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2025年大阪・関西万博1970年大阪万博より 橋爪紳也 大阪公立大学研究推進機構

橋爪紳也(提供画像)

拝啓  「昭和100年」を迎える2025年、大阪・関西万博が実施される。準備段階では高度経済成長期に実施された1970年大阪万博としばしば比較され、開催意義が問われてきた。国際博覧会という国家事業は、日本においてどのような意義があり、地域社会にいかなる効果をもたらすのだろうか。(雑誌『経済界』2025年3月号「万博の夢と希望を、もう一度!」特集より)

橋爪紳也 大阪公立大学研究推進機構特別教授のプロフィール

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橋爪紳也 大阪公立大学研究推進機構特別教授
大阪公立大学観光産業戦略研究所長 工学博士
はしづめ・しんや 1960年大阪市生まれ。京都大学大学院、大阪大学大学院修了。工学博士。創造都市や都市文化施設、商業施設など総合的な研究を展開。観光政策の立案、市民参加型のまちづくり、地域ブランディングなどを実践。また、関西の都市政策や都市文化を研究し、大阪府と大阪市の特別顧問として万博誘致に構想段階から携わる。

昭和100年が問いかける万博の新たな視点

 2025年は「昭和100年」の節目になる。今年、私たちは昭和という激動の時代を振りかえりつつ、未来に目を向ける好機を迎える。

 そもそも昭和という年号は『書経』にある「百姓昭明 協和万邦」という言葉から採られたものだ。すべての人が自分の徳を明らかにすることで、多くの国々が心をあわせることができるといった意味合いになろうか。

 さて、今年4月に「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げる大阪・関西万博が開幕する。大阪・関西万博では、国連が30年に設定したSDGsの達成に貢献することをうたい、誰ひとり取り残すことなく誰もが人生を充足することができる社会を、諸国の叡智を集めて実現させることを掲げて誘致を行った。テーマを踏まえれば、私は今回の大阪・関西万博は、まさに「百姓昭明 協和万邦」を具現化する場であり、「昭和100年」にふさわしい国家事業であると考えている。

 大阪・関西万博にあたって、私は大阪府案の策定当初から誘致の段階、そして開催の準備に至るまで、10年にわたり、さまざまな立場で関与してきた。その各段階で、しばしば1970年大阪万博(以下、70年万博)との比較検証が求められた。

 論点のひとつがそのテーマ性である。70年万博は「人類の進歩と調和」をテーマとした。アジア初の国際博覧会であったことから、東洋的な価値観である「調和」を強調し、西洋中心の文明社会にあって日本に固有の価値や文化を訴求することに重きが置かれた。

 この考えを具体化したのが会場内に設けられた万国博美術館である。館内では西洋美術史を俯瞰する展示に加え、日本美術の歩みも同等に示され、日本独自の文明の価値を訴求する試みが行われた。

 西洋の価値観に対して意義を申し立てる姿勢は、「自然の叡智」をテーマに掲げて2005年に開催された愛・地球博にも見受けられる。当初、このテーマ設定については、「人類に叡智はあっても自然に叡智はあるのか」といった指摘があったようだ。「自然の摂理」、「自然の仕組み」と言い換えることもできるだろうが、地球環境問題が深刻な課題として顕在化するなかで、あえて「自然の叡智」と表現することで、「人類の叡智」の傲慢さを抑制するというニュアンスを強調したという。結果、人類は自然を尊重する態度を持つべきだという日本的な価値観が、国際社会の理解を得ることができたように思う。

 では、大阪・関西万博ではどうか。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとする大阪・関西万博では、「共創」の重要性をうたい、世界が直面する課題に対し、各国が協力を果たしながら具体的な解決策を示すことが期待される。技術の進歩が一人一人の多様な価値観や文化をつなぎあわせ、人類文明の「持続的な発展」に貢献することが望まれる。70年万博で示された「調和」の概念を継承するものだ。

 もっとも国際博覧会は、同時代における「世界の縮図」を示す場でもある。

 70年万博の状況を回顧すれば、国際社会は東西冷戦、ベトナム戦争の緊張下にあり、国内に目を向けても70年安保闘争の最中だった。日米安保条約が自動継続となった6月23日に行われた全共闘・全国反戦主催の集会ではデモ参加者の一部が暴徒化している。世界情勢が緊迫している中で開催されたからこそ、「調和」というメッセージを発信する意義もあったであろう。

 大阪・関西万博も緊迫した国際情勢のもとに開催される。ひとつには新型コロナウイルスのパンデミックによって人類が未曽有の危機に直面する中に動き出した博覧会である点に注目したい。世界中で多くの命が失われ、先行きの見えない不安が世界を覆い、私たちは価値観や生活様式の変化など、未知の課題に直面した。またロシアによるウクライナ侵攻に加えて、パレスチナ情勢の悪化、各地で紛争は絶えない。このような情勢のなかで「いのち輝く未来社会のデザイン」を求め、「共創」の意義を強調する国際博覧会を日本で開催する意味を私たちは再確認する必要があるだろう。

 日本独自の価値観を背景としつつ、世界に向けて持続可能な平和な世界の構築につながる強いメッセージを発信することが必要なのではないか。 

未来都市の実験場としての万博

 半年間を開催期間とする国際博覧会の会場は、「近未来の社会」を可視化する実験都市という特徴を持つ。

70年万博は、高度経済成長期を背景に開催されたこともあり、すべての国民が共有できる豊かさを示す機会となった。国内企業は大量生産・大量消費社会を前提として最新の商品とともに、近未来に可能となる新たなライフスタイルや開発途上にあった先進技術を示した。

