九州の北方、国境の島・対馬。日本一の海洋ごみ漂着量と水産資源の枯渇に直面するこの島は、まさに環境変化の最前線にある。対馬市役所の前田剛氏への取材から、企業の経済活動が環境に及ぼす「外部不経済」の実態を詳らかにし、ビジネスパーソンが直視すべきリスクと持続可能な海洋経済への転換を考察する。(雑誌『経済界』2026年5月号より)

前田剛・対馬市役所
対馬市SDGs戦略課副参事兼係長の前田剛氏

海洋経済の「不都合な真実」

 朝鮮半島との間に横たわる国境の島、対馬。海流と風が交差するこの島は、地政学的位置ゆえに東アジア全域から排出される海洋ごみの「防波堤」となっている。

 「現場の出来事は海中で見えにくい」。実態把握に奔走する対馬市役所・前田剛氏の言葉は現状を的確に表す。

 長崎県雲仙市出身の同氏は、実家が造船業を営む環境で育ち、幼少期から海が身近にあった。対馬に移住して20年、現在はSDGs担当として海洋問題の最前線に立つ。彼を突き動かすのは次世代への責任感だ。小中学校での出前授業を通じ、ごみに覆われた海岸や磯焼けで魚が消滅した海を、今の子どもたちが「日常」として受け入れていることに葛藤を抱いた。環境破壊を招いたのは過去から現在に至る大人たちの経済活動である。未来の課題解決を子どもに委ねることは許されない。自らの世代で悪循環を断つという使命感が活動を支えている。

 彼が対峙するのは離島固有の問題ではない。大量生産・大量消費を前提とした現代資本主義経済のひずみの表出だ。

 過去の対馬は穴子やヒジキ等の水産物を大都市へ供給する「食の宝庫」だったが、その供給網は崩壊の危機にある。

 「ここ10年、20年で海中は変化し、漁師たちは『海は熱帯だ』と口を揃えます」と前田氏は指摘する。

 海水温の上昇は深刻な影響を及ぼしている。本来対馬で獲れたブリが北上し、北海道ではサケが不漁となっている。適水温を求めて移動できる魚類と違い、移動できない海藻類への影響は致命的だ。南方系の魚種が活動域を広げ海藻を食い尽くす磯焼けが拡大し、過去50年で対馬の海藻類は99%消失した。

 出汁文化を支える海藻が手に入らなくなる未来は、数年以内に現実となりかねない。

 激変の主因の1つが、新興国を含む世界の経済活動に伴うCO2排出であることは明白だ。人類が利便性を享受し成長する過程で排出した負荷が、離島の生態系を破壊する外部不経済の典型例である。

 世界的な人口増加に伴う「プロテインクライシス」も追い打ちをかける。資源が減少する日本は「買い負け」のリスクにさらされ、輸入依存と価格高騰は避けられない。都市部の消費者が自らの食卓と対馬の異変が直結している事実を認識しない限り、負の連鎖は続く。

漂着ごみが映す グローバル経済の歪み

 対馬の海岸線には、年間数万立方メートルと推計される膨大なごみが漂着する。

 前田氏は日本から輸出した廃プラスチックの行方に懸念を示す。日本は廃プラの約3割を東南アジアへ輸出するが現地の処理体制は万全ではない。「川岸に野積みされたごみが豪雨で流出し、海流に乗って対馬へ戻る可能性があります」。分別への過信が巡り巡って自国の海を汚す構図が浮かび上がる。

 海外から漂着する漁具も経済の歪みを映す鏡だ。対馬には海外製の漁具や薬剤容器が多数漂着するが、背景には低価格を求める市場の圧力がある。

 輸入海苔の養殖で使用される青色のポリタンクが顕著な例だ。安価な輸入品への需要が高まる中、近隣諸国の養殖業者はコストを抑えるため違法な消毒液を使用し、摘発を逃れるために容器を不法投棄する。外国漁船が境界付近で穴子漁の違法操業を行い、証拠隠滅のために漁具を投棄するケースも確認されている。

 国内漁獲量の減少により流通業者は安価な輸入品を求める。流通側が買値を抑えれば、海外の生産者はコスト削減のため使用済みの漁具を海洋投棄する。消費者が安価な海産物を購入する裏側で、対馬の海に負荷がかかる。利益と安さの追求が共有財産である海洋環境を損なう構造がここにある。

 海洋ごみ対策に年間30億円以上の国費が投じられるが、新たなごみが漂着し続けるため対症療法的なやり方では限界がある。

 要求されるのは発生抑制だ。企業の取り組みはCSRにとどまりがちだ。環境対策に取り組む企業ほど価格競争で不利になるジレンマが存在する。求められるのは、ボランティア活動からビジネスのルールを変える動きへの転換である。

 一部の先進企業は業界の垣根を越えた資源循環の仕組み作りに着手した。競合他社と連携し共通課題として取り組む姿勢が今後のスタンダードとなる。適正価格には環境保全コストが含まれるという理解を広め、エシカルな消費行動を促すことも企業の役割だ。

 前田氏は問題の本質を伝えるため、都市部の企業経営陣を対馬へ招き現場視察を続ける。惨状を確認した経営者たちは事業活動の結果を直視し、洗剤の量り売り試験導入や企業連合結成など具体的な行動へ波及している。「クライメート・ジャスティス(気候正義)」の議論と同様、海で起きる不均衡な現実を「正義」として経済界に伝達することが自らの存在意義だと同氏は語る。

 「対馬の海で起きている異常事態を、次世代への負の遺産として残してはならない」  海洋環境においても、被害を受ける地域と原因を作る地域の間に不均衡が生じている。海洋国家・日本の企業としてこの警告をどう受け止めるか。サプライチェーン全体を俯瞰し外部不経済を内部化する経営へ舵を切ることが2030年、40年の生存戦略となる。対馬の海はその試金石として警鐘を鳴らし続ける。

対馬の海岸に漂着する海洋ごみ。掃除しても、すぐに元通りになってしまうイタチごっこの繰り返し
対馬の海岸に漂着する海洋ごみ。掃除しても、すぐに元通りになってしまうイタチごっこの繰り返し