1985年、日本の通信が自由化された。KDDIの髙橋誠会長は、当時の第二電電社員としてその幕開けを最前線で迎えている。以来40年。長距離通信から始まった会社は、その後携帯電話事業に進出、そのプラットフォーム上で多くのサービスを提供するようになり、今やその多くがわれわれの生活にはなくてはならないものになっている。髙橋会長は、常にそうした新しい試みに立ち会ってきた。聞き手=関 慎夫 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2026年2月号より)
髙橋 誠 KDDIのプロフィール
たかはし・まこと 1961年滋賀県生まれ。84年横浜国立大学工学部金属工学科を卒業し京セラ入社。同年第二電電設立に伴い転籍。auモバイルインターネットビジネス部部長などを経て2003年執行役員、07年取締役。新規事業や経営戦略などを担当し18年社長に就任。25年4月会長に就任した。
一部上場企業から通信ベンチャーへ転籍
―― 2025年4月に会長に就任しましたが、社長7年間で、売り上げを1兆円近く伸ばして約6兆円に、営業利益は1兆円を超えました。
髙橋 KDDIは2000年の発足以降、20年以上増収増益を続けていました。ただ本格的な人口減少時代に突入するなど、経営環境は厳しくなる。その中でどうやって持続的成長をするかが一番大きな課題でした。
―― そのためにどのような戦略を立てたのですか。
髙橋 私は社長に就任する前から経営戦略本部を担当していました。その時代から、新規事業に力を入れるとともに「ライフデザイン」という言葉を前面に出していました。つまり通信以外の付加価値領域を伸ばすことで会社全体の収益を上げていくことに力を注いできたのです。自分が社長になったのも、こうした経歴に期待してのことと考え、それによって右肩上がりの成長をしていこうという絵を描いていました。
―― 髙橋さんはKDDIの前身、第二電電創業時からのメンバーです。それだけ通信に対する思いも強いと思うのですが、その通信のプロが通信以外の新規事業を担当したわけですね。
髙橋 通信のプロといいますが、もともと私は大学で金属工学を学び、京セラに入社しました。京セラはベンチャー企業という面白さもありましたが、故郷である滋賀に近いところに戻りたいという思いもありました。当然、この段階で通信のことなど全く考えていません。ところが京セラが第二電電を新規事業として立ち上げることになり、そこに放り出された(笑)。しかも最初は出向だと思っていたのに、転籍だという。
―― 一部上場企業に入社したはずが、それまで日本には存在しなかった通信ベンチャーへの移籍です。不安はなかったですか。
髙橋 当時は一部上場の意味も分かっていなかったし、それよりも新しい事業をやることのワクワクのほうが強かった。だから転籍と言われても「どうぞいいですよ」という感じでした。世の中的には、ドロップオフと映ったかもしれません。でもそんなことは全く気になりませんでした。
大学卒業時、理科系学生は引く手あまたで大企業も選び放題でした。だけど大きな会社の歯車になるよりも、一人一人の能力や頑張りを認めてくれるほうが自分に向いていると考えてベンチャー企業の京セラを選んでいます。そのベンチャー企業が新しいベンチャー企業をつくる。それが第二電電でした。
その後も携帯電話に参入すると、新規のインターネットサービスである「EZweb」も担当しています。そういう意味で常に新しい事業に取り組んできたのが私の経歴で、それが自分の性分に合っていたんでしょうね。これは社長になっても変わりませんでした。
携帯インターネットで学んだ「パートナーファースト」
―― 新しいことを始めるには当然リスクも付きまといます。しかもVUCAと言われるほど先が見えない時代です。その中でどうやって先を見通しているのですか。
髙橋 年を重ねるとだんだん朝が早くなってきます。朝になると日経電子版が配信されます。それでまずそれを読む。そして記事の中には、これは自分たちもできるんじゃないかということが、勘違いも含めてたくさん書いてある。そのあと、出社して、部下を呼んでこれはできないか、あれはできないか、という話をします。新規事業を担当している社員は社員で、常に新しいことに飢えている。そういう中からの取り組みもけっこうあります。