 会場計画で注目されたのが、新たなエネルギーシステムの試みである。

 「万博に原子の灯を」を合言葉に、若狭の原子力発電所から会場に送電が行われたことも特記に値する。日本原子力発電株式会社の敦賀発電所1号機は開幕式が挙行される3月14日に全出力運転を達成、そのまま営業運転を開始した。これを受けて開会式では「原子力の灯がこの万博会場へ届いた」というアナウンスがなされている。

 また、会場内の各所で得られる情報をいったん「電子計算機センター」に集め、イベント会場内にリアルタイムで情報を提供、必要に応じて電光掲示板に情報を掲出する「総合情報システム」が構築された。高度情報化に向けて最新の情報提供システムが実装されたわけだ。

 会場内の交通計画にも意欲的な実験が想定された。会場における「低速大量輸送」の手段として、「動く歩道」を主要な幹線に配置してネットワークを構築するアイデアが採用される。また、大量輸送の手段とモノレールを用意、日本初となるホームドアが実用化された。

 博覧会場で試行された交通手段のなかでも、「動く歩道」による「低速大量輸送」は、大きな事故もなく有効であることが確認され、その後、社会実装される契機となった。

 各パビリオンの建築にあっても、新たな試みがなされていた。シンボルゾーンを覆う大屋根のジャッキアップ工法、アメリカ館、電力館、富士グループパビリオンで採択された空気膜構造など、新たな工法が注目された。建築の工業化を促進するカプセル建築の実証実験も複数のパビリオンで試行された。

 展示においても、電気通信館には、携帯電話の原型である「ワイヤレステレホン」が出展された。自動車工業館では自動運転を体感できるゲームを、IBM館ではコンピューターで物語を生成する経験を楽しむことができた。

 70年万博と同様に、大阪・関西万博も近未来のモデルを示す場となることが求められる。エネルギー、会場内のマネジメント、交通手段、建築や会場の工法、展示など情報伝達手段など、来るべき未来都市を予感させる実験がなされることが求められる。

 私たちは大阪・関西万博の先の未来に想いを馳せるべきだろう。

 ひとつには国際博覧会は、条約に基づいて世界各国が順に開催している国際イベントであるということを再確認したい。

 現在、国内では、大阪・関西万博と並行して、「GREEN×EXPO 2027(2027年国際園芸博覧会)」の準備が進められている。国際博覧会と国際園芸博覧会、双方の承認を受けたもので、日本としては1990年大阪花博に続き、2度目となるものだ。また首都圏で実施される国際博覧会は、85年に開催された国際科学技術博覧会(つくば万博)以来になる。

 一方で、2030年までの国際博覧会の開催国がすでに決定している。27年、セルビアのベオグラードで「人類のための遊び:すべての人のためのスポーツと音楽」をテーマとする国際博覧会が行われる。認定博のカテゴリーであるが、旧ユーゴスラビアでは初の国際博覧会かつ、スポーツと音楽に焦点を当てている点がユニークである。

 さらに30年には、サウジアラビアの首都リヤドで国際博覧会開催が決まっている。中東での国際博は21年10月に開催されたドバイ博に次ぐもので、ドバイ博の倍となる4千万人以上の来場者を想定、面積では大阪・関西万博の数倍となる広大な会場計画を示している。

 25年大阪・関西万博を誘致したわが国は、20年のドバイ国際博覧会から襷を受け、その成果をセルビアとサウジアラビアに渡してゆく責任を負う。

2025年から始まる未来への意識変革

 一方で国際博覧会の開催は、大阪や関西にどのような効果をもたらすのか。開催費用が上振れしたことを受けて、その波及効果が求められている。

 観光業界では、大阪・関西万博による集客への期待値が高い。インバウンド客の増加を見据えて、大阪ではホテルの開業が相次ぐ。商店街や土産物業界も準備に怠りはない。

 博覧会場では連日、各国のナショナルデーが開催され、当該国の政府代表団やビジネス関連のミッションが大阪をはじめ関西各地を訪問する。国際会議も多く予定されている。

 重要なのは、万博特需を一過性としない実践である。70年万博で例えると、東海道新幹線を利用する団体旅行が一般化した。万博後の冷え込みを懸念した国鉄は、新たな旅行ブームを生むべく、閉幕1カ月後にディスカバー・ジャパン・キャンペーンを始めた。大阪・関西万博も同様に、そのレガシーを生かし、新たな意欲的な国際観光の振興を閉幕後も継続する発想と実践が求められる。

振り返れば70年万博は、日本が戦後復興を経て国際社会に復帰した証であり、同時に高度経済成長の成果を示す祭典であった。

 対して人口減少社会の中、実施される大阪・関西万博は、開催する意義が明確ではないという指摘がある。もちろん「国威発揚」を掲げて、大規模な国家事業を行う時代ではないだろう。

 しかしバブル崩壊後の社会を経て、日本は再び技術立国を目指すのであれば、今回の大阪・関西万博を新たな国の姿を構築する端緒としなければいけない。私たちは「2025年から始まる未来」に意識を切り替えるべき段階にある。大阪・関西万博では、陳腐な紋切り型の未来の理想社会像ではなく、日本発の「見たこともない素晴らしい未来」の可能性が示されることを期待したい。