経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

座右の銘は創業者から学んだ「喜びはみんなで、苦労は1人で」 大友浩嗣 大和ハウス

大和ハウス工業 社長 大友浩嗣

売上高が5兆円を突破した大和ハウス工業だが、30年後の10兆円達成に向けさらなる成長を目指している。かつてのようなモーレツ営業が難しくなった今、どうやったら数字を伸ばし続けることができるのか。自らも営業出身で、4月に社長に就任した大友浩嗣社長に聞いた。聞き手=関 慎夫 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2025年12月号より)

大友浩嗣 大和ハウスのプロフィール

飛び込みから始まった 大和ハウス人生

―― 2月13日に社長交代発表がありました。普通、発表の数カ月前には前社長から打診があるものですが、大友さんは前日に告げられたということで話題になりました。本当ですか。

大友 本当ですよ。前日に芳井(敬一現会長)から電話があって、「明日の役員会はどこで出る」と言われたので「大阪本社で(リアルに)出席します」と答えたところ、「ネクタイしてこいよ」と。続けてその日の午後6時のフライトで大阪に入るという話をしたら、8時か8時半に会えるかと言う。そこで会ったところ、「社長をやってもらう」と。

―― しばらく考えさせてほしい、とはならなかったのですか。

大友 それはなかったですね。即答しました。「返事はハイかイエス」という教育を受けてきましたから(笑)。

―― 大和ハウス入社は1984年。それからの大和人生の多くは流通店舗事業でした。社長になるとは思っていましたか?

大友 まさか。私が入社した頃は大和ハウスはまだ住宅事業が中心の会社でした。それなのに流通店舗という新しい事業に配属されました。まだたいして利益も出ていない部門でしたが、私としては今後モータリゼーションがさらに発達していく中で、街づくりの仕事に携われるのではという期待もありました。それでも当時思っていたことは、所長になれればいいな、というぐらいのことでした。

―― 最初は飛び込み営業から始まったそうですね。

大友 最初の配属は埼玉県でした。何の引き継ぎもなく、とにかく行け、と。だけど当時は関西企業の大和ハウス自体が知られていない。訪問しても、ビニールハウスはいらない、とかカレーはいらないとか、そっちのハウスではないのにと。たまに、いい会社だね、と言われることもありましたけれど、その時は銀行の関連会社だと思われていることがほとんどでした。

 当時の大和ハウスの売上高は3600億円ほど。上場はしていましたが知名度はあまりなかった。しかもハウスメーカーが流通店舗を手掛けていることなど、ほとんど知られていない。当然、苦労もありましたが、その分、自分の考え方次第でいかようにもやることができるので、やりがいもありました。

―― すぐに契約は取れました?

大友 私は法学部出身なので、建設や不動産のことはまるで分からない。謄本をあげることも知りませんでした。そこで最初は新入社員向けのハンドブックがあったのでとにかくそれを読む。その後は自分で地域を決めて、道路沿いをマッピングする。その上で法務局に言って地権者を調べ、そこに対して飛び込み営業を行う。毎日その繰り返しです。当時はまだコピー機もなかったので、トレース用紙を法務局に持参して手書きで写していました。

 最初の契約は営業に出るようになって2カ月後でした。浦和市(現さいたま市)の17号バイパスの沿線で、昔喫茶店だった土地です。その土地のオーナーを訪ねて話をして、さらにはそこに入居したい会社も見つけてまとめました。たしか4千万円ほどの商談だったと思います。その時は本当にうれしかったですね。そこからはけっこう順調に契約が取れるようになりました。その分仕事は大変でしたけど。

部下を育てるには自分の成長も不可欠

―― それによって鍛えられたわけですね。

大友 最初の契約もそうですが、われわれは地権者に対してはB2Cであり、そこに出店する企業に対してはB2Bなわけです。多くの会社は、その2つの担当を分けています。でも大和ハウスは両方やらなくてはいけません。ですから2倍の仕事をやることになる。大変ですが、地権者の気持ちもテナントの要望も理解できるようになる。それに伴い経済も見えてくる。さらには若造なのに企業のトップクラスに会うこともできました。これによって自分は成長できたと思います。

―― 面談を断られることも多いでしょう。落ち込んだりしませんか。

大友 それはなかったですね。むしろ闘志が湧いてくる。1回目がだめなら2回目がある。それでもだめなら3回目がある。これは自分の意思次第ですし、次は絶対によくなるはずだと思っていました。

―― 大友さんはもともと法学部時代、弁護士になろうと思っていたんですね。モーレツ営業とはあまり結びつきません。

大友 順応性が高かったのかもしれません。でも弁護士を諦め、この道を選んだのは自分です。そうであるなら、それが正しかったことを立証しよう。そういう思いもあったと思います。

―― 失敗したとしてもあまり引きずらないタイプですね。

大友 小さい失敗は、数限りなくやってきました。その時は反省し、繰り返さないようにするだけですが、後を引きずるような大きな失敗はあまりなかったですね。

―― 役職が上がるにつれて、自分のミスではないものの部下のミスによって失敗するケースも増えたのではないですか。

大友 最初はプレーヤーとして始まって、そのうちマネジメントも兼任するようになります。そうなると当然自分の思い通りにならないことも増えていくわけです。お客さまのところに何度も謝りに行きました。そういう時に意識したのは、この社員とお互いに成長していこうということでした。今まで失敗したことができるようになることもうれしいですが、自分の考えを分かってくれることもとてもうれしい。そのコミュニケーションを取るためには自分も成長しなければならない。その積み重ねで今日に至っています。

