万博が幕を閉じてから、4月13日で半年が過ぎた。経済界を中心に熱を帯びているのが、万博の「レガシー」を、いかに経済の持続的成長へ結び付けていくかの議論だ。会場で示された最先端技術をどう実装していくか、国内外から押し寄せた人流を呼び込み続けられるか。課題は多い。文=ジャーナリスト/小田切 隆(雑誌『経済界』2026年6月号より)
展示の心筋細胞シートは薬事承認を得て医療現場へ
レガシーとは本来、故人が遺す「遺産」を意味するが、転じて「過去に築かれ、受け継がれていくもの」も指す。最近、万博のレガシーについて報じられるとき、大きく分けて次の2つの側面が注目されている。
1つは、万博で披露された最先端技術の商用化の動きだ。
パビリオンでは大阪大発ベンチャー「クオリプス」が開発した、人工多能性幹細胞(iPS細胞)による「心筋細胞シート」が展示されたが、このシートは今年3月、重症心不全の治療用として、条件・期限付きながら薬事承認を勝ち取った。
万博の目玉として技術が披露された「空飛ぶクルマ」も、日本航空と住友商事の共同出資会社が、2027年度以降の関西での運航開始を目指し、準備を進めている。
「万博で登場した先端技術は、いずれもすでにあった技術の展示にすぎない」などと冷ややかな声もある。しかし、実用化し、社会になくてはならないものになれば、今回の万博は、文字通り「未来の先駆け」だったと評価されるだろう。
また、レガシーは技術だけではない。来場者の思い出に刻まれる「ソフト」の継承も重要だ。
その象徴が、公式キャラクター「ミャクミャク」といえる。
日本国際博覧会協会(万博協会)は3月、ミャクミャクグッズの販売を28年3月まで2年間延長することを決めた。
開幕前は「気持ち悪い」と酷評されたミャクミャクだが、いざ始まると爆発的な人気を博し、集客の強力な追い風となった。
筆者も開幕直後、会場最寄りの夢洲駅から電車に乗り込み帰路につく若い女性たちが、ミャクミャクのぬいぐるみを抱えている姿を目にし、意外さに打たれた。
人気は閉幕後も冷めやらず、昨年10月中旬、東京都内の万博公式ショップの前で、グッズを買い求める客の長い列ができているのを目撃した。
今年3月時点で、ミャクミャクグッズの売り上げは約1300億円に達したという。販売延長により、万博会場の熱気が次世代に受け継がれていくことが期待される。
また、会場を彩った84のパビリオンも、3月下旬時点で20館以上の移築が決定している。
パソナグループのアンモナイト型パビリオンは兵庫県・淡路島に移される。ルクセンブルク館の一部は大阪府交野市の子育て支援施設に使われる。万博の記憶は各地で語り継がれていく。
空飛ぶクルマによる移動革命の社会実装
しかし、これらは氷山の一角にすぎない。より広範なレガシーを社会に還元していくには、官民挙げての取り組みが不可欠となる。
司令塔として期待されるのが、大阪府・市、関西経済界などが立ち上げた「未来創造会議」だ。
「オール関西で万博のレガシーを構築する仕組みを作りたい」
3月31日の大阪市内での初会合で、代表を務める松本正義・関西経済連合会会長は、こう述べた。
支援の対象を「次世代モビリティー」「再生医療」「スタートアップ」「カーボンニュートラル」の4分野とし、8月までに支援方針を決める。最大約370億円が見込まれる万博運営の黒字(剰余金)を活用し、研究成果の掘り出しから産業化までサポートする。法人化も目指す。
会議が決めたことは、政府の万博成果検証委員会の議論も踏まえている。2月27日に開かれた検証委の会合では、レガシーを継承し展開していくための基本方針を決定。①万博で創られた「つながり」の活用②万博を契機とした創造活動の深化・展開③夢洲の「場の記憶」の継承・展開――の3つを柱に据えた。
関経連が特に注目している一つが、空飛ぶクルマによる「移動革命」だ。3月には経団連が独自に、万博のレガシーとして空飛ぶクルマの社会実装を加速させる将来ビジョンを発表した。
具体的には、万博から10年後の35年、 空飛ぶクルマが日常的な移動手段として定着している姿を目指す。大阪ベイエリアを中心とした半径80キロ圏内で約100機が運航し、京都、奈良、和歌山といった主要観光地や、山間部・離島を結んでいるという未来図だ。実現に向け、関経連は次の4領域での取り組みの方向性を示した。
1つ目は、制度の整備と運用の適正化。離着陸場の整備基準や環境アセスメント、操縦士の資格要件など、実態に即したルールの早期策定を国に働きかける。
2つ目は事業の安定と成長。30年までの低密度運航期の民間投資への支援や、関西国際空港、神戸空港の既存施設を最大限活用した効率的な運用を進める。
3つ目は離着陸拠点の拡充。都市部で用地を確保するため、公共用地の提供や都市計画との連動を検討し、需要増に応じた空港設備の拡張も視野に入れる。
