EC物流で成長してきた関通(現関通ホールディングス)は2024年9月にサイバー攻撃を受け、一時会社のシステムが完全にストップした。そこから50日間にわたる復旧への戦いは、経営者の覚悟なしにはあり得なかった。その覚悟とは。指揮官の達城久裕会長が語る。(雑誌『経済界』2026年9月号より)
達城久裕 関通ホールディングスのプロフィール
たつしろ・ひさひろ 1960年大阪府生まれ。22歳の時に個人事業主として運搬事業を開業。86年有限会社軽サービス(現関通ホールディングス)を設立、社長に就任。99年にEC物流に参入し業績を拡大させ、2020年東証マザーズ(現東証グロース)上場。26年持ち株会社制に移行し関通ホールディングス会長に就任。
サイバー攻撃で1日ごとに失った2千万円のキャッシュ
―― 関通は一昨年9月にランサムウエアに感染、社内基幹システムは完全に停止し、完全復旧まで約50日を要しています。その時まで、達城会長はサイバーセキュリティについてどのように考えていらっしゃったのでしょうか。
達城 サイバー攻撃というものが世の中に存在することは「聞いて知っている」という程度でした。まさか自社がこのような被害に遭う、などとは、夢にも想像していなかったのが本音です。
もちろん、ファイアウォールをはじめ、世の中から最低限求められるサイバーセキュリティ対策は導入していたつもりでした。しかし、私自身がそこにしっかりと軸足を入れて、経営課題としてコミットしていたかというと、全くそうではありませんでした。完全に担当取締役に任せっきりであり、トップとしての当事者意識は極めて希薄な状態でしたね。
―― 最初にサイバーテロの第一報を聞いた時、まず何を考えましたか。
達城 最初の瞬間は、「え? え?」という、事態が全く飲み込めないリアクションしかできませんでした。そこから「これから一体、わが社に何が起きるんや……」と、あらゆる最悪のシナリオを想像しながら、重苦しい一日を過ごしました。
翌日、社内のすべてのシステム、すべての業務が完全にストップした光景を目の当たりにしたとき、背筋が凍りつきました。「ああ、これはもう地獄の一丁目に入ってしまったな」と、すさまじい衝撃と絶望に襲われたことを今でも鮮明に覚えています。
―― 潰れるかもしれないという危機感は頭をよぎったのでしょうか。
達城 よぎるどころか、非常にリアルに倒産を意識しました。全システムが停止しているにもかかわらず、人件費や拠点の維持費などで、毎日2千万円という巨額の経費が、ただただ消えていくわけです。恐ろしいスピードのキャッシュアウトという現実を前にしたとき、3カ月、あるいは半年後には、下手をすれば倒産だと、最悪の結果を覚悟しました。
―― すべてのシステムが使えなくなり、何も仕事ができなくなった最初の局面で、まず何から手をつけようと決断されたのですか。
達城 最優先したのは「在庫データの生成」、つまり現場を動かすための泥臭い復旧作業です。われわれのような物流企業は、倉庫管理システム(WMS)が動かなければ、どこに何があるかも分からず、出荷も入庫もできません。ですから、自社システムの復旧を急がせる一方で、手段を選んでいられないと、他社のよく似た物流システムを急遽導入する手続きに走りました。何が何でも物理的に物流を動かしていく、これしかないと。
お客さまに対しては「もし直近の在庫データをお持ちであれば、それをご支給ください」と頭を下げて回り、データがないところに対しては、現場の人間が総出で、手作業で在庫データを一から生成させていくという気の遠くなるような作業を毎日やり込みました。
―― 絶望的な状況のなかで、経営者としてどう腹をくくったのですか。
達城 テロを受けてから1週間ほどたった頃には、被害の全貌と、これから待ち受けている絶望の度合いが立体的に見えてきました。そこで私は、この事態を収束させるために、20億円までは損をしてもいいという覚悟を決めたのです。このいくら損を出すかという覚悟を決めたことで、その後の経営判断のブレを一切なくすことができました。
調査・洗浄ではなく システム全廃の決断
―― サイバー攻撃の際、攻撃者から身代金を要求されるケースが多発しています。達城会長は最初から身代金を払う選択肢は取らないと決められていたそうですが、その理由はなぜですか。
達城 厳密に言えば、いくら要求されているかさえ見に行かなかったというのが正しい表現です。脅迫文のなかに、こちらのサーバーのこのアドレスにアクセスして交渉しにこい、という指定があったのですが、その場所にアクセスすることすら一切しませんでした。
ただ、今だから言える本音ですが、あの気が狂いそうなほどの苦難や苦悩をリアルタイムで経験している最中は、「もし数千万円程度の現実的な額を払うことで一瞬で元に戻るなら、身代金を払う選択肢を選んでもよかったのかもしれない」と、心が揺らいだ瞬間はあります。しかし、結果的にアクセスしなかったことが今につながっています。仮にそこで身代金を払ってシステムを復元してもらったとしても、一度カモにされた企業は、またやられる可能性があります。払わなかったからこそ、本当の意味でのリスタートが切れました。
