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困っている人がいたら助けるmont-bellの50年経営 辰野 勇 モンベル

モンベル 会長兼CEO 辰野 勇

モンベルは今年、設立50周年を迎えた。その経営哲学は、短期的な利益追求や株式市場の論理とは一線を画す「日本型経営」にある。事業を通して社会と共生し、文化を築き、次世代へと価値をつなぐという長期的な視点だ。企業の存在意義、社員の幸せ、そして社会への貢献が三位一体となった、モンベルの50年にわたる信念と、その先に描く未来へのビジョンを探る。 聞き手=佐藤元樹 Photo=藤岡修平(雑誌『経済界』2025年11月号より)

辰野 勇 モンベルのプロフィール

モンベル 会長兼CEO 辰野 勇
モンベル 会長兼CEO 辰野 勇
たつの・いさむ 1947年大阪府堺市生まれ。69年、アイガー北壁日本人第二登を果たす。75年、モンベルを設立。一方、阪神淡路大震災以降、東日本大震災、能登半島地震で「アウトドア義援隊」を組織し、アウトドアでの経験をいかした災害支援活動を行うなど、社会活動にも注力している。近年では、京都大学特任教授や天理大学客員教授など、野外教育の分野においても活動する。

人生を決定づけた 『白い蜘蛛』との出会い

―― モンベル創業のきっかけは、登山家としての経験から生まれたと聞きました。当時の思いや背景についてお聞かせください。

辰野 小さい頃から体が弱くて、病気がちでした。小学校の行事で、大阪と奈良の県境にある金剛山へ登る耐寒登山があったんですが、体力が劣っているからと校医から参加を止められてしまいました。友達が楽しそうに出かける中、私は自宅待機。あの時の悔しさが、私の人生を山へと向かわせたのかもしれません。

 成長して体力もついた頃、親戚を誘って登山に行くようになりました。当時はちょうど登山ブーム。日本の登山隊がマナスル初登頂に成功したニュースに、私の山への思いもさらに高まっていきました。革の登山靴を履いて、重い装備を背負った逞しい山男たちの姿は、私にとって憧れそのものでしたね。

 高校生の時、教科書でハインリッヒ・ハラーの『白い蜘蛛』という本に出会いました。スイスの「死の壁」と呼ばれるアイガー北壁に挑む、壮絶な話に感動したんです。いつか自分もこの壁を登ってみたいと夢見るようになりました。 その夢を叶えるために、資金をため、体力と技術を磨くことに専念しました。高校を卒業してからはスポーツ用品店に住み込みで働き、週末はひたすらロッククライミングの練習を続けました。 でも、会社から「危険なことはさせられない」と注意されてね。それに従うことができなくて退職しました。その後、山登りに理解のある登山用品店で働くことになり、私の山への思いはさらに加速していきました。

 そんな中、厳冬期の屏風岩登攀中に安い手袋が原因でひどい凍傷を負ってしまったんです。応急処置のおかげで指の切断は免れましたが、この時、装備の大切さを身をもって痛感しました。これが、「本当に自分が欲しいと思える道具がないのなら、自分で最高の道具を作るしかない」という、モンベル創業の原点となる信念につながっていったのです。

 1975年、28歳の誕生日の翌日にモンベルを創業しました。創業の目的は、売り上げや利益を上げるためじゃなくて、自分が心から欲する最高の道具を作り、それを世に出すこと。この信念は、50年たった今も変わることなく、モンベルのすべての製品開発の根底にあります。

利益を目的としないモンベル流の事業哲学

モンベル 会長兼CEO 辰野 勇

―― 創業以来、非上場という選択を貫く理由は何でしょうか。

辰野 上場は、会社にとっての「ゴール」や「目的」だと思っている人もいるけど、私にとっては違います。上場は株主への利益還元を最優先にする「アメリカ型資本主義」の発想。うちは、あくまで「日本型経営」を大切にしているからです。 上場しなくても社員の給料は上げられますし、逆に株主の配当を優先すれば、社員への還元が厳しくなることだってあります。モンベルが大切にしているのは、株主じゃなくて社員、そしてその先にいる顧客。利益の追求が目的じゃなく、社員や顧客、そして社会全体にとって居心地のいい場所をつくっていくこと。そのための手段として事業があるんです。

―― 収益を目的としない経営において、社員はどのように動いているのでしょうか?
 
