脱炭素とエネルギー安保の要、水素。川崎重工は「つくる・はこぶ・ためる・つかう」を一気通貫で担う世界唯一のサプライチェーン構築に挑む。液化水素運搬船で海を越え、新たな動脈をどう築くのか。水素協議会前共同議長として世界を牽引した金花芳則会長に、海洋経済の役割と次世代への覚悟を聞いた。(雑誌『経済界』2026年5月号より)
金花芳則 川崎重工業のプロフィール
かねはな・よしのり 1954年兵庫県生まれ。76年大阪大学基礎工学部卒業、川崎重工業入社。車両カンパニープレジデントなどを経て、2016年代表取締役社長、20年6月より会長職。22年1月から2年半にわたり水素協議会共同議長を務め、世界の水素社会実現を牽引。
技術の「掘り起こし」で挑む 世界初のサプライチェーン
―― まず、川崎重工が水素に着目された経緯からお聞かせください。
金花 われわれが会社として水素に戦略的に取り組もうと決断したのは、15年前のことです。当時、社内のカンパニー横断で何ができるか検討した際のキーワードが「液化水素」でした。当社は50年以上前から種子島のロケット射場設備を手掛けており、燃料の液化水素を扱う技術を保有しています。さらに、石炭や天然ガスを改質して水素を「つくる」技術もあります。
そして「はこぶ」技術です。当社は40年以上前に国内初のLNG(液化天然ガス)運搬船を建造しました。マイナス162℃のLNGよりさらに低いマイナス253℃の液化水素を扱う極低温技術の蓄積もあります。これらを組み合わせれば、水素をつくって液化し、船で運び、タンクに貯め、エンジンでつかうところまで、一気通貫のサプライチェーンを1社で構築できると考えたのが始まりです。
―― 15年前から、すでに脱炭素社会の到来を予見し、技術の棚卸しをされていたわけですね。
金花 そうです。水素を使えば脱炭素が可能になる。技術はすべて手元にある。ならば、世の中よりも一歩早く、川崎重工が脱炭素の世界をつくろうと決意しました。以来、歴代社長が社運を懸けて引き継ぎ、多額の投資を続けてきました。
また、かなり早い段階から政府にも働きかけを行ってきました。その結果、日本は2017年に世界初の「水素基本戦略」を策定しました。これにはわれわれの働きかけも寄与しています。日本にはLNGを扱ってきた技術の蓄積があり、国として水素を推進していくべきだと訴え続けてきたのです。
―― 政府との連携により、具体的なプロジェクトも進んでいます。
金花 国の支援を受け、5年前に液化水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」を建造しました。神戸に受け入れ基地をつくり、オーストラリアとの間を往復して、液化水素を大陸間で船で運べることを実証しました。これは世界初の快挙であり、日本はこの分野で世界をリードしています。
現在はGI(グリーンイノベーション)基金の採択を受け、商用スケールへの拡大を進めています。総額3千億円規模のプロジェクトで、積載量をパイロット船の75トンから約2500トンへ、船体も200メートル超の大型船にする計画です。30年には商用スケールでの水素供給を開始する予定です。
―― 金花さんご自身も、国際的な枠組みの中でリーダーシップを発揮されています。
金花 日本の水素基本戦略が策定された17年、ダボス会議で「水素協議会」が発足しました。フランスのガスメーカー、エア・リキードやトヨタ自動車などが発起した、水素普及を目指すグローバル組織です。当社も創設メンバー13社の一角として参画しました。
当初は理解が浅かった水素も、加盟企業が150社近くまで増えた今、世界的な潮流となりました。私は22年から共同議長を務め、世界各地で水素の重要性を訴えてきました。近年の世界的な水素ブームには、協議会の活動が大きく貢献しています。
単なるプロモーションだけでなく、IMO(国際海事機関)などと連携し、液化水素運搬の国際ルールや安全基準の策定にも深く関与しています。技術とルール、この両輪が揃って初めて、市場は動き出すのです。
エネルギー安全保障の鍵を握る「海」と「船」
―― 電気やガスなどさまざまなエネルギーがある中で、なぜ今、水素が必要なのでしょうか。
金花 大きな理由は2つあります。1つは脱炭素です。化石燃料を燃やせばCO2が出ますが、再生可能エネルギーは天候に左右され安定しません。その補完として水素は極めて有効です。
もう1つはエネルギー安全保障です。化石燃料の産出地は偏在していますが、水素は安価な再エネがあれば世界中でつくれます。しかし、日本のような需要地へ遠隔地から大量に運ぶには「海」が舞台になります。近隣であればパイプラインで運べますが、大陸間輸送には船しかありません。EUの技術レポートでも、水素運搬のベストな媒体は液化水素だと評価されています。アンモニアは水素に戻す際にエネルギーロスが生じるためです。日本のエネルギー安全保障上、世界中から水素をつくり、液化して船で運ぶサプライチェーンを持つことは極めて重要なのです。