日本企業は、下から上がってきたものを採点して、それをさらに上げて採点する。それを繰り返して物事を動かしていくところがあります。だけど今の時代は、トップがこういうことをやりたいという意思を通すことが大事になっています。幸い私はずっとそれを続けることができました。これからもそうでありたいし、そういう組織であってほしいですね。
―― KDDIは他領域の企業との提携も積極的に行っています。それが新規事業にもつながっています。
髙橋 ターニングポイントはモバイルインターネットとの出会いでした。日本は世界に先駆けて携帯電話によるインターネット利用を実現しました。そこに携わらせてもらったことで、ビジネスの捉え方が大きく変わりました。
それまでの通信会社は、自分たちのことは自分たちでやるという企業文化でした。自分たちでインフラを構築し、通信サービスも自分たちで行う。ところがモバイルインターネットによって通信インフラはオープンプラットフォームとなりました。プラットフォーム上でコンテンツプロバイダーと一緒にお客さまにサービスを提供する。ビジネスモデルが大きく変わりました。
この時に意識したのが、創業者の稲盛和夫さんのフィロソフィである「利他の心」です。コンテンツプロバイダーと共存しながらサービスを提供する。パートナーが儲けることができればわれわれも儲けることができる。そしてそれが全体のサービスの底上げにつながる。この循環のビジネスモデルを学ぶことができました。
これは現在の新規事業にもつながります。自分たちにないリソースを得るためにも、ベンチャー企業への投資など他社との提携は不可欠です。ところが大企業が投資する場合、すぐに見返りを求めがちです。そうではなく投資先の成長をリターンよりも優先して考える。それがいずれはリターンにつながる、という考え方です。これはできそうでなかなかできない。でも利他の心に基づけばこれは当然のことです。利益ファーストではなくてパートナーファースト。これが基本です。
私が社長の間だけでも自然災害があったり、大規模な通信障害など予期せぬことも起こったりしました。特に2022年の通信障害の時は社員にも不安が広がりましたが、結果的にはこの経験が自分の会社が世の中に対してどのような貢献をしているのかを、より深く考えるきっかけになりました。
22年からスタートした中期経営戦略の中に「サステナビリティ経営」を盛り込んでいます。これはパートナーとともに社会の持続的成長と企業価値の向上を目指すというものです。これを繰り返し社員に語りかけ、浸透させていきました。
―― 具体的にどんな活動を行ってきたのですか。
髙橋 就任した18年から「ワクワクツアー」を開催して、社員と触れ合うようにしてきました。ワクワクを提供できる会社になりたいというところから名付けました。実際に社員の前で話すとともにオンラインでも視聴できます。社長時代の7年間で計67回、毎年1万4千人が私の話を聞いています。さらにはコロナ禍の20年からは放送設備を利用して「社長タウンホールミーティング」を始めました。全部で23回、毎回1500人ほどの方が視聴しています。こうした対話や平易な言葉で繰り返し伝え続けることを通じて、サステナビリティ経営の浸透を図ってきました。
ベンチャー投資の際は相手の事務所を訪れろ
―― いろいろな会社とコラボしてきましたが、髙橋さんはどのような会社に魅力を感じますか。
髙橋 私はベクトルを大切にしています。ベクトルが合って同じ方向に進んでいける人を信頼しますし、企業としても社員が同じベクトルを向いていれば強い。
これは自分の経験とも重なります。先日、第二電電がスタートした当初に一緒に働いていた仲間と会う機会がありました。そこで口を揃えて語ったのが、スタートからの3、4年はものすごく凝縮されていたということでした。一緒にスタートした新電電(1985年の通信自由化によって誕生した通信会社)の日本テレコム(JR系、現ソフトバンク)、日本高速通信(日本道路公団・トヨタ自動車系、のちにKDDと合併、その後KDDIに)がそれぞれ鉄道と高速道路に光ファイバーを通せばいいのに対し、われわれは何もないのでマイクロ波のネットワークを一からつくらざるを得なかった。でも何も疑わず、日本の電話を安くするとの思いのもと、全員がベクトルを合わせていました。このように迷わずまっすぐ走る集団は本当に強い。
