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経営者が北極星を設定すれば自律分散の文化は浸透する 松山一雄 アサヒビール

松山一雄 アサヒビール

マーケティング力を武器に、2018年にアサヒビールへ入社した松山一雄社長。「ワクワクするビール会社」への指針を示し、イノベーションを生む組織づくりを牽引してきた秘訣を探る。また、スナック菓子業界で経験を積み、昨年アサヒに入社したマーケター・野間和香奈氏にも話を聞いた。聞き手=小林千華 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2025年6月号より)

松山一雄 アサヒビールのプロフィール

松山一雄 アサヒビール
松山一雄 アサヒビール社長
まつやま・かずお 1960年生まれ。83年青山学院大学を卒業し鹿島建設入社。サトー(現・サトーHD)を経て、米ノースウェスタン大学ケロッグ校でMBA取得。93年からP&Gジャパンでマーケティングに従事。99年チバビジョン(現日本アルコン)を経て、2001年サトーHDに復職、11年から18年まで社長。同年アサヒビールに転じ、専務マーケティング本部長。24年3月、社長就任。

P&Gで経験した自律分散型マネジメント

―― 松山さんのマーケターとしてのキャリアは、P&Gジャパンから始まっています。

松山 鹿島建設、サトーで勤務し、アメリカにMBA留学。米P&Gでのインターンを経て日本支社に入社した時には33歳でした。P&Gは世界中どこでも、新卒からの内部昇格が基本。マーケティング職への中途入社は異例です。ただ当時の日本支社では、海外でMBAを取得したメンバーを試験的に採用していて、その中で私も採用されたんですね。

 しかしMBAを持っていても、どんな職歴でも、新卒と同じポジションからのスタート。私はそれまでにサトーで管理職を務めていたこともありましたが、それでも条件は同じです。でもむしろ、全くのゼロからマーケティングの世界に入りたいと考えていたので、抵抗はありませんでした。マーケティングの文化がトップから現場まで染みついている環境に身を置いてみたかったんです。

―― 想像していた通りの環境でしたか。

松山 そうですね。入社してすぐにアシスタントブランドマネジャーとしてプロジェクトを任され、自分の力でこなしていく。ミッションは明確に与えられているので、自分で仮説を立てて検証して。しかも1人でやるのではなく、みんなとコラボレーションすることが求められる。間に座学の研修もたくさん挟み込まれますが、基本はとにかく実践です。

―― 新入社員をそんな風に最初から大人扱いする会社は、日本にはなかなかないですね。

 私はこのシステムを、管理統制とは対極の「自律分散」型マネジメントと呼んでいます。しかし組織全体でそれをやるには、ビジョン、パーパスなどがしっかり統一されていなければ、本当に分散してしまいます。そうならないよう、組織の北極星となるものははっきり設定して、それに近付くためのベストプラクティスも社内で共有する仕組みをつくった上で、各々にブランドの成長をリードしてもらう。この文化はアサヒでも浸透させていきたいですね。

 また、私は留学前にサトーで、マレーシア工場の立ち上げから安定化までを任せられ、最後は現地で副工場長まで務めたんです。ただ大手企業の鹿島から来た身で、年齢もまだ20代。年上の部下に囲まれる環境で、常に謙虚でいないと信頼関係は築けないと思っていました。

 それがP&Gに入ったら、「君は周りを気にしすぎている。考えていることを言わなさすぎる」と。P&Gでは新入社員でもリーダーシップを求められます。ここで言うリーダーシップとはポジションで人を動かすものではなく、みんなを巻き込んでいく力です。これを徹底的に鍛えられました。

 まず自分を信じて、周囲にビジョンと戦略を示し、人の心を動かす。みんなのモチベーションが上がるよう鼓舞して、強力にチームをリードしていく。最初1年くらいは苦労しましたけど、ある時吹っ切れてP&G流リーダーシップが身に付いたと思います。

―― その後外資系企業を経て、古巣のサトーに戻ります。

松山 P&Gにいたのは6年です。それよりもサトーに戻ってからの方が、マーケティングを実践した時間は長かったですね。

 当時のサトーには、マーケティングという考え方がなかった。しかもB2Bなので、エンドユーザーと直接関わるわけではない。そこで「お客さまのお客さま」という形で、エンドユーザーの存在を意識してもらうようにしました。もうモノの良さだけで商品が売れる時代じゃない。エンドユーザーの困りごとを解決するために、われわれには何ができるのか。それがわれわれの直接のお客さまにとっても価値になるんだと。P&Gで向き合ってきた消費財とは全然違うビジネスですが、マーケティングの本質は同じですから。

