2025年に創業140周年を迎えた大日本除虫菊。その名は「KINCHO」ブランドとして日本の家庭に深く根付いている。ユーモラスな広告と革新的な製品の裏にある、創業家社長のシンプルかつ本質を突く経営哲学とは。聞き手=佐藤元樹 Photo=上野貢希(雑誌『経済界』2025年10月号より)
上山直英 大日本除虫菊のプロフィール

うえやま・なおひで 1951年生まれ、大阪府出身。74年、慶應義塾大学を卒業、三和銀行に入行。84年、大日本除虫菊入社し、99年、社長に就任。2000年には日本家庭用殺虫剤工業会会長、04年には在大阪セルビア共和国名誉総領事に就任。
「私が使いたいか」“見えない品質”の原点
―― KINCHOは今年、140周年という大きな節目を迎えました。
上山 先人たちの努力があって、ここまできたという感じですよね。それと、企業に寿命はないですから、あくまで通過点やと思ってます。昔も今も変わらず守ってきたのは「品質一番」という姿勢。これだけです。
―― 「品質」とは具体的にどういったものでしょうか。商品作りで最も大事にされている視点があればお聞かせください。
上山 「私が使う気になるかどうか」。それが一番大事だと思うんです。こんな面倒くさいもんは使いたくないとか、これを使うのは不安だとか、そういうものは商品として良くないですね。
例えば、ゴキブリの絵や名前すら見たくないというお客様の声から生まれた「脱皮缶」という商品があります。フィルムを剥がすと製品名も絵も消えて、真っ白な缶になる。この話を海外ですると「こういうニーズはあまり感じない」と言われますが、これも日本人ならではの感覚を大事にした結果です。
―― 長年使われている蚊取り線香にも、そうしたこだわりが?
上山 他社の線香と匂いが違うと言われることがあるのですが、これは中に入っているものが違うからですわ。当社では今も除虫菊を絞った後の粉を使っています。これは昔ながらの匂いを維持するためです。
研究所の人間も「昔は安価な原料で喉が痛いとか、臭いとか言われた。改良を重ねて今の形になったものを、スペックを落として作るのはやりたくない」と譲りません。効き目や安全性はもちろんですが、使っていて不快ではないかとか、そういった数値化できない「感応」の部分を今でも大事にしています。
―― 最近では電源や電池を使わずに置くだけで蚊を退治できる「シンカトリ」のような、これまでにない発想の商品も話題です。開発の裏側をお聞かせいただけますか。
上山 あれはもう、最初は「なぜ効くか」という理屈をきちんと説明させようとしていたんです。空気の流れをコンピューターでシミュレーションした図なども結構作ったんですよ。しかし、発売前にバイヤーさんに見せたところ、上下にひっくり返してオン・オフを切り替えられるところが、「これ面白いな」という人が結構いらっしゃいました。
―― 理屈より、見た目の面白さに反応があったと。
上山 そうなんです。それを見て、コマーシャルも「なぜ効くのか」という理屈っぽい話ではなく、「これ面白いでしょう」というようなもっていき方が良いかな、と。一般消費者の方に空気の流れがどうのこうのと、長々しい説明をしても、それを信用してくださるかどうかの問題もありますからね。
―― たしかに、コマーシャルでも「本当に効くの?」と言っていますが、実際のところ、効き目に関するお客様の反応はいかがですか。
上山 効き方の説明をどこまでするか、そこが非常に難しいところですね。シンカトリは、空気の流れがある場所に置いていただかないと、効き目は若干弱くなってしまいます。部屋の真ん中には置きたくないからと部屋の隅っこに置いて、「効かない」と言われたこともあります。ドアの開け閉めがあったり、人が行き来したりするような、少しでも空気の流れがあるところに置いていただくのが一番なんです。お使いになる方の期待値とのズレをどう埋めていくかは、常に課題ですね。
「責任はこっちが持つから」ユーモア広告を支える覚悟