―― 実際、新電電スタート時、第二電電は圧倒的不利だと言われていたのに、フタを開けたら他を圧しました。苦しい思いもしたでしょう。
髙橋 やっている本人からすると、そんなに大変ではありませんでした。毎日朝から晩まで働いていたけれど、やることが明確だったため楽しくてしかたなかった。
今もスタートアップの人たちと付き合っていますけれど、彼らも同じ心意気があります。それを知るためにも、私はスタートアップに出資を決断する時は必ず先方のオフィスに行くようにしていました。豪華な事務所を構えているようなスタートアップより、小さくても社員が同じベクトルで一生懸命に働いている会社のほうが絶対にいい。オフィスを訪れることでそれが分かります。
それに訪問することでお土産もたくさんもらえます。それはモノではありません。先方がこちらに来る場合、せいぜい2、3人。トップと事業の責任者や財務責任者が来て、出資してください、という話になる。ところがこちらから行くと、どうせ来たからには自分の話を聞いてほしいと、いろんな社員が自分のやっていることを説明してくれる。これが楽しい。私にとってのお土産はこれで、会社に持ち帰って、社員に話す。それが次のビジネスにつながる可能性もあるわけです。
―― 話を聞いていても髙橋さんのベンチャー企業好きが分かります。もう一度スタートアップの経営をやりたいのではないですか。
髙橋 新規事業は楽しいです。社員全員の名前が分かり、忘年会をみんなで一緒にできるくらいの組織をもう一度率いてみたいという思いがなくはありません。ただその一方で、企業の規模が大きくなることでチャレンジのスケールが大きくなることも間違いありません。例えば24年にKDDIはローソン株の50%を取得しました。投資額は約5千億円。これだけの投資ができるのも、KDDIの規模があるからです。
通信事業を核に新規事業は衛星
―― 今後KDDIが成長を続けるには何が必要だと考えていますか。
髙橋 持続的成長というのは簡単ではありません。私が社長だった時にインパクトが大きかったのは携帯料金の引き下げ(2020年)です。これは千億円単位の減収要因となり、その中で増収を続けるには大変な思いもしました。それを乗り越えられたのも、社会の持続的成長への貢献が認められたからだと思います。そのためにも企業のフィロソフィだけはしっかりと継続してほしいですね。
―― 逆にいえばフィロソフィ以外なら何を変えてもいいわけですね。 髙橋 以前、新規事業の担当部署の社員に、「通信のことは忘れよう」と言ったことがあります。新しい事業をつくるには、新しい考え方が必要だと考えたからです。でもそれではこぢんまりとしたものしか出てこない。自分の経験からしても、半分は通信事業のために、半分を自由に、という事業のほうが、通信事業の応援も得られるために大きく伸ばすことができる。
それが今の「サテライトグロース戦略」につながっています。これは中心に5G通信をベースにデータドリブンと生成AIを置き、その周りに衛星のように付加価値サービスを置いて成長させていこうというものです。その意味で、核はやはり通信事業。高品質・高信頼を大切にしながら、これを活用して事業を大きくしていく。これが基本的なスタンスです。
通信障害があってから、技術を中心に全社をあげて通信ネットワークの品質向上に頑張って取り組んできた結果、今では世界でナンバーワンの通信ネットワーク品質の評価をいただけるようになりました、また、松田(浩路)新社長のもと、Starlinkで、空が見えればどこでもつながるようにもなっている。
当社は2030年ビジョンで「『つなぐチカラ』を進化させ、誰もが思いを実現できる社会をつくる。」を掲げています。お客さまの命・暮らし・心をつなぐことを使命に、通信をベースとした両利きの経営を実行し、常に新しい価値づくりに挑戦し続け、それをお客さまに提供し続けることが大事だと思っています。