日本企業も変われる。ワクワクのための取り組み

―― アサヒではそれまでの経験をどう生かしてきたのでしょう。

松山 アサヒのマーケティング本部に来て最初に抱いたのは、みんな楽しくなさそう、ワクワクしていないという印象。それまでの私にとってマーケティングの仕事というのは、ゾーンに入ると本当に楽しくて仕方なくなり、時間を忘れてしまうようなものだったんですが、そういう雰囲気は見受けられませんでした。

 でもよく観察してみて、能力ややる気がないのではなく、ただ埋もれてしまっているだけだと感じました。そこでマーケティング本部長になって最初のミーティングで、「もっとワクワクするビール会社にしよう」と呼びかけたんです。

 そこから今までにずいぶん変わってきたので、私は日本企業でもやってやれないことはないと思います。

―― 文化を変えるため、特に何に取り組んできましたか。

松山 私が自分の経営スタイルとして一番重視しているのは、一緒に働くメンバーの本音を直接聞くこと。

 アサヒに入ってからは「スモールミーティング」という形で、社員たちと10人くらいのグループで1時間半ずつ、完全オフレコの対話の機会を持つようにしています。ここでは社長の私に聞きたいことでも、悩みごとでも、アイデアでもいいので、必ず一人一人から声を聞く。挙がってきたアイデアや改善点は、発案者が誰か分からないようにしつつ、どんどん形にしていきます。

 先週(取材実施は3月初旬)大阪で3セッションやって、ちょうど累計ミーティング人数が5千人を超えました。やっぱり、会議では出てこない意見もたくさんある。むしろ、内容が全て議事録に残るようなかっちりした場では、本当の議論はできないと思うんです。

 それに私にとってもこれは、「私は皆さんの成長にしっかりコミットするし、会社として成長を支援できる方法があるなら言ってくれればやりますよ」という姿勢を、一方的でない形で伝えられる貴重な機会。それとは別に秘書にも頼んで、社長室で何でも自由に相談できる「フリーディスカッション」の時間も毎週2回ほど、必ず捻出するようにしています。こうした積み重ねが、組織的なバリアを破るには一番有効だったんじゃないかと思います。

―― バリアが破れ、成果につながったと感じた瞬間はありましたか。

松山 今もまだ変化途中ではありますが。大きかったのはやはり「生ジョッキ缶」の実現ですね。泡が制御できないんじゃないか、蓋のゴミはどうするかなど、課題が山ほど出てくる。それまでのアサヒだったら、ここでリスクを取って発売を決めるのは無理だったかもしれません。

 でもそこでイノベーションを起こす道を選び、実現した。これで社内文化が変わったと思います。生ジョッキ缶の技術を横展開してできた「未来のレモンサワー」もそうですし、ビール会社自ら「スマドリ(スマートドリンキング)」を提唱し始めたこともそう。イノベーションの点と点がつながって、ようやく面になりつつあるのを感じています。

まずは経営者自身がマーケの価値を信じろ

―― 経営者が自社内にマーケター思考を根付かせていくために必要なことはなんでしょうか。

松山 まずは経営者自身が、マーケティングの価値とか意義を120%信じていないといけないでしょうね。

 経営とは顧客の創造、イコールマーケティングです。ですから会社全体の活動が顧客志向になっていくことが、成長には不可欠です。さらにそのためには、顧客が喜んでお金を出してくれるような価値を生まなければならない。これを組織の川上から川下まで、全ての部門に浸透させる必要があると思います。

 もちろん短期的に結果が上下することもあるでしょうが、そこで経営者がマーケティングの意義を信じてこらえて、目的がブレないようにしていくのが、結局成長の近道じゃないでしょうか。経営者は抱えるものが多いので、受け継いだものの価値を少しでも落とさず次につなげるため、つい守りに入ってしまう。それでもどうにか新しい価値を生もうと、次につながる投資をどんどん仕掛けていく。こうした力を持つ人材の育成が、明るい日本経済にもつながっていくのだと思います。