―― KINCHOのコマーシャルはシンカトリに限らず、とてもユニークです。経営の立場から、どのように支えてこられたのでしょうか。
上山 結局のところ、広告は感性の問題ですから。見て面白いか、面白くないか。その辺の感じは個人の感覚が大事です。綿密にデータを積み上げて出した広告ではないから、普通の人は責任を持ちにくい。ですから、広告宣伝費というかなりの金額がかかる仕事に対しては、やはりオーナーが責任を持つべきだというふうに思っています。
―― 上山さんも宣伝部長を経験していますが、現在はどのように関わっていらっしゃるのですか。
上山 今はもう完全に任せています。その代わり、何年かは見守りますが、全くヒットが出なかったら、その担当者には代わってもらう、という話になると思います。それが普通でしょう。一生懸命言い訳をしたところで、ウケへんかったら全部ペケですから。それはもう、その人の感性の問題。ですから、それなりの覚悟で全てを任せています。
何を伝えて欲しいかという大枠は言いますが、あとはよろしく、という形ですね。
―― 昨年、新たに広報室を設けられたそうですね。その背景と狙いは何だったのでしょうか。
上山 1番の目的は「虫に対する正確な知識を普及させたい」ということです。最近はもう、親世代が虫を触るのが嫌いで、全く馴染めないという人が大勢いますから。虫に対する正確な知識が、だんだん社会からなくなっている感じがしましてね。
―― 一般的な企業の広報室というと、自社のイメージアップや商品PRが主な目的かと思いますが、それとは違うのですね。
上山 ええ、ベクトルが違いますね。当社ではまず、虫の専門家として正しい情報を発信します。そのために広報室には研究所で10年以上勤めた女性を配置しています。SNSでの発信が中心ですが、例えば宣伝部に虫に関する問い合わせが来たときに、専門的な見地からきちんと答えてもらう、という役割もあります。単なるPRではなく、事業の根幹に関わる情報発信の拠点という位置付けです。
―― その専門家としての立場から、最近話題になった大阪・関西万博でのユスリカ大量発生について、どのように見ていますか。
上山 ユスリカは4月、5月にピークがあって、いったん収まっても、そのままにしておくとまた秋ごろに同じことが起こります。われわれはセルビアの領事館と関係がありまして、パビリオン内に虫が入ってきて困るからなんとかしてくれと言われ、現地を見に行ったり、虫よけを取り付けたりしました。
そのあと大阪府としての方針が発表されましたね。ただ、私どもの専門的知見から申し上げますと、あの広大な敷地全体を対策するのは非常に難易度の高い課題です。発生源となる環境そのものにアプローチしなければ、根本的な解決は難しいと考えています。われわれとしては、いつでも協力させていただく準備はできていますので、お声がけいただければ、専門家としての知見を提供したいと思っています。
―― その一方で、毎年「虫供養」も行っていると伺いました。
上山 業界として毎年、出雲大社から神主さんをお呼びして虫供養を行なっています。もう50年になりますね。その時の祝詞がなかなかうまくできていると思うんですよ。
―― 祝詞ですか。
上山 祝詞では、まず神様をお呼び出しして宴会をして、お礼を言うわけです。そしてお願いをする。
「ここにいる者たちは虫を殺すことを生業としていますが、どんな小さい虫にも魂があると思うと、非常にやるせない気持ちです。しかし、人間のところへ来て害をなすのであれば、どこかへ行ってもらわなければなりません。薬で死ぬことになったとしても、それは虫の寿命が尽きた時なのだと、神様から虫たちを説得してください」と。
そして最後はこう締めくくるんです。「今年もまた淀川の流れが絶えぬように、たくさん虫が出てきてください」と。
われわれは虫を全滅させたいわけではない。あくまで、人の近くに来て悪さをする虫を退治するというのが基本的な立ち位置です。
森を超えてやってきたら、それがあなたたちの運命ですよ、と。そういう考え方ですね。
