これまでの海は水産物を得る場であり、物を運ぶ道であった。近年の技術の進歩と地政学的な環境の変化は、海の価値を根底から書き換えた。洋上風力による電力の自給や、深海に眠る巨大な鉱物資源の開発である。エネルギーと資源の輸入国という宿命を覆す、日本の海洋が秘める潜在力を提示する。(雑誌『経済界』2026年5月号より)
市場の変化と経済安全保障を軸とする国家戦略
日本の海洋ビジネスを取り巻く環境は、直近の20年間で構造の劇的な変化を遂げた。
過去の海は、水産物の獲得や海上輸送といった空間利用が主役であった。深い海や沖合は技術の壁に阻まれ、経済活動の対象外と見なされてきた。
地球規模の気候変動問題と、特定国への資源依存が生む地政学的な危機が、この海の価値を変容させる最大の要因となった。世界の市場は脱炭素社会の実現に向けた技術開発へ巨額の資金を振り向け、海洋空間を再生可能エネルギーの無尽蔵の生産拠点と位置づける動きを加速させた。電気自動車(EV)や先端半導体の製造に不可欠な重要鉱物の確保が、企業の存亡を左右する経営上の重い課題として浮上した。
世界の市場の変化に対し、日本政府は海洋を国家の成長を牽引する中核的な空間として再定義した。高市早苗内閣総理大臣は今年の2月20日の施政方針演説で、総理就任前から旗印に掲げていた「責任ある積極財政」を再び強調した。
長年の緊縮志向との決別を宣言し、本丸の政策として、エネルギーや資源の安全保障上の危険性を最小化する「危機管理投資」の推進を明言した。海洋基本計画の中核には、総合的な海洋の安全保障の概念が明記されている。海上の交通路の安全確保と並行して、自国の排他的経済水域(EEZ)における資源探査と開発の推進を国の責務として明確化した。
日本はこれまで、資源小国という前提のもとで海外から原料を輸入し、加工貿易で富を創出する体制を経済の基本線としてきた。高市政権は、先端技術への集中的な投資により、自国の海から独自の資源やエネルギーを産出する「資源創出国」への転換を目指している。
経済安全保障の枠組みを活用した海洋開発への資金の投入は、海を次世代の産業競争力を決定づける生存戦略の舞台へと押し上げている。技術の掛け合わせにより、国家の電力を賄い、産業の心臓部となる鉱物を供給する巨大な生産工場への変貌の時期を迎えている。日本の海が秘める潜在力の解放は、停滞の続く日本経済を成長の軌道へ乗せる突破口となる。
海洋風力がもたらす エネルギー自立と輸出の道
日本の海洋の潜在力を示す最大の領域が、海上の風の力を利用する洋上風力発電である。日本周辺の海は急勾配で深くなる地形であり、海底に支柱を固定する着床式の設備の導入には限界があった。この地形の壁を壊した技術が、海上に設備を浮かべる「浮体式」の風力発電の進展だ。
浮体式の技術を広い海域で活用した場合、日本の海が秘める風力発電の導入の可能性は、1千GW(ギガワット)を超える水準との専門機関の試算がある。この数字は、現在の日本国内におけるすべての発電設備の容量の数倍に達する巨大な規模である。政府が目標に掲げる2050年の温室効果ガスの排出ゼロ達成に向けた国内の電力需要の全量を満たし、莫大な余剰電力を生み出せる。
洋上風力の真の価値は、国内の電力を賄う枠に収まらない。海の上で生み出した莫大な余剰電力を利用し、海水を電気分解してクリーンな水素や、それを用いた液化アンモニアを製造する技術の実用化が目前に迫っている。製造した次世代の燃料を海外へ輸出する供給網を構築できれば、日本はエネルギーを海外から買う国から、世界に向けてクリーンエネルギーを売る国へと立場を逆転できる。
中東の化石燃料への依存を終わらせ、自国の海から無尽蔵のエネルギーを生み出し、海外市場へ供給する。この青写真の実現は、国内産業の構造を根底から作り変える。出力が15MWを超える巨大な風車は、高さが260メートルを超えて東京タワーの規模に迫り、数万点に及ぶ部品の塊である。巨大な浮体構造物の製造には、日本の鉄鋼業や炭素繊維産業の高度な素材技術の投入が必須となる。
海上の浮体構造物の溶接や組み立ての技術は、洋上風力の土台作りの分野で復活の機会を得る。日本企業が強みを持つ蓄電池の技術や、海底の送電ケーブルの敷設技術との融合は、世界市場の需要を丸ごと取り込む構想の実現を支える。風車の製造から、海への設置や組み立てを担う港湾の整備、そして稼働後の保守や管理に至る一連の過程は、裾野の広い製造業の雇用を地方の沿岸部へ生み出す。海外の化石燃料の購入による国富の流出を防ぎ、国家の貿易収支の構造を恒久的な黒字の体質へと作り変えるのである。
環境負荷の低さが導く 深海資源の計り知れない価値
エネルギーと並び、日本の海が持つもう一つの潜在力が深海に眠る鉱物資源「レアアース泥」の開発だ。高市首相も「南鳥島周辺海域の海底のレアアース資源の活用に向け、取組を急ぐ」と強い意欲を示し、国策としての期待が高まる。
EVのモーターや風力発電機に不可欠なレアアース(希土類)は、世界の生産量の70%、精錬工程の90%以上を中国が占める供給構造だ。日本も海外からの輸入に頼る構造の維持を強いられる中、昨年の4月および今年の1月に発表された中国の輸出規制は、先端産業に対する供給途絶の危険性を突きつけた。
米国やオーストラリアなどの主要国が多国間の連携による供給網の構築の動きを加速させる中、一極集中構造を根底から変える希望の光が日本の深海に眠っている。
南鳥島沖の海底に存在が報告されている、世界全体の需要の数百年分に相当する推定1600万トンのレアアースを含む泥だ。
陸上の鉱床で課題となる環境保護上の壁を突破するクリーンな資源である点が、この深海資源の真の価値だ。日本の海底から採れるレアアースは陸上の鉱床と異なり放射性物質をほとんど含まない。
水深6千メートルの高水圧の海底から泥を引き上げる技術の全容や、脱中国依存へ向けた産業界の代替技術の詳細は本誌21ページで触れるが、今年の2月に地球深部探査船を用いた泥の連続的な引き上げ試験に成功した。来年には1日当たり350トンの泥を掘り出す実証試験の予定が控えており、将来的な採算の境界線となる1日3500トンの商業化に向けた歩みが進んでいる。
この未踏の採掘技術の確立は、レアアース単体の確保に終わらない。メタンハイドレートやコバルトリッチクラストといった、別の海底資源の開発への波及効果を生む。
自国の環境負荷の低い資源を活用した供給網の構築は、世界中の産業が望む安定調達の要となる。四方を囲む海は、脱炭素社会を駆動するクリーンエネルギーの巨大な生産工場であり、先端産業を支える資源の宝庫である。資源小国という壁を打ち破り、日本が次世代の経済大国として新たな歴史を刻む歩みは、この広大な海を舞台として力強い幕開けを迎えている。