―― この一連の騒動を『サイバー攻撃その瞬間 社長の決定』という本にしていますが、驚いたのが、既存のサーバーや全従業員のパソコンを含め、これまでのシステム資産をすべて捨てるという決断を下したことです。コストを考えれば、調査・洗浄して使い回す方が安上がりなはずですが、なぜ全廃棄したのでしょうか。
達城 テロ発覚後、専門家が次々とやってきたのですが、誰もが「まずは原因究明のための徹底的な調査が必要です」と口をそろえます。ただしそのためには膨大な時間がかかります。そんななか、あるセキュリティ会社の方から「社長、自宅に空き巣が入って、犯人の侵入経路もまだ分からない、どこに盗聴器が仕掛けられているかも分からない不気味な状態のままで、その家にそのまま住み続けたいですか?」と言われました。これが胸に刺さりました。
確かに一度汚染されたシステムを調査するのに何カ月も費やすくらいなら、全部捨ててしまおうと。そうすれば、過去の調査に時間を取られることなく、安全な新築の家をつくることに全リソースを集中できると考えたのです。
―― しかし財務的な代償はとても大きいです。
達城 おっしゃる通りです。だからこそ、「20億円の損」という覚悟が生きてくるのです。上限が決まっていれば、全部買い替えても20億円で十分お釣りがくるなと、判断が鈍らない。
既存のシステムを捨てることに対しては、確かに固定資産の減価償却の除却損という会計上の損失が出ます。しかし、それは帳簿上の話であって、実際のキャッシュアウトはこれから新しい強固なシステムを構築する未来の投資に対して発生する話です。何より、機器を中途半端に復旧できても、また何か仕掛けられているんじゃないかという恐怖を抱えながらビジネスを続けることの精神的コストは計り知れない。その怖さを完全に払拭するためにも、インフラを全入れ替えした決断は、未来への投資として100%正しかったと確信しています。
復旧のノウハウを新たなビジネスに
―― 社員にしてみれば「会社が潰れるのではないか」「自分たちの雇用はどうなるのか」と、不安だったと思います。いかにして彼らの心を前に向かせたのでしょうか。
達城 「お金」です。人間の不安を払拭し、有事に一丸となって戦ってもらうためには、経営者が言葉だけでなく、具体的な待遇で誠意と覚悟を示すしかありません。私は全社員に向けてこう宣言しました。「管理職も含めて、この復旧作業で発生した残業代はすべて完全に支払う。だから、お金の心配は一切せず、会社と一緒に戦ってほしい」と。
さらに、不眠不休で働く社員の体力を守るため、拠点の近隣にあるホテルを貸し切り、オフィスでの休憩も認めました。移動にかかるタクシー代も全額会社が持つ。そして、サーバー復旧に関する緊急の費用請求については、社内の煩雑な稟議・承認システムをすべて一時的に停止させ、無条件で決済するというルールを敷きました。
―― その結果、有事の混乱のなかで不安を感じて辞めていかれた従業員の方はどのくらいいたのですか。
達城 ゼロ人です。誰一人として辞めませんでした。でも当時は、社長以下、全社員が関通を守るんや、という一つの意識で完全にまとまっていました。だからこそ、外部からのいわれのない中傷や厳しい声にも、組織が崩壊することなく耐え抜けたのだと思います。
―― 情報公開に対しても非常に積極的でした。サイバー被害に遭うとひたすら隠蔽しようとしたり、メディアを突っぱねたりするケースもよく聞きます。なぜそこまでオープンにされたのですか。
達城 世間の風潮として、サイバー攻撃の被害に遭った企業というのは、なぜかセキュリティが甘かった悪い会社という、加害者や容疑者のような目で見られがちです。私はそれが心外で、われわれは1ミリも悪いことはしていない。100%、卑劣な犯罪者集団が悪い。だから黙る必要などない、と考えていました。わが社が経験したこの苦しみを、よその会社、経営者には味わってほしくない。そのために本を書き、時系列でどう対処したかを明らかにし、最低限、この程度のことはやりましょう、という思いから巻末には「実務対応のまとめ」を入れました。
―― しかも復旧後にはサイバーガバナンスラボというセキュリティ会社まで設立しています。
達城 私は日本で一番、サイバー攻撃からの復旧の専門家だと自負しています。サイバー攻撃の現場で、緊急対策室をどう立ち上げ、どう運営すべきか。言葉の選び方、顧客への報告のタイミング、コールセンターの第一声はどうあるべきかまで、私は初日からすべて時系列で対処リストを作って記録していました。これこそが、生きた復旧ノウハウです。ならば、これをきちんとサービス化して、他社の伴走者となるビジネスにすべきだと考えて設立しました。すでに契約企業数は50社を超えています。
―― 転んでもタダでは起きませんでしたね。
達城 私の仕事における座右の銘は、「準備、実行、後始末」です。中でも事前の準備が8割。その完璧な準備をもとに実行に移し、最後にそれをきちんとお金や成果、教訓という形に変えてクローズさせるのが後始末です。このサイクルを普段から徹底していたからこそ、サイバー攻撃という未知の危機に対しても、自然と今起きていることを正確に記録し、顧客対応を間違えて二次的な加害者にならないよう徹底的に運用するという行動が取れたのだと思います。日頃の危機管理意識の延長線上にしか、有事の対応はありません。