経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

目指すは売り上げ2500億円 アジア1の食料供給企業 針生信夫 舞台ファーム

針生信夫 舞台ファーム

昨年からのコメ不足は、日本農業の課題を浮き彫りにした。このままでは日本の農業は滅びる可能性もある。そこで300年続く農家の15代目が社長を務める宮城の農業法人が、持続可能な食と農のサプライチェーンを全国に展開しようと立ち上がった。聞き手=関 慎夫(雑誌『経済界』2025年10月号より)

針生信夫 舞台ファームのプロフィール

針生信夫 舞台ファーム
針生信夫 舞台ファーム社長
はりう・のぶお 1962年生まれ。江戸から続く農家の15代目。宮城県立農業高校、宮城県立農業講習所で学び、20歳で就農。2003年に有限会社舞台ファームを設立、翌年株式会社化。写真の背景は同社の美里グリーンベース。

300年前から続く農家の15代目

―― 舞台ファームの売上高は55億円と聞いています。日本ではトップクラスの規模を誇る農業法人です。設立から今日にいたるまでを振り返ってください。

針生 私の家は1720年頃から続く農家で、私で15代目です。農家の後継ぎですから、宮城農業高校を卒業。その後県立農業講習所を卒業し、農業をやりながら県の農業改良普及センターの職員も兼務しました。

 本格的に農業に取り組み始めたのは20歳頃からですが、当時、宮城県の農家のほとんどがコメ農家でした。だけどコメは年に一度しか収穫できない。そこで針生家では、コメだけでなく野菜も作り、その比率が半分半分になるようにしていました。田んぼと畑を合わせて5ヘクタールほどで、年商は約3千万円。40年以上前ですから、仙台市内でも3本の指に入るほどの規模でした。

 もっともコメと野菜の両方を手掛けているわけですから、人の2倍働いているようなものです。これを家族だけでやっていましたから、1日の労働時間は14時間から16時間ほど。休みはほとんどありませんでした。

―― 専業農家としてそれだけ稼いでいたのなら、わざわざ法人化することもなかったでしょう。

針生 私の場合、若い頃からお金を稼ぎたいという願望が強かった。人の2倍3倍働いてでもいい暮らしをしたい。そう考えていたところ、2つのことが法人化へと舵を切らせました。

 作った野菜は仙台中央卸売市場に持っていきます。するとそこには転送屋さんという人たちが待っている。仙台で野菜を仕入れて東京の市場へ持っていく差配をする人です。彼らのほとんどが外車に乗っていて、携帯電話もいち早く使っていた。つまりものすごく儲かっているわけです。彼らの事務所に行ったこともありますが、電話で指図しているだけ。こちらは朝から一生懸命働いているのに、電話一本で野菜を右から左へ動かすだけで儲けることができることが分かりました。

 もう一つはブロッコリーです。ブロッコリーの収穫は夜暗いうちにやります。昼になってしまうとさらに育って規格外になってしまうからです。でもカンテラをつけて作業をすると、どうしても漏れが出る。市場に持っていっても買い手がなかなかつかない。ところが、そういう規格外のブロッコリーだけを買っている人がいる。なぜだろうと思って、彼らのところに見に行ったら、野菜を洗って切っている。つまりカット野菜を作って出荷しているわけです。だから規格外だろうと関係ない。むしろ大きなブロッコリーのほうが作業効率が高くなって利益は大きくなる。

 つまり野菜を右から左に動かしたり、カットするという付加価値をつけたりしただけで儲けることができる。そのことを知ったわけです。

 そこでまずは、自分たちでカット野菜を作ることから始めました。この時は法人化はしていなくて、個人事業です。売り上げをとにかく3倍4倍に増やしたかった。22歳頃のことです。

会社設立の7・11に懸けた思いと夢

―― 代々農家の父親がよく許しましたね。

針生 そこは本当に感謝しています。家族の中には文句をいう人もいました。でも親父は、スパッと私に任せてくれた。その分、儲けなければならないという使命感がさらに強まりました。

 そうやって事業を拡大していった結果、2000年代に入ったころには売り上げが1億5千万円ほどになり、宮城県の農家としてトップクラスになっていました。そんな時に税務署の人から、「なんで会社にしないのですか」と聞かれたのです。「個人事業では資金繰りも大変でしょう」と。それまでは基本的に無借金でやってきました。でもこれ以上に大きくしようと思ったら、資金調達をしなければならなくなる。そのためには法人化が必要だ、と考えるようになり、03年7月11日に有限会社化しました。