辰野 うちの経営はトップダウンが基本です。会社として一貫した方向性を示すのがトップの仕事で、現場はそこに向かって動いていく。それは上からの命令というよりも、トップが方針という羅針盤を示すこと。社員は、与えられた羅針盤をもとに、それぞれの持ち場で自律的に動くことが求められます。 ただ、それは上からの一方的な命令ではありません。モンベルには、事業を通じて果たすべき「7つのミッション」というものがあります。

① 自然環境保全意識の向上
② 子供たちの生きる力を育む
③ 健康寿命の増進
④ 自然災害への対応力
⑤ エコツーリズムを通じた地域経済活性
⑥ 一次産業(農林水産業)への支援
⑦ 高齢者・障がい者のバリアフリー実現

 社員一人一人がこのミッションを理解し、共有することで、それぞれの立場で同じゴールに向かうことができるんです。収益を追求するんじゃなく、自分たちがやっていることが社会にどう役立っているかという「気づき」が重要なんです。その気づきを言葉にすることで、より明確なビジョンとなり、社員全員の意識が一つになっていくんですよ。

―― 災害支援の活動を積極的に行っていると聞きました。アウトドア義援隊を立ち上げた経緯や、活動への思いについて聞かせてください。
 
辰野 阪神・淡路大震災のとき、私は堺市の自宅で経験したことのない揺れを感じて目を覚ましました。幸い自宅に大きな被害はありませんでした。神戸市に住む知り合いから、電話があり、屋根が壊れたからブルーシートが欲しいと。すぐに車で向かうと神戸市の街中が一変していて驚愕しました。倒壊した家屋の山、あたりに充満するガスの臭い、まるで爆撃を受けた戦場の風景。今でもあの光景は忘れられません。街には家を失った人たちが瓦礫を燃やして寒さをしのいでいる姿を見ました。 そこで私は、会社の業務を一旦停止し、支援に専念すると決断、すぐに寝袋とテントを被災地に運び込みました。しかし、われわれ1社だけの支援には限界があります。そこで知人や企業に被災地支援を呼び掛けるファクスを送信しました。すると全国各地から支援を申し出ると返信が来ました。これが「アウトドア義援隊」の始まりです。

 この活動は義援金を寄付するだけじゃなく、自分たちが実際に現場に入り、必要なものを調査して届ける活動です。

 別に、社会貢献や慈善事業として始めたわけではありません。

 「困っている人がいたら助ける」、人間として当たり前のことでしょう。現場に行けば何が必要かが見えてきます。それに対して、アウトドア用品が役立つならと手を差し伸べた、ただそれだけのことなんです。

 「社会貢献」なんていうのは、大上段に構えた「四文字熟語」のように聞こえることがありますが、どんな仕事も必ず社会の役に立っています。ゴミを掃除することも、トイレを清掃することも、すべてが役に立つ仕事。

 重要なのは、何をやっても世の中の役に立つという「気づき」を持つことです。

 「社会から求められる」ことと「経済的なバランス」は、車の両輪です。 いくらいいことを言っていても会社が潰れてしまっては元も子もないし、いくら儲かっていても、人の役に立たない事業は長続きしません。私たちは、この二つのバランスを常に意識しながら事業を運営しています。だからこそ、災害時に無料で支援する一方、自治体や学校との包括協定を通じて、必要なものが本当に必要な人の手元に届くよう、費用を負担していただくこともあります。「ただであげればいい」というきれいごとだけでは、活動は持続しないからです。

日本型雇用が育てる「プロフェッショナル」

辰野勇・モンベル_アイガー(モンベル提供)
クレジット=Photo:モンベル提供

―― 転職が当たり前の時代に、終身雇用という日本型経営の役割をどう考えていますか。

辰野 現代は、転職サイトがすごく盛り上がっていて、自由に働くことが推奨される時代です。でも、それによって一つの物事に対して深く関わり、専門性を高めていく「プロフェッショナル」が減っていくのではないかという懸念を抱いています。短期間で職を転々とすることが、個人の成長にとって本当にプラスになるのか。もちろん、多様な働き方があるべきですが、何かに特化し、真のプロフェッショナルを育てる文化も必要です。

