(雑誌『経済界』2025年3月号より)
再建を軌道に乗せた「ごきぶりホイホイ」
── 2025年はアース製薬設立100周年の記念すべき年です。
川端 事業そのもののスタートはもう少し早くて、創業者の木村秀蔵が、1892年から外傷薬や医薬品原料の製造を行っていました。その後、1916年に日本初の炭酸マグネシウムの国産化に成功、「地球印」を付けて販売しています。25年に株式会社木村製薬所が誕生、これを起点に今年が100周年ということです。
29年には「アース」という家庭用虫ケア用品を発売。そして64年、東京オリンピックの年にアース製薬に社名を変更しています。
── 1970年には大塚製薬グループの資本を受け入れました。
川端 現在の大塚(達也)会長の父(大塚正富氏、前特別顧問)が社長に就任。それが第2の創業です。
73年に「ごきぶりホイホイ」を発売し大ヒット。その後、「アースジェット」や「アースノーマット」などの虫ケア用品を送り出し、今では国内虫ケア用品ではシェアトップに立っています。
── ごきぶりホイホイはそれまでにはない画期的な製品でした。
川端 特別顧問(正富氏)がセミの鳴き声を聞いて、昔、トリモチでセミを捕まえていたことを思い出したことがきっかけだったとも言われています。この製品は本当によく売れて、工場の前にお店のトラックが直接買い付けに来たそうです。
大塚グループ入りした時、アース製薬の経営は非常に厳しかった。特別顧問は、3年で再建するようにと言われて赴任したようですが、その3年目に出たのがごきぶりホイホイでした。これで黒字化を達成、再建が軌道に乗りました。
── ごきぶりホイホイに限らず、強烈な噴射力が特徴のアースジェットなど、アース製薬の製品はユニークなものが多いですね。
川端 特別顧問はもともと研究者です。その技術が、当時の製品には反映されています。これがアース製品の基礎をつくってきました。そして同時に、特別顧問も現在の大塚会長も、常識にとらわれない考え方を持っていました。
第2の創業の時点で、アース製薬は危機的状況にありました。しかも虫ケア用品には、はるかに先を行く競合メーカーがいた。そこから再生していくには、常識にとらわれることなく、必死にもがく。何が何でもやれることは全部やろう。そう考えるしかなかった。それがユニークな製品につながっています。
そしてもう一つが、徹底したお客さま目線です。技術がベースになるのは当然ですが、お客さまにとって何が大切なのかを考える。よく社員に言っているのは、「君たちはアース製薬の社員である前に、一生活者だ」ということです。自分にとって本当に必要なのかどうかを考える。
それを徹底するために、数年前にお客様相談室を社長直轄とし、さらには名称も「お客様のお気づきを活かす窓口部」に変えました。ここに寄せられたお客さまの声を、製品開発に反映しています。
── そうした施策が奏功して、アース製薬は1990年代に虫ケア用品市場でシェア1位となり、以来この座を維持し続けています。国内では盤石の体制を築くことに成功しましたね。
川端 今日の成功は明日の成功を保証するものではありません。だから常に消費者目線で変化していくことが必要です。今ではアース製薬の売上高は1583億円(23年12月期)と、それなりの大企業となりました。でも変化に対しての躊躇はまったくありません。これだけ変化の激しい時代、変わり続けなければ逆に遅れてしまいます。
コツコツ続けていたら100年たっていた
── 大塚会長が社長に就任したのが1998年で、2014年に42歳の川端さんにバトンを渡しました。大塚会長からは「20年は社長をやるつもりで」と言われたそうですが、既に10年が過ぎました。
川端 会長が20年と言われたのは、数年では大きな仕事に着手するためには時間が短すぎる。大仕事をやるためには時間が必要だという意味だと思います。実際、20年に対して折り返し点が過ぎましたが、まだ何もやっていない感じです。
就任直後に白元(現白元アース)を、17年にはジョンソントレーディング(現アース・ペット)を買収するなどM&Aを積極的にやってきました。会長が社長だった時代は国内の売り上げを伸ばすために懸命にやってこられたが、私は海外の売り上げを増やそうと取り組んでいます。でもすべてが道半ばです。そう考えると、確かに経営者にとってはある程度の時間軸が必要だと思います。
── 川端さんにとって、アース製薬100周年とはどのような意味を持っていますか。
川端 これは会長とも話すのですが、大事なことは日々の仕事をコツコツ真面目に続けることです。そしてある時、振り返ったら、100年たっていた。そんな感じですね。
数年前に製品について各ブランドの周年キャンペーンの話がでたことがあり調べていくうちに、2025年に会社設立100周年を迎えることが分かった。知らなければそのままでしたが、聞いてしまったらそうはいかない(笑)。50周年や60周年ではなく100周年ですからね。
100年の間には非常に苦しい時代もありました。それを支えてくださったお客さまや取引先、そして苦労を共にした社員、OBの方々がいたからこそ、今日のアース製薬があるわけです。それを感謝するいくつかのイベントを考えていますし、JR山手線・神田駅のネーミングライツを獲得したことも100周年事業の一環です。(第2回に続く)
今年、アース製薬は会社設立100周年を迎えた。現在同社は国内虫ケア用品(殺虫剤)市場で圧倒的シェアを誇るが、ここに至るまでにはさまざまな困難があった。それを乗り越え、いかにして今日を築いたのか、川端克宜社長に聞いた。
かわばた・かつのり──1971年兵庫県生まれ。94年に近畿大学商経学部(現・経営学部)を卒業しアース製薬入社。役員待遇営業本部大阪支店 支店長、取締役ガーデニング戦略本部 本部長などを経て、2014年3月代表取締役社長に就任した。
聞き手=関 慎夫 写真=横溝 敦
1973年発売の「ごきぶりホイホイ」、右は1929年発売の家庭用駆除剤「アース」