 なぜこの日だったかというと、私たちはフジフーズにカット野菜などを納めています。フジフーズはセブン-イレブンの大手のベンダーで、ここと取引することでわれわれも大きく成長することができました。そこでいつかセブン-イレブンの社長にわが社に来てもらいたいという思いを込めて、セブン-イレブンの日に会社登記しました。

―― その夢は叶ったのですか。

針生 ええ。3年前に永松(文彦)社長(現会長)に来ていただきました。感無量でした。

 フジフーズとの取引は、お弁当用など加熱して使うカット野菜でしたが、その後、生食用のカット野菜も手がけるようになります。これはセブン-イレブンと直の契約で、舞台ファームはセブン-イレブンのダイレクトベンダーという登録となりました。日本に農業法人は3万4千社ほどありますが、ダイレクトイベンダーは当社1社だけです。

 もちろんそのためには、衛生管理や24時間無休のお店に納品するシステムなど、取り組むべきことはたくさんありましたが、それに対応することで、舞台ファームは食品工場としての機能を高めることができるなど、大きく成長することができました。

 こうした経験を通じて改めて考えるのは、夢を実現するためには場当たり的に事を進めるのではなく、未来をきちんと設計するべきだ、ということです。

強すぎる日光を遮るソーラーシェアリング

オープンプラットフォーム構想とは
オープンプラットフォーム構想とは

―― 先日、舞台ファームは今後の経営方針を発表しました。そこにはアジア一の食料供給会社を目指すと書かれています。

針生 私たちはこれまでTPP×Aという戦略でやってきました。徹底的にパクってパクって、そしてアレンジする。カット野菜にしても自分たちで生み出したものではなく、他でやっているものをまねしています。ただ、まねだけだと二番手でしかありません。本家本元を凌駕するにはアレンジ力が必要です。そうやって成長してきました。

 ただ、順風満帆だったわけではありません。とくに11年の3・11では大きな被害を受け、内部留保をすべて吐き出しキャッシュアウトになりかねないほどでした。3年前にも大地震で危機を迎えています。このどん底を味わったことで考えが変わりました。

 今、日本の農業は危機を迎えています。それは昨年からのコメ不足からも明らかです。食料自給率は40%を切っています。後継者もいません。でも農家の方々は、苦しいながらも補助金などで何とか生活できています。農業法人も3万4千社ありますが、大半が売上高1、2億円。10億円を超える会社はせいぜい100社ほどです。その7割が畜産ですから、作物を育てて10億円を超えるのはほんの一握りです。このままでは農家にも農業法人にも、そして農業にも未来がない。しかも地球温暖化、さらにはパンデミックなど不測の事態による国際物流のストップなど、日本の食糧安保を巡る環境は非常に厳しくなっています。

 それまで私は、自分たちが儲けることを考えて仕事をしてきましたが、このままではいけない。そこで自らを食料供給企業と位置付けるとともに、オープンプラットフォームにより、持続可能な食と農のサプライチェーンを全国に展開することを決意しました(図表参照)。

 今の農業課題は個人や一法人で解決することは絶対にできません。同業者だけでなく自治体や研究機関、異業種をも巻き込んで、一緒になって六次産業に取り組んでいく必要があります。

―― 具体的にはどのようなことを行っていくのですか。

針生 「電力連携」「種の提供」「農業人材」の「三本の矢戦略」です。

 人手不足もあり、いずれ農業の95%がロボット化されます。それには電力が必要です。そこで、田畑の上にソーラーパネルを設置する営農型ソーラーシェアリングを推進します。遮るのは日光の3割ほど。最近では気温が高くなり過ぎていますが、日光の一部を遮ることで多少緩和できる。余った電力は外部に売ることができますから、経営が安定します。しかも15万ヘクタールの田んぼに設置すれば、日本の基礎電力を賄うことができる。電力安定化にも貢献します。

 種の提供では高温耐性・多収穫のコメ品種である「にじのきらめき」の種もみの販売を今年から本格化します。すでに1万ヘクタール分の種もみの確保のメドがたちました。そして農業人材では、自治体との提携や外国人人材を活用しながら対応していきます。

 1万ヘクタールから収穫されるコメの価格は250億円。これを10万ヘクタールまで増やすことができれば2500億円です。ロボットにより生産性も間違いなく高まります。自分たちだけではできませんが、仲間と一緒に是非とも実現したいと思っています。