―― では、直接的に虫の生息地を守るというよりは、人間との境界線を明確にする、という考え方が近いのでしょうか。
上山 そうですね。ただ、間接的な形で貢献しているかもしれません。
和歌山県で「企業の森」という活動に参加して、森林を守る活動をしています。最近は林業も大変で、間伐など森の手入れをする人が少なくなっていますから、そこにお金を出して、県に管理してもらう。もちろん第一の目的は地滑りを防ぐなど、人間のためです。ですが、そうやって森を守ることが、結果として虫たちの生態系を守ることにもつながっている。そういう側面もあると思いますね。
「面倒くさいから変えへん」140年続く企業の不易流行
―― 創業家の経営者として、ご自身にしかできないことや、責任の重さを意識される瞬間はありますか。
上山 やはりサラリーマン社長と違うのは、任期が来たら辞めますわ、と簡単に言えないところでしょうね。きっちりした形で後に引き継がなあかん、という責任はあります。私が社長を引き継いだときは、会長から「俺は一切タッチせんから、死んだと思ってやってくれ」と言われました。もちろん、分からないことは相談に行きましたが、会長からああしろ、こうしろというのはあまりなかったですね。
最終的な責任は私が持ちますよ、ということは明確にしておかなければいけません。その代わり、大事なことはちゃんと報告してくれ、でないとこちらも責任が持てませんから、とは言っていますけど。
―― 就任からすでに四半世紀がたちました。
上山 就任した時は50歳くらいでしたかね。社長になって大変だったのは、当社の役員だけでなく、周りの問屋さんや小売店さんの偉い方々が、みんな私より年上だったことです。社内だけではなく、外でもヘコヘコしてなあかん(笑)。まあ、それにもすぐ慣れましたけどね。
―― 就任された1999年以降は、デフレ経済に突入した厳しい時代でした。
上山 そうですね。バブルが崩壊して、インフレから、デフレの時代になり、放っておいても伸びるような状況では全くなくなりました。ですから、きちんと会社の中を整理して、無駄なものをそぎ落としていくことが非常に大事だと思いました。商品開発や経営判断のプロセスをどうするか、責任の所在をどうするか。そういったガバナンスを整えてきたつもりです。その時代、その時代で求められるものは違いますから。
―― 一方で、変えないものへのこだわりも強く感じます。「KINCHO」というブランド名が広く知られる中で、社名やロゴマークを使い続けることに、どのようなお考えをお持ちですか。
上山 変えていいものと悪いものを見分けるのは、結構難しいですよ。この間、万博に行ったら、当社の鶏のマークがついたお土産を「これ、かわいい」と言っている人がいる。私の感覚ではよう分からんのやけど(笑)。
考えてみれば、昔は多くの企業が動物のロゴマークを使っていましたが、今はみんな抽象的な模様に変えて、カタカナの社名にしています。それはその時代の流行りなのでしょうけど、一度ガラッと変えてしまったら、また何年かしたら変えなければいけなくなると思うんです。うちはもう、面倒くさいから変えないんですわ。
私が社長になった時、封筒などを角文字の「大日本除虫菊」からローマ字の「KINCHO」に変えたりはしました。そうしたら、新聞記者の方が来て、「ロゴを変えていくようですが、いただいた封筒は昔のままですし、製品も変わっていません。どうされるんですか?」と聞くから、「いっぺんに変えたら金かかるから、順番にやってるだけや」と(笑)。
今のところ、社名もロゴも変える必要性はあまり感じていません。
―― 最後に、50年後、100年後の会社の姿をどう描いていますか。
上山 引き続き先陣を切って商品開発をするような会社であって欲しいですね。そして、世の中にとって、〝なくてはならない企業〟でありたいです。ただ、自分たちがどう世の中の役に立っているか、これからはもっと自ら発信していかなければいけない面もあるな、とは思っています。

