創業以来28期増収を続けるサイバーエージェントを四半世紀以上にわたり率いてきた藤田晋氏。その社長交代方針が2023年に示されると、承継の行方は大きな注目を集めた。25年12月に2代目社長となった山内隆裕氏は、何を受け継ぎ、何を変え、何を次代へつなぐのか。その歩みと経営観を聞いた。聞き手=佐藤元樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2026年9月号より)

山内隆裕 サイバーエージェントのプロフィール

山内隆裕 サイバーエージェント
サイバーエージェント社長 山内隆裕
やまうち・たかひろ 1983年8月20日、東京都三鷹市生まれ。2006年立教大学経済学部卒業後、サイバーエージェント入社。09年CyberZ設立、代表取締役社長。ABEMA、アニメ・IP事業などを担当し、25年同社社長に就任。

若手の意思を重んじる ベンチャーの気風

―― 山内さんは2006年にサイバーエージェント(CA)へ入社しました。当時、どのような点に惹かれたのでしょうか。

山内 私が就職活動をしていた当時は、いわゆる就職氷河期でした。就職先を選ぶなら、公務員や銀行のような堅くて安定した組織が推奨されていた時代です。ただ、私は学生時代にストリートバスケットボールに熱中し、アルバイトも掛け持ちしていました。大きな組織で年功序列の中で働くことに、自分は向いていないのではないかと感じていたんです。

 そんな時、大学に藤田が講演に来ました。藤田の話は、それまで持っていた仕事のイメージとは真逆でした。そこで初めて「ベンチャー」という言葉を知り、思い切ってCAの選考に進むと、若い社員が次々に出てきて、若いうちからいろいろな経験をしている。ここなら面白い働き方ができるのではないかと思い、入社を決めました。

―― 入社して最初に担当したのは、どのような仕事でしたか。

山内 配属面談の時に、立ち上げたばかりの部署を自分で選びました。最初に携わったのは、広告配信サービスの新規事業です。

 当時のCAでは、Amebaというメディア事業とインターネット広告事業が大きな柱でした。一般的な会社として考えると、本来ならそこに人材を集中させる時期だったと思います。それでも同期100人ほどのうち、10人近くをまだどうなるか分からない部署に配属する。若手に機会を与え、新しい挑戦を任せるところに、CAらしさが出ていました。

 自分で選んだ目標だから熱くなれるし、自分で選んだ仕事だから責任を持てる。ただ、同期は優秀で、当時の私はパワーポイントも満足に使えない。かなり焦りました。その中で差を埋めるには、仕事の量をこなすしかないと考えていました。

赤字の苦しさが生んだ 次の市場を見る目

―― その後、子会社の経営を任されるようになります。

山内 配属された部署で一定の成果を出した後、CyberXというモバイルサイト制作会社を立ち上げないかと藤田に呼ばれました。当初は営業担当の役員として入る予定でしたが、私は藤田に「できることなら社長をやりたいです」と伝えています。

 結果として、そこでは社長にはなりませんでしたが、11カ月ほどで黒字化。すると、また藤田に呼ばれ、「そういえば、社長をやりたいと言っていたよね」と。フィーチャーフォン広告の領域で出遅れているから、その会社の社長をやってみないかと言われ、09年にCyberZを立ち上げました。

―― CyberZを立ち上げてからは、順調に進んだのでしょうか。

山内 最初は本当に厳しかったです。立ち上げ当初に向き合っていたのは、フィーチャーフォンの広告領域でした。すでに専門代理店が数多く存在する中での最後発です。何をやっても簡単には伸びません。

 赤字と黒字を繰り返していると、投資する余力がありません。少し黒字になっても、新しいことをすればすぐ赤字になる。身動きが取れないことが、経営者として一番苦しかったです。

 もう二度とあの状態に戻りたくない。だから、後にスマートフォン広告へ業態を転換し、成長軌道に乗ってからも、安心はできませんでした。どんな事業もいずれ成熟する。利益が出ているうちに、次の手を打たなければいけない。この経験が、その後の新しい領域への投資判断にもつながっています。