 日本型経営には、従業員を長期的な視点で大切に育て、組織全体で支え合うという美徳があります。これは、単に優秀な人だけを優遇するんじゃなく、色々な役割を持った人々が互いを尊重し、助け合うことで成り立つ文化。企業は、社員の人生全体を支える役割を担うべきだと考えています。 現代のスタートアップの中には、「お金もうけ」や「自由な時間」を目的に起業する人が少なくないですよね。でも、それでは一番肝心な「何をやるか」が抜け落ちてしまう。うちは、売り上げや利益を上げるために会社を興したんじゃなくて、自分が欲しいものを作る、自分のやりたいことをやるために始めた。お金は後からついてくるものなんです。 

 この成功事例が誰にでも当てはまるわけじゃないでしょう。でも、自分のやりたいことを生業にできれば、これ以上素晴らしいことはない。

 会社の言うことを聞いてさえいれば給料がもらえる、そんな発想で仕事をしていても面白くないですよ。

 非正規雇用の推進は、雇用環境を緩和し、若者たちが自分の自由な時間を優先して働くという風潮を生み出しました。

 しかし、それが結果として、いよいよ年を取って安定した仕事に就こうとしたときに、就職が難しいという状況を作り出しました。今の転職ブームにも、それに極めて似た環境を感じています。どんどん職を変えていくことでうまくいく人もいるでしょう。でも、そうでない人たちは、結局、安定した仕事に就けなくなってしまう。物事に対するプロフェッショナルが減っていくのではないかと心配しています。

 モンベルは50年間、この企業文化を積み重ねてきました。会社を創設したその日から、一貫した哲学を持ち続けることで、確固たる企業文化が形成されてきた。これは、一時的なブームや流行で簡単に変えられるものではないんです。

―― では、50年後、モンベルはどのように存在していると考えますか。

辰野 私は社員に、「次の50年、私はもういません。でも、もしモンベルが50年後も存在しているなら、その姿を想像できます」と話しました。それは、「50年後もモンベルが社会にとって必要とされ続けているか」そして「その事業が経済的なバランスを保ち、採算が取れているか」、この2つの条件が満たされている状態です。 企業活動の主体は、収益やお金じゃなくて「コト」なんです。そして、その「コト」に共感してくれる人々の輪を広げていく。

 たとえば、イソップ寓話のレンガ職人の話がまさにそうでしょう。

 ある人が3人の職人に「何をしているのですか?」と聞きました。1人目は「レンガ積みに決まっているだろ」と不満そうに答え、2人目は「壁を造っている」と答えました。そして3人目は、生き生きと「歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」と答えました。同じ作業でも、その先にある目的を理解しているかどうかで、仕事への意識は全く違います。

 世の中に100人しか必要としないような品物でも、その100人にとって「あってよかった」と思えるものを作ることができれば、それでいいんです。1億人が欲しがるようなものはありえませんから。10人でも100人でも、「これは助かった」と思ってもらえるものづくりをすることが大切なんです。それは、陶芸家が自分の作りたいものを作り、それが少しずつ共感の輪を広げていくのと同じです。 50年かけて、今や120万人のモンベルクラブの会員がいますが、これは絵空事のミッションを掲げて集客したわけじゃない。私たちが50年間積み上げてきた事業のあり方、7つのミッションにみんなが共感してくれたからこそ、今のモンベルがあるんです。

 この会員の方々からお預かりした年会費は、収益とは全く関係のないところで動いています。モンベルクラブの年会費の一部を「モンベル・ファンド」として積み立て、それを使って災害支援や障がい者支援などの社会活動を行っています。これは、会社が儲かったからやる慈善事業ではなく、会員から預かったお金で社会を良くするという、モンベルが社会から求められていることの証しでもあるんです。

 企業は、単なる利益追求の組織ではありません。私たちは、好きなことややりたいことを通じて社会に貢献し、人々が共感し合える文化を築きます。そして、それを次の世代につないでいきます。50年後のモンベルは、まさにその「コト」が花開いた姿だと信じています。