サントリーホールディングス(HD)が第一三共ヘルスケアを買収する。サントリーHDが医薬事業にチャレンジするのは2度目のこと。しかも第一三共とはかつての因縁もある。それだけに業界内には驚きの声が上がる。なぜ再参入を決めたのか。文=ジャーナリスト/永井 隆(雑誌『経済界』2026年7月号より)
サントリーにとって2度目の医薬品参入
「第一三共は、ずいぶん前から一般用医薬品事業を売りに出していた。買わないか、という誘いは当社にも来た。しかし驚いたのは、買収したのがサントリーHDになったこと」(医薬品会社幹部)。
サントリーHDは、第一三共から一般医薬品の子会社である第一三共ヘルスケアを買収する。買収金額は2465億円。株式取得は今年6月から3回に分けて段階的に行い、2029年6月にサントリーは第一三共ヘルスケアを完全子会社化する。一方、第一三共は売却で得た資金をがん領域など医療用医薬品の研究開発投資に集中させていく。
このM&Aについて、「本当に驚いた。予想もしなかったから」(ライバルビール会社首脳)という声はビール業界からも上がる。医薬、ビールとそれぞれから驚かれるのは、一般医薬品の利益率が低いから、という理由だけではない。
サントリーにとっての医薬事業は、何かと因縁を含むからなのだ。
サントリーは1979年、医薬事業に一度参入した。しかし、2003年に撤退した歴史がある。しかもサントリーから事業を買ったのは、誰あろう第一三共(当時は第一製薬)だったのだ。サントリーの医薬事業に従事していた社員のほとんどすべては、第一製薬へ転籍した。05年、三共と統合して第一三共が発足。10年に社長に就任した中山讓治氏は、もともとはサントリーの社員だった。
今回決めたM&Aは、サントリーにとっての医薬への再参入。ブーメランのように、23年ぶりに医薬事業へと“出戻った”のだ。
さらに、もう一つ。09年7月に表面化して、翌10年2月に破談したキリンHDとサントリーとの経営統合をご記憶だろうか。戦後最大の酒類飲料業界の統合であり、世界市場に打って出るシナリオを両社は描いた。が、世紀の統合案は結局は流れてしまう。破談に終わった原因の一つになったのが、医薬事業だったのだ。
医薬から既に撤退していたサントリーは統合交渉の過程で、キリンに対し協和発酵キリン(現・協和キリン)を中心とする医薬事業を、数年以内に売却するよう提案した。
新薬開発には巨額の資金が必要なことを熟知していたサントリーは、「規模に劣る協和発酵キリンが、世界の医薬品大手と競争するには限界がある」と主張した、とされる。経営統合の目的は、世界有数の酒類飲料メーカーとなって世界に打って出ることにあり、金と時間のかかる医薬は足かせになるというわけだ。これに対し、医薬事業を成功させて利益を得ていたキリンは徹底して拒否した。
それから16年を超える時間が経過したが、当時統合交渉に当たったキリン幹部は「一般医薬品とはいえ、サントリーが考えを変えたのには驚いた。あのとき統合できなかったのは、サントリーが『キリンも医薬を売却してほしい』と言ってきたからなのに」と、不快の念を露わにする。
なお一般用医薬品とは医師の処方箋を必要としないで、薬局やドラッグストアで購入可能な薬を指す。市販薬などとも呼ばれ、第一三共ヘルスケアの製品では総合カゼ薬の「ルル」、鎮静剤「ロキソニン」が有名だ。一方、新薬を一つ開発するには、10年の歳月と500億円の資金が必要とされる。しかも、必ず開発が成功するとは限らない。がん領域ともなれば、時間もお金もさらに必要だ。
そもそもサントリーが創業80周年に当たる1979年に医薬に進出したのは、「超酒類企業」という未来像を描いたため。高度経済成長が終わり、酒類に次ぐ新しい経営の柱として医薬を立ち上げた。『日々に新たに サントリー百年誌』には、第2代社長で、本来は大阪大学で化学の教授になるはずだった佐治敬三氏の思いが、次のように綴られている。「心のどこかに人を直接救える医薬への憧憬が潜んでいたのだろう。科学者としての夢だったのかもしれない。厳しい仕事だが、成功したときの成果も大きい」、と。
キリンの医薬品事業が経営統合の邪魔をした
一方、キリンが本格的に医薬に参入したのは82年。キリンは、71年から85年までビールのシェア(市場占有率)が6割を超えていた。独禁法によりこれ以上ビールが売れると会社が分割されてしまう危機に直面する。そこで、80年代に入ると、多角化に乗り出す。外食やスポーツクラブ運営、花卉などもあったが、医薬は多角化の柱だった。そして、当時の多角化でいまも残っているのは医薬だけである。
90年、サントリーは群馬県東部の千代田町にあるビール工場の近くに、医薬工場を建設。91年には第1号新薬として国産初の抗不整脈薬「サンリズム」を発売した。
ちなみに、88年にサントリー企画部の課長になった中山讓治氏は、会社の将来ビジョンを部下たちと策定する。テーマは「脱・ウイスキー依存」。それだけに、新規事業である医薬への期待は大きかったはずだ。
キリンは高崎市にあったビール工場の隣接地に、医薬工場を89年に建設。90年には第1号医薬の腎性貧血治療薬「エスポー」を発売した。