そして4つ目は、高度な運航管理。ドローンや既存のヘリコプターなどと空域を共有し、安全で高密度な運航を可能にする運航管理技術の研究開発に貢献する。
空飛ぶクルマによる「移動時間の圧倒的短縮」と「空からの景観」は、関西の広域観光圏としての魅力を大きく高めることになるだろう。
もちろん、最先端技術の社会実装を実現するには課題もある。
空飛ぶクルマに関する提言を例にとれば、制度の整備を国に働きかけていく上では、関西の経済界だけでなく、地元政治家や自治体トップが、政府や与党の国会議員らと太いパイプをつくり、粘り強く説得していかなければならない。
その観点では、大阪府と大阪市の行政を牛耳っている日本維新の会が現在、高市早苗政権と連立を組んでいるのは追い風だろう。もっとも、そうした状況がいつまで続くのかは予断を許さないが。
また、少しずつ実装を進める上で、たとえば「死の谷(デスバレー)」を乗り切る上での支援策が必要だ。
死の谷とは、新しい製品やサービスの開発後、本格的に普及し利益が出る状態に至る前に、資金が底を突いて事業が破綻してしまう空白期間のこと。
空飛ぶクルマを例にとれば、仮に商用運航が始まったとしても、初めは機体数もルートも少ないため、莫大な開発費や運営費を回収できない。
100機あれば、1機当たりのコストが下がる「規模の経済」が機能するが、数機しか飛んでいない段階では、維持費ばかりがかさむために赤字になりやすい「危険な時期」となる。
このような初期段階では、民間企業だけでリスクを背負いきれない。国や自治体による補助金を呼び水にし、「それなら投資しよう」という企業の背中を押して事業を軌道に乗せる「最初の勢い」を作る必要がある。
インフラ整備も、離着陸場や充電設備の整備には多額の費用がかかるため、公的支援により民間の負担をどこまで軽くできるかがカギとなる。
さらに忘れてはならないのは、目立たないながらも万博を支えた無数の中小企業に対する視点だ。
万博で中小企業は自社技術をパビリオンで展示しお披露目するだけでなく、「ある海外パビリオンのエレベーターの部品の一部の製造を請け負った」(大阪のメーカー)など、さまざまな関わり方をした。
しかし、「万博をきっかけに新しいビジネスが広がったかというと、そんなことはなかった。『参加だけでも意義があった』。それが私たちの総括だ」(別の関西の中小メーカー幹部)。
日本経済の屋台骨である中小企業がせっかくつくったビジネスの機会を広げ、将来へつなげていくことも一種のレガシーだ。そのために何ができるか、政府や自治体は支援の在り方に知恵を絞るべきだろう。
1970年万博の轍を踏まないために
このほか浮き彫りになっているのは、観光面での課題だ。
「万博期間中には1泊数万円だったホテルの宿泊費が、今では5千〜6千円程度にまで落ちていて驚いた」
こう語るのは、今年2月に東京から大阪へ出張に出かけた会社員の男性だ。確かに、宿泊予約サイトを見てみると、大阪の繁華街・ミナミのホテルの宿泊料金は、大人1人当たり1泊5千円台から7千円台のものも少なくない。価格が跳ね上がり、予約も取りづらかった万博期間中とは大違いだ。
それだけ宿泊需要が冷え込んでいるということで、前出の関西の中小メーカー幹部は「万博という巨大な特需が消え、高市首相の台湾有事発言などで中国からのインバウンドが激減したことが追い打ちをかけた」と分析する。
昨年4〜10月の開幕期間中の万博への来場者数は約2558万人に達した。政府の試算によると、経済波及効果は、来場者による消費や建設投資、イベントの効果などを合わせ約3・6兆円という。
30年に万博会場と同じ人工島・夢洲(大阪市此花区)で予定される、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の開業までは、万博に匹敵するようなビッグイベントが大阪では開催されない。その「エアポケット」をどう埋め、持続的な経済成長につなげるのか、取り組みを考え出すことが急務だ。
振り返ると、半世紀前の1970年大阪万博は、約6400万人の来場客を集め大成功を収めたが、閉幕後、むしろ関西経済は成長が鈍化し、国内総生産(GDP)に占める割合が低下するなど、「地盤沈下」の一途をたどった。オイルショックなどに加え、万博をその後の経済成長につなげる視点がなかったことが原因との指摘もある。
これからの関西も、国内外から人を呼び込む観光コンテンツの展開とともに、万博で紹介された最先端技術をいち早く実装し、投資を呼び込んでいくことが重要だ。
万博を一過性の「お祭り騒ぎ」に終わらせるのか、それとも、日本経済の改革の起点とするのか。関西、そして日本の持続的な成長を実現する上で、「ポスト万博」の今がまさに正念場だ。