個人情報漏洩やカルテルで揺れる損保業界だが「今こそ生まれ変わるチャンス」と6月に社長に就任した小池昌洋氏は力を込める。東京海上ホールディングスは保険をコアとしつつ、ソリューション事業のさらなる推進を通じてビジネスモデルの変革を図る。建設コンサルティング国内最大手のID&Eホールディングスの完全子会社化をはじめ、今後は非保険領域とのシナジーをねらう。聞き手=金本景介 Photo=西畑孝則(雑誌『経済界』2025年11月号より)
小池昌洋 東京海上ホールディングスのプロフィール

こいけ・まさひろ 1971年12月生まれ。94年慶応義塾大学法学部卒業後、東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)入社。米ニューヨーク駐在員や経営企画部部長を経て2021年から東京海上HD経営企画部長。23年東京海上HD常務執行役員、25年6月から現職。
信頼を取り戻し社員が誇りを持てる会社へ
―― 企業および自治体向けの保険料を損保大手4社が事前調整したカルテルや保険代理店への出向者による個人情報の漏洩を受けて、5月に保険業法の改正が成立しました。損保業界は転換期にあります。
小池 極めて重く受け止めています。しかし会社が生まれ変わるチャンスを頂いたともいえます。これから顧客に対していかに高品質のサービスを届けるかを軸に業務改善計画を進めています。
損害保険はモノを作っているわけではありません。保険という形で契約を結び、事故が起きた時にしっかりと保険金をお支払いするという「約束」を売っています。社員のモラルと信頼がなければ成り立たないビジネスです。そして保険は顧客の不確実性を取り除くことによって挑戦を後押しし、社会の発展につなげることができる非常に尊い事業です。
ただ一連の不祥事による社員へのネガティブな影響は大きい。社員が誇りを持って働ける環境をつくることはまさに喫緊の課題です。保険はいつの時代も必ず求められる社会的意義のある事業であることを社員一人一人が自覚し、矜持を取り戻す必要があります。社会規範を順守し、今までの業界の常識を超えるような高品質を追求していきます。
―― 現場からのボトムアップはどのようにしていますか。
小池 現場からの声を聞かなければ変革は達成できないと考えています。いわば経験したことのない領域に足を踏み入れているわけですから。戦略を立案する経営部門の人間は骨組みをつくるだけです。現場からのフィードバックを重ねて、肉付けした上で本当に有効なビジネスモデルを作っていく必要があります。
現在の経営陣が現場の第一線で従事していた頃と比べても今の若手層が同じ質の苦労をしているわけではないことは重々承知しています。現場の社員には変革に向けた大きな負荷を掛けていますから、相応のサポートは欠かせません。
私自身も事業会社の東京海上日動火災保険の出身ですから、当事者意識は常に強く持ち続けています。
―― 大手金融機関では異例である53歳の若さで社長に就任されました。抜擢人事についてはどう考えますか。
小池 年齢について一つ懸念を挙げれば、今後大きなミスをした時に「若さゆえに失敗した」と思われてしまうことです。会社への負の影響がないように、覚悟を持って経営に臨みます。ただ私自身は私のことを若いというふうには思いませんし、年齢も特別意識していません。それには社長就任の直前に米国駐在をしていた事情もあるかもしれません。米国では日本ほど年齢が重要ではなく、お互いの年齢を尋ねるのもNGとされる文化がありますから。
一方で私は「年功」への強いリスペクトもあり、日本の美徳だとすら考えています。とはいえ最終ゴールは「強い経営チームをつくる」ということなので、年齢・性別やその他バックボーンにはとらわれない人事を進めていきます。
事業成長の立役者は海外事業
―― 昨年度の最終利益は1兆円を超える過去最高益となりました。
小池 これは政策保有株を売り出したことで達成できた数字です。もっと抜本的に利益を創出できるようにならなければいけません。信頼を絶対的な基盤としつつビジネスモデルの変革を進めていきます。
当社の歩みは大きく3つのフェーズに分けられます。最初のフェーズは2000年頃までの国内保険事業を中心としたビジネスを展開していた時期となります。1996年の保険業法改正による保険自由化による競争激化や合従連衡を経て当社は国内損保業界のリーディングカンパニーとして市場を牽引してきました。
第2フェーズは「Tokio Millennium Re」という再保険を手掛ける事業会社を2000年に設立し海外事業に本格的に着手した時期です。国内損保としてはいち早く海外に本格進出しています。いまや海外事業は利益の約7割を占めており、世界44の国と地域で5万人の社員がいます。独アリアンツ、米チャブ、仏アクサなどの海外保険大手に近いステージに到達できたのではないかと感じています。