―― 空輸、つまり飛行機で運ぶことは難しいのでしょうか。
金花 液化水素は、マイナス253℃という極低温ですから、断熱が非常に難しいのです。空気で断熱しようとすると、酸素や窒素が凍ってしまいます。そのため、われわれの船やタンクは魔法瓶のように二重構造にして間を真空にする「真空断熱」を採用しています。これを飛行機で行うのは重量や構造の面で非効率です。大量かつ効率的に運ぶには、やはり船による海上輸送が最適解なのです。
―― 海を守り、活用するという点では、川崎重工はAUV(自律型無人潜水機)の開発も進めています。
金花 そうですね。私が社長時代に立ち上げたプロジェクトです。当時、北海などの海底パイプライン点検の莫大なコストを削減するため、母船からの遠隔操作を無人化できないかと考えたのが発端です。
当社には潜水艦の建造技術とロボット技術があります。この2つを融合させ、AUVにロボットアームとセンサーを取り付け、自律的に亀裂などを検査するシステムを開発しました。現在ではその用途が広がり、船底の清掃や、着床式洋上風力発電のケーブル点検、さらにはレアアースの探査など、多岐にわたる海洋インフラの維持管理に活用できると考えています。
特に海底ケーブルは通信や電力の要であり、これを守ることは経済安全保障の観点からも極めて重要です。人の手では届かない深海インフラをロボットで守る。これは海洋国家・日本の強靭化にも直結します。
―― 洋上風力発電といえば、メンテナンスの課題も指摘されています。
金花 海の上に巨大な風車が林立する時代が来れば、点検や補修は大きな課題です。そこでわれわれが開発してきた無人ヘリコプター「K-RACER」が貢献できると考えています。ドローンとは異なりオートバイのエンジンを搭載しているため、200キログラムもの荷物を運ぶことができます。現在、北欧のスタートアップと協力し、風車のブレード(羽根)の前縁を修理するロボットをこの無人ヘリで運搬する実証実験を行っています。従来は人力で行っていた危険で高コストな作業を無人化する。こうした「ものづくり」の力が、海洋経済の現場を支えていきます。
コストの壁を越え 次世代へ「つなぐ」責務
―― 30年の商用化に向けた最大のハードルは何でしょうか。
金花 やはりコストです。「鶏と卵」の関係で、大量に使えば安くなりますが、高いから使われない。このギャップを埋めるため、政府支援が不可欠です。日本ではGX(グリーントランスフォーメーション)移行債を活用し、化石燃料との価格差を15年間支援する制度が始まりました。官民一体で取り組むことで、ユーザーが既存燃料と同じコスト感覚で使える環境を整うと考えています。
同時に、世界ではカーボンプライシングの導入が進んでいます。欧州のCBAM(国境炭素調整措置)や日本のGX-ETS(排出量取引制度)により、CO2排出にコストがかかるようになります。化石燃料の実質コストが上がり、技術革新で水素コストが下がれば、いずれ均衡します。欧州の製鉄業界などでは、すでにCO2フリーへの移行が競争力の源泉になりつつあります。
―― 水素の利用拡大には、大規模な需要創出が不可欠です。海洋経済の観点から、どのような分野での利用が期待されていますか。
金花 やはり発電と産業用エネルギーです。臨海部には製鉄所や化学プラント、発電所が集中しています。例えば製鉄業では、石炭の代わりに水素を使う「水素還元製鉄」への転換が急務です。当社はすでに水素専焼ガスタービンの技術も確立しており、海外から船で運ばれた大量の水素を、臨海部でそのままエネルギーとして使えます。
港が単なる物流拠点から、クリーンエネルギーの供給拠点、いわゆる「カーボンニュートラルポート」へと変貌する。臨海コンビナートが脱炭素化されれば、そこから生み出される製品の国際競争力も高まります。港湾を起点とした産業構造の転換こそが、海洋経済における水素のダイナミズムだと考えています。
―― 結果が出るまで長い時間を要するこの事業にあえて挑み続ける、メーカーとしての「覚悟」をお聞かせください。
金花 その根底にあるのは、やはり川崎重工という会社が持つ技術の独自性です。上流から下流まで、サプライチェーン全体を1社で構築できる企業は世界でも稀です。この強みを生かし、社会課題を解決することは、技術を持つメーカーとしての責務だと感じています。
そして何より、未来への責任です。最近は異常気象が常態化し、危機感が薄れつつあるかもしれませんが、今の10代や、これから生まれてくる子供たちにとって、気候変動は生存に関わる深刻な問題です。彼らが大人になった時、地球が豊かな環境を保っていられるか。それは今を生きるわれわれの行動にかかっています。
結果が出るのは50年先かもしれません。誰かが今、種をまかなければ未来は育たない。その先陣を切る覚悟を持って、この事業を完遂します。