうか。
長澤 当社も主力業態であった「金の蔵」や「東方見聞録」は、いろいろな人のご意見を伺い大箱を2~3分割して新業態を2つ3つ入れるなど、手を尽くしたのですが「大箱過ぎて業態転換が難しい」と言われました。それなら駅前一等立地の高家賃の「東方見聞録」や「月の雫」などのブランドはやめて、これまでの出店戦略とは真逆の低家賃・郊外型の中・小型店舗の大衆酒場「アカマル屋」(15~30坪)や「焼肉万里」(25~35坪)で戦っていこうと考えています。とにかく「生き残るためには何でもやろう」という心構えで取り組んでいます。
例えば20年4月に官公庁の飲食施設の運営受託に成功、それを機に民間の温浴施設などの飲食施設の運営受託事業を拡大してきました。これはほとんど投資がかからない上に収益が堅調で雇用を守るのに適していると思います。また、弁当など中食事業や自社運営サイト「ひとま」(旧名称:通販SHOP金の蔵)を立ち上げ、EC通販事業に力を入れています。21年4月には香港の飲食企業と「東京チカラめし」の出店に関するライセンス契約を結びました。これだと直営と異なりおカネはかかりません。ライセンス料が入ってくるのですから一石二鳥だと思います。
コロナ禍で一番変わったのは160人の社員の意識です。長くトップダウンに慣れてきたのですが、「自分たちで給料を稼ぎ出さねばならない」と意識が〝攻め〟に変わりました。例えば10年入社の社員8人(深夜の店舗勤務の経験もある)が中心となって除菌・清掃事業を始めました。業務用エアコンのクリーニングとか、排水のグリストラップの清掃とか、深夜25時からの注文でもキチンと受注してやっていたら、接客態度が良いと評価されて得意先が広がり今ではメンバーが足りないほど忙しくなっています。これこそ人材は財産だと思います。現在のSANKOの社員には「現状をなんとか突破しなければならない」という共通の想いがあります。それがSANKOの強さにつながっていると思います。
沼津で漁業組合に加入した狙い
―― SANKOは20年9月に沼津漁業協同組合で最古参の沼津我入道漁業協同組合と業務提携し水産事業を立ち上げました。創業家から7億円調達、6次産業化で復活したいと挑戦しています。その最大の成果が21年8月に民事再生手続き中のマグロ・魚介類、海産物小売・卸売業など行う「海商」(本社浜松市、従業員35人、売上高約30億円、最終赤字6千万円)を買収したことです。海商はスーパー、飲食店などに得意先を持つとともに、マグロの目利きであり、加工技術を持った職人を抱えています。SANKOは21年2月、バイキング寿司居酒屋「まるがまる」高田馬場店をオープン、本社機能もこのビルの一画に移し、次の展開に備えて職人を育成しています。始めるきっかけを教えてください。
長澤 当社は沼津漁業協同組合の最古参の沼津我入道漁業協同組合と業務提携し、20年12月に同組合員になりました。同組合の特別顧問の方とコロナ前から縁があり、食材の開拓などで相談していたら、「駿河湾で一本釣りした太刀魚をキロ400円ぐらいで買ってほしい」というのです。キロ100円とか50円で安売りされる時があり、それだと漁に出ても重油代、餌代、人件費も出ないので、漁師が一本釣りに行かないというのです。そこで20年7月に視察に行き、大衆酒場「アカマル屋」などの食材にしようとキロ400円で買うことにしました。沼津の魚を日本全国および海外に広めることが目標です。
私たちのような営利の飲食業と非営利の漁協が提携するのは全国的にも珍しく、水産庁は漁協の活性化につながるのではないかと期待しているそうです。同漁協とのプロジェクト第1弾が沼津漁協に新しい形の魚屋食堂「まるが水産」沼津港本店を開業したことです。第2弾として本格寿司・しゃぶしゃぶ食べ放題の「まるがまる 横須賀本店」を開店しました。そして21年2月、バイキング寿司居酒屋の「沼津漁港直送 まるがまる」高田馬場店をオープン、これによって「水産業の6次産業化で復活したい」と考えるようになったのです。
―― 海商の買収を引き金にマグロの調達力と加工品の開発力、加工工場の取得による自社加工ができるようになりました。加えて、漁船「辨天丸」を獲得、漁にも出られるのですね。店長経験クラスの人材を数名常駐させ、漁業を仕込んでもらっているようですね。
長澤 ええ。当初は一本釣り太刀魚の価格で困っている漁港の助けになればと思って始めたことですが、それがあれよあれよという間に漁業から店舗まで(沼津漁協からまるがまる高田馬場店までトラックで2時間半の行程)一貫した流通を自社でやることになりました。
話を少し戻しますが、当社が買収し子会社化した海商は最盛期年商60億円、沼津漁協で水産仲卸業トップの時期があったんですね。運送業、貿易業、海外事業、殖業などにも挑戦し100億円企業へ脱皮しようとして、無理をしたようですね。そこをコロナ禍に襲われ、飲食店などからの受注が激減し民事再生に追い込まれてしまいました。
最初、海商買収の話が持ち込まれたとき、当社もきついので無理だと断りましたがよほど縁があったのか、買収することになったのです。海商は歴史と伝統のある仲卸であり、「柿島養殖 富士山サーモン」などさまざまな食材業者と取り引きしています。当社が「産地(漁協)から直結(D2C)する6次産業化」を企画できたのは、海商のノウハウに負うところが大きいのです。これは22年6月期~24年6月期の「中期経営計画」にも書きましたが、新規事業として「水産DX事業」に挑戦します。魚市場の取引業務の自動化・ペーパーレス化、当社加工商品の流通、産地と消費者との情報共有、リアルタイムでのセリ体験、鮮魚特化型サブスクリプションモデルの展開などのプラットフォームを構築したいと考えています。
一方、沼津水産加工場を取得したことで「ふるさと納税返礼品の加工拠点」「鮮魚の瞬間凍結」「冷凍加工品のモジュール化による飲食・小売店舗への展開、ECサイトでの展開」などを事業化しようとしています。これは「1975年創業のSANKOと79年創業の海商」が「SANKO海商」として持てる能力を発揮すれば、必ず実現すると思っています。
2年以上続くコロナ禍は当社の経営資源の多くを失わせましたが、一方では飲食業の原点とは何かを気づかせてくれました。飲食業の原点に立ち返って、今年を反転攻勢の年にしたいと願っています。