酒類の大手二社が同時期に医薬に参入したわけだが、筆者はこの頃、稼働したばかりの両工場を訪れていた。サントリーは、必要最小限の生産ラインを設えた小さな工場としてスタートしていた。「小さく産んで大きく育てる」の例えではないが、生産量の拡大に応じて工場もラインも拡張していく方針だった。
これに対しキリンの工場は、最初から大きな箱(建屋)をつくり、その中で生産ラインを増やしていくというやり方だった。
両社の医薬品量産に対する思想の違いを見たのを記憶している。
キリンは既に2000年から抗体技術に経営資源を集中させたのが功奏。腎疾患をはじめ、がん、免疫疾病などの領域で新薬創出を成功させる。
前述したがサントリーは03年に医薬から撤退。09年から10年の統合交渉においては、キリンに医薬事業売却を提案したが、このことは交渉破談後にキリンに波紋を与える。サントリーの提案を聞きつけた複数の医薬大手が協和発酵キリンの買収に水面下で名乗りを上げたのだ。キリンのなかでの医薬事業は揺らぎ始める。
破談後、サントリーが成長に転じたのとは裏腹に、キリンは凋落が始まる。オーナー企業のサントリーでは、統合交渉に当たったスタッフたちはみな昇格していく。「結果は残念だったが、みんなでやるだけやった」とばかりに。
逆に三菱系でサラリーマン企業のキリンは、加藤壹康・キリンHD社長は引責辞任。三宅占二副社長が社長に昇格する。経営トップが代わり、方針は変わる。交渉に当たった人材は、中枢から外へと出ていった。
焦点だった医薬事業に関しては、協和発酵キリンを富士フイルムHDに売却する交渉が水面下で進む。売却で得る資金を、苦戦が続いていたブラジルのビール事業に投じるシナリオを三宅氏は描いたのだ。
15年、キリンHD社長に就任したばかりの磯崎功典氏が、最終段階で医薬事業売却を白紙撤回させる。少子高齢化、人口減少から国内酒類市場の成長が見込めないなか、医薬およびヘルスケアはキリンにとって生き延びるための必須事業だった。
一方、キリン・サントリー統合交渉時、中枢にいたキリンの元首脳は、サントリーによる第一三共ヘルスケア買収について次のように指摘する。
「時代が変わった。なので、サントリーも変わった。今回、サントリーは有している資金の使い道がなかったため、買ったのだろう。新薬は莫大な資金と時間が必要で、リスクは高い。これに対し、市販薬は事業としての面白さはないものの、日銭を稼げるメリットはある。銀行に資金を預けておくよりはマシという判断があったのでは」
豪快なスイングではなく小ぶりで手堅いスイング
サントリーと言えば、創業者の鳥井信治郎氏が発した「やってみなはれ」で知られるが、この指摘に従えば今回のM&Aは投資金額を含めてローリスクを取った“小ぶり”な「やってみなはれ」の位置づけだろう。
創業者が挑戦したウイスキー参入、佐治敬三氏が実行したビール参入、さらには第4代社長だった佐治信忠会長による160億ドル(14年のレートで1兆6500億円)を投じた米ウイスキー会社買収などの大型案件とは一線を画す。創業家の実績以外にも、日本初の生ビール開発(1967年)、同じく発泡酒投入(94年)、2000年代終盤のハイボールによるウイスキー復活などなど、酒類だけでも他社には真似のできないことを先行してやり遂げてきた。
サントリーは本来は、ゼロから一を生む企業だ。原点にあるのが「やってみなはれ」である。成功事例ばかりではなく、大きな失敗も重ねてきた。ホンダやソニーが北米進出する前の1963年、メキシコにウイスキー工場(サントリー・デ・メヒコ)を建設。工場は海抜2千メートルを超える高地にあったため、熟成の過程で原酒の多くが揮発してしまい、出荷できなくなった。樽を開けたら、中身が消えていたのだ。事前調査をせずに、「やってみなはれ」の精神だけで進出したのが敗因だった。現在、ここでは熟成の必要がないリキュールを生産している。
このほかにも失敗は数多い。バブル期の大リーグ2A球団買収、ハワイのリゾート開発、さらには石油採掘にまで手を広げたというから、「やってみなはれ」、恐るべしなのだ。
サントリーは「失敗よりも何もやらないことが罪になる」企業文化である。社員が失敗したときの責任は、実行を認めた経営トップが負う。成功、失敗を問わず、“豪快なスイング”が多いのは「やってみること」の特徴だっただろう。
これらに比べると、今回の市販薬買収は手堅いスイングだろう。根本から流れを変えるのではない、流れに沿うためのM&Aの位置づけだ。 もう10年ほど前だが、サントリー元役員はこんなことを言った。「最近のサントリーから“バカ”がいなくなった。成績優秀な人ばかりが増えていて、お行儀の良い優良企業になっている。本当はバカがバカな面白いことをしてきた会社なのに」。
企業は巨大化すれば、官僚化は否応なく進む。管理が重要になるからだ。無駄や失敗よりも、効率や安定が優先される。並行して、創業精神や創業家の存在感は薄らいでいく。しかも、人口減少から拡大が見込めない国内市場でも、生き残っていかなければならない。
本来の“らしさ”の追求と、どうバランスしていくのか。第6代社長の鳥井信宏氏の経営手腕が、試されていく。