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不屈の起業家が懸ける最後のフロンティア―― 永杉豊(ミャンマージャポンCEO)

永杉豊・ミャンマージャポンCEOプロフィール

永杉豊

永杉豊(ながすぎ・ゆたか)1960年生まれ。学生時代に起業。米国、中国などで事業を手掛け、現在はヤンゴンに移住。フリーペーパーの発行、不動産仲介、人材紹介、企業の進出支援等、幅広く手掛ける。社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、ヤンゴン和僑会会長。

 

明治維新さながらのミャンマー

40年以上にわたる軍政が終わりを告げ、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)の下で民主化と市場開放が急速に進むミャンマー。そのミャンマーにいち早く進出し、日本人向けのフリーペーパー『ミャンマージャポン』、英語とミャンマー語の情報誌『ミャンマージャポン+plus』の発行、およびそれらのウェブ版を運営しているのが永杉豊氏だ。

永杉氏が初めてミャンマーに足を踏み入れたのは2013年1月。当時、上海でファッション誌を出版するつもりだったが、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件によって対日感情が悪化。日系の企業スポンサーが次々と降り、計画はとん挫した。

そんな時、知人の勧めでたまたまミャンマーを訪れた永杉氏は、「時空を超えた」と言うほどの衝撃を受ける。世界三大仏教遺跡と称されるバガン、人々が水上生活を営むインレー湖など、これまでの概念を覆す光景を目の当たりにし、世界観が大きく変わったという。

すっかり魅了され、この地に住みたいと強く思った永杉氏は、日本人向けの質の高い情報を伝える媒体がないことに着眼する。幸いなことに、文民政権の下で報道の規制が大幅に緩和された時期とも重なった。そして、出版事業以外にも、人材紹介、不動産仲介、日系企業の進出支援など、あらゆる仕事を手掛けるようになる。

これらの仕事は全くの未経験だったが、周囲に競合が全くいなかったこと、メディア事業を通じて多くの情報を入手できたことが奏功し、事業開始から1年で黒字化に成功する。永杉氏は語る。

「今のミャンマーは日本の明治維新と同じ。数多くのチャンスが転がっている」

 成功と失敗の繰り返しだった永杉豊氏

永杉氏のビジネスマン人生は波乱万丈だ。

初めて起業したのは大学生時代。ジーンズカジュアルショップを経営し、卒業後は多店舗展開と卸売を手掛けて成功する。折しも到来したアメカジブームに乗って、91年には米国に現地法人を設立。商品を日本へ輸出し、倍々ゲームで売り上げが伸びた。当時はプール付きの豪邸に住み、高級輸入車を乗り回す日々だったという。

だが、ブームはいずれ去るもの。売り上げに陰りが見えた97年、焦って手を出したライセンスビジネスであえなく失敗、1年間で約100万ドルもの大損失を出すことになった。

会社を売却した永杉氏は、付き合いのあったファッションメディアからの依頼でPRの仕事を手掛けるようになる。仕事は順調だったが、今度は古巣の会社が倒産。3億6千万円もの連帯保証債務を背負う憂き目にあった。何とか借金を完済したのち、上海に進出しようとした矢先に、前述の尖閣事件が発生したという顛末だ。

「失敗しているように見えても、後で何倍にもなって返ってくるのが僕の人生」

と、永杉氏は笑う。

早くも競争が激化

日系のみならず、多数の外資系企業がアジア最後のフロンティアに食指を伸ばす中、米国も軍事政権時代から続いた経済制裁を解除する方針を表明。今後ますます活況を呈するとみられるミャンマーだが、課題もあると永杉氏は指摘する。

深刻なのが家賃や人件費の高騰だ。例えば、外資系企業の駐在員向け住宅の1カ月の家賃は、現在40万~70万円まで高騰。一部では、坪当たり単価がシンガポールを超える物件まで登場しているという。さらに、優秀な現地人材の争奪戦の結果、ジョブホッピングを繰り返し、日本人がうらやむような高給取りもいるとのことだ。

先行者利益を享受してきた永杉氏だが、競争の激化とコストの上昇で、事業環境は早くも厳しさを増している。それでも、

「ワクワクドキドキするからビジネスをやっている」

と、その状況を楽しんでいる。タフな精神こそ、同氏の最大の武器である。

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