しかし事業環境が目まぐるしく変わる中では不断の挑戦をしていかなければなりません。現在は第3フェーズに入っています。それは既存の国内外の保険事業に加えて「日本発のグローバルカンパニー」としてビジネスモデルをさらに進化させていくフェーズです。保険をコア事業としつつも新たに「ソリューション事業」を確立していきます。異業種との協業により新領域を広げていく、大きなチャレンジとなります。安心・安全をさらに多角的に届けるビジネスです。
今年、国内建設コンサルティング大手のID&EホールディングスをM&Aしましたが、これも保険に留まらないサービス提供のためです。
目下の取り組みは、台風の浸水災害の被害者の方に保険金をお支払いするだけではなく、同社が長年公共事業で培った工学技術による防災・減災ソリューションを提供し再発防止をサポートすることです。
―― 国内の損保市場の成長は頭打ちということでしょうか。
小池 保険が大切なコア事業であることに変わりはありません。それゆえに大きな変革を進めているのです。
ただ日本は少子高齢化で将来的な人口減少は確実であり、今までの成長力を維持し続けることは難しい。国内保険事業だけに特化できる環境ではなくなりつつあるのです。ソリューション事業を通して未踏の領域を開拓することは当社にとって必然なサバイバル戦略なのです。
当社が国内市場を引き続き成長領域として位置付けている理由は、保険に加えたソリューション事業への意気込みと期待があるからです。
「カルチャーフィット」がM&Aの成否を分ける
―― 今後の成長戦略でM&Aは欠かせないと。
小池 「日本発のグローバルカンパニー」として発展していくためにはこの戦略はマストです。海外保険事業としては2008年の英キルンから20年の米ピュアのM&Aまで、今まで多くの同業他社を仲間として迎え入れてきました。
次の一手として異業種の事業会社をM&Aしていくことを目していますが、これは一筋縄ではいきません。成功には「お客様や社会の“いざ”をお守りする」という当社のパーパスをいかに共有できるかに懸かっています。M&Aはパーパスドリブンであることが最重要なのです。当社の理念にしっかりと共感していただける会社であることが大前提です。
―― 単純な同化ではなくM&A先の企業の個性や強みを生かすことがシナジーのためには重要では。
小池 もちろんです。当社は「カルチャーフィット」の原則を大事にしています。「カルチャーフィット」は、当社のカルチャーに完全に同化してもらうという意味ではありません。新たな仲間の持つ無二の強さと個性を磨き上げてもらう方針です。その次に、当社の他のグループ会社とのシナジーを模索してもらいます。つまり、当社は腕を振るいやすい環境を整えて事業を強くしていくことを第一に考えているわけです。その次としてシナジーを生み出す挑戦を始めます。
大きなシナジーを見込めるからM&Aを進めるわけですが、それ以上に大切なことはパーパスに共感していただいた上で、仲間となる会社の方が東京海上グループに入って良かったというふうに思えるかということです。このような考えでM&Aを進めていますので、仲間に迎えた会社の経営陣、キーパーソンのほとんどは引き続き勤めていただいており、結果として市場平均を上回る高い成長率を実現しています。
―― 腕を振るえる環境づくりのために具体的に何をされているのですか。
小池 ベタですがとにかくコミュニケーションです。例えばID&Eホールディングスはデューデリジェンスを通して財務的な強さやビジネスモデルの堅固さはよく分かっていました。しかし実際に一緒になってみて彼らが具体的にどのように事業運営をしているかを知ることができた。接点ができて、彼らの強みの源泉を、手触りを感じつつ理解できるわけです。その上でさらに力を発揮するために当社ができる適切なサポートについて真に建設的な話し合いができます。異なる意見を出し合ってしっかりと解決策を共に考えていく対話が最も大切です。
―― 今後、海外における保険以外の事業会社をM&Aする機会が増えるでしょうが、海外と日本では商習慣が大きく異なります。「カルチャーフィット」のハードルは上がるのでは。
小池 M&A先の企業の個性を生かしていく方針は内部統制やマネジメントの難易度が上がることを意味します。海外であればなおさらです。ただ「日本発のグローバルカンパニー」となるためには、この難しさを受け入れなければいけません。地域と事業領域の分散を進めていくのはこれからの当社の課題です。
当然ながら国や地域ごとに市場にマッチしたビジネスモデルがあります。保険ひとつにしても、国内に特化した東京海上日動の方法論をそのまま米国でやっても確実に失敗します。過去に米国で保険のエキスパートの会社を仲間に迎え入れた理由です。地域にあったビジネスモデルを確立するためのM&Aですから、非保険の事業会社を仲間に迎えるにあたっても基本は変わりません。
しかし業種を超えて規模を拡大すればするほど、どこかで必ず大きな問題が起きるわけです。それは比例的にじわじわと起こるのではなく、指数関数的に何十倍にも増えていきます。
そのため、ガバナンスを効かせるためにパーパスドリブンで当社に共鳴してもらえるよう求心力を保持することが今まで以上に求められているのです。非効率になったとしても、困難な時ほど原点に立ち戻り、パーパスを堅持する必要があります。