愛情かパワハラか部下への怒り方

―― プレーヤーとしては自分で頑張ればいいのでしょうが、マネジャーの資質はそれとはまるで違います。どうやって学んだのですか。

大友 一番参考になったのは創業者(石橋信夫氏)の言葉ですね。数多くの言葉が残されていて、それを読んで勉強しました。中でも記憶にあるのは「喜びはみんなで分かち合え、苦労は1人で背負え」。マネジメントにおいてこれが一番大事なところだと思います。

 マネジメントする立場になって、いろんなことがありました。その時には必ずこの言葉を思い出します。

―― そういう経験をする中で、次はこのポジションに就こうという欲も出てきたのではないですか。

大友 そういう欲はあまりないのですが、支店長の仕事はしてみたいと思いました。支店長は一国一城の主です。支店はだいたい都道府県ごとにひとつありますから、支店を束ねることは、その県の事業を束ねるということです。

 もちろん支店長にはノルマがあります。それほど大きな金額ではないですが、何度か未達に終わったこともあります。その時は役員に謝りにいくのですが、当然怒られます。こういうことに大和ハウスは厳しい会社ですから。これはけっこうこたえました。

―― 逆に、大友さんが部下を怒ることもあったと思います。どんな時ですか。

大友 嘘をついた時ですね。目標数字に到達しなかった場合でも怒りますが、それほどきつくはない。でも嘘はダメです。契約が取れます、と言っていながら、実は全然そうではなかった、というような時です。嘘をつくというのは、一瞬楽になりたいからです。でもいずれ分かることです。その社員の成長を願う意味でも、そういう時はきちんと怒ります。それによって変わっていったら、上司としてはこんなにうれしいことはありません。

―― 今の企業にはコンプライアンス順守が求められています。少し怒っただけでも、すぐにパワハラだと言われる時代です。その中で社員を怒り、それによって成長させていくことが難しくなっています。

大友 今では言えないような怒られ方をしたことも何度もあります。でもそれが自分のことを思ってのことだと分かっているから理解ができたし感謝もしました。ただ確かに、それが通用しなくなってきています。これは経営者共通の悩みです。例えばある社員に対して怒っても、それを隣で聞いていた社員が怖いと思ったら、それでパワハラになってしまう。大きな声で叱責するなどもってのかです。

働き方改革は見直しが必要

―― 大和ハウスは2024年3月期に売上高が5兆円を超えました。これは建設業としてはダントツの数字です。それでも30年後の創業100年10兆円の目標に向けてアクセルを踏み続けています。この成長の陰には、厳しい社員教育と、それによる社員の成長があったと思います。コンプラによって、社員教育が難しくなっているのではないですか。

大友 社員にとってのエンゲージメントを真剣に考える必要があります。社員がどうやったら仕事に一生懸命取り組んで、お客さまに喜んでもらい、社会に貢献できるのか。おっしゃるように、以前より難しくなっていることは確かです。昔は叱って育てることが当たり前ですが、それがやれなくなっています。

 大切なのはコミュニケーションです。なぜそのことをやってはいけないのか、きちんと伝え理解してもらう。叱責するにしても大勢の前ではなく1対1で行う。時代は元には戻りません。今の時代にしっかり対応していかなければなりません。

―― 働き方についてもそうです。大友さんも経験していると思いますが、営業マンが休日に取引先に出向くのは当然でした。ところが働き方改革で、それができなくなってきています。

大友 いわゆるサブロク協定を守ることは当然ですが、その一方で見直す部分もあると思っています。工場勤務のように、時間で仕事をしているなら分かります。でもわれわれはそうではありません。成果を出して仕事をしているわけです。成果を上げるために努力することで、社員の能力も上がっていく。ですから若い社員の中には、自らを高めるためにもっと仕事をしたいという人もいます。でも会社としては、早く帰れと言わざるを得ない。この点については、もっと柔軟に考える必要があると感じています。

会長が指揮する海外事業 国内期待のデータセンター

―― 先ほど言ったように、大和ハウスには100周年10兆円という大目標があります。ここまで急成長を続けてきましたが、今後の日本は本格的な人口減少時代に入ります。その中でどうやって成長を続けていこうと考えているのですか。

大友 ひとつは海外です。26年度を最終年度にする中期経営計画では、海外事業で売上高1兆円、営業利益1千億円を目指しています。そのため昨年にはアメリカで賃貸住宅不動産を手掛けるアライアンス・レジデンシャル社の株式35%を取得し持ち分法適用会社としました。さらに先日、米中小住宅メーカーのウィンザーから戸建て住宅事業を買収しました。アメリカでは住宅需要が旺盛ですので、まだまだ成長できます。芳井会長が海外本部長を兼務していますので、海外にはさらに力を入れていきます。

―― 国内はどうですか。

大友 伸びしろはあると考えています。これまでの大和ハウスの住宅事業は、フロービジネスばかりで売ったら終わりでした。今後は買い替えなどのストックビジネスを伸ばしていく。そのためには三井のリハウスや東急リバブルのようなブランドを立ち上げることが必要です。これにより住宅のバリューチェーンを確立する。

 もうひとつはデータセンターです。これまで物流センターの建設が成長のひとつの柱になっていましたが、今後はデータセンターにも注力します。すでに千葉県印西市には14棟分のデータセンター用地を確保し建設を進めています。データセンターを動かすには大電力が必要ですが、東京電力さんに変電所をつくっていただき、電力需要にも対応しています。今後データセンターは日本各地につくられますから期待しています。

 このように、いくら人口減少時代に入ったといっても、需要の伸びる分野は必ずあります。その需要を捉えて対応していく。そうすることで成長を続けていくことは可能です。その先に、10兆円があると考えています。