ABEMAから広げる 次の収益モデル

―― ABEMAにも長く投資を続けてきました。赤字が続く中でも育ててきた事業ですが、転機はどこにあったのでしょうか。

山内 最も大きかったのは22年のサッカーW杯です。そこで利用者数が一気に広がりました。ただ、多くのユーザーに来てもらっても、そこで終わってしまっては意味がありません。自社制作のオリジナルコンテンツを見てもらい、ABEMAに定着してもらう必要がありました。

 そのためには、良いコンテンツを作るだけでなく、良いユーザー体験を提供し、絶対にサービスの質を落とさないことも欠かせません。W杯という大きな機会に向き合ったことで、サービス全体を見る社員の視座も上がっていきました。

 10年続けてきたことで、芸能事務所、制作会社、演者の方々などとの関係もできています。番組を作って放送するだけでなく、ユーザーのエンゲージメントを生かしたビジネスモデルを作ることが重要です。

―― ABEMAでメディアとしての可能性を広げる一方、主力の広告事業では、次の打ち手をどう描いていますか。

山内 広告事業では、AIやアドテクノロジーを競争力として磨いてきましたが、注力分野の一つが、リテールメディアです。小売企業が持つアプリやECサイト、店舗のデジタルサイネージなどを広告媒体として活用し、実際の購買に近い場所で企業と生活者をつなぎます。

 CAとしては、ネット広告で培った知見やAIを活用したプラットフォーム開発力を生かし、小売企業のメディア化を支援していきます。その具体的な取り組みとして、セブン-イレブン・ジャパン、電通との合弁会社を設立し、9月に事業を開始する予定です。

―― もう一つの成長領域として、アニメなどのIP事業にも力を入れています。

山内 アニメは国内でも重要な産業になり、グローバルで人気を集める大きなコンテンツにもなっています。CAが力を入れるのは、ABEMA、広告、ゲームなど既存事業との相性が高いからです。

 作品を作って終わりではなく、広告の知見を生かして国内外でマーケティングを行い、ABEMAで広げる。さらにゲームや2・5次元舞台、グッズなどでファンの熱量をつなぎ留める。新しい形のアニメプロデュースができるのではないかと考えています。

―― 山内さん自身も、アニメやゲームに思い入れがあったのでしょうか。

山内 私は母子家庭で育ちましたが、子どもの頃からアニメやゲームに心を支えてもらった感覚があります。当時はサブカルと言われていたものに、すごく助けられてきた。だからこそ、好きというだけでなく、貢献したいという気持ちがあります。

山内隆裕 サイバーエージェント

創業者ではないトップが作る仕組み

―― 藤田さんが社長交代を考え始めたことを、山内さんが最初に知ったのはいつですか。

山内 4年ほど前の役員合宿だったと思います。10年後のCAを考える資料があり、当時の役員が10年後に何歳になっているか、顔写真付きで載っていました。それを見た藤田が、「これはまずい」と感じたんです。

 今の経営陣だけでなく、次の社長をどう選び、どう育てるかを考えなければいけない。それがサクセッションについて話し始めるきっかけだったと記憶しています。

 当時の私は、サクセッションという言葉の意味もよく分かっていませんでした。調べてみて「継承」ということなのかと理解したくらいです。 その後、藤田が社内で社長交代を明言し、同年夏から社長研修が始まりました。23年春には社外に向けても社長交代の方針が公表されました。

―― 社長研修とは、どのようなものだったのでしょうか。

山内 16人の候補者がいて、2カ月に1回ほど研修がありました。毎回、課題図書が出ます。多い時は6、7冊ほど読み、感想文を書き、研修の場で発表する。通常業務と並行してやるので、時間を作るのに本当に苦労しました。

 印象に残っているのは、全社構想をプレゼンする機会です。16人全員が、自分が社長になったらCAをどういう会社にするのかを考え、都内のホテルで順番に発表しました。

 順番はくじ引きで、私は最後の16番目でした。発表を終えた候補者が一人、また一人と部屋を出ていく。最初は人の気配があった部屋も、だんだん静かになっていきました。最後の方になると、ホテルのBGMだけが妙にはっきり聞こえるんです。その中で2、3時間、自分の番を待っていました。あの緊張感は、忘れられません(笑)。

―― 外から見ると社長レースのようにも見えます。

山内 もちろん選ばれるプロセスではありますが、ただ競い合う場ではありませんでした。自分の過去を振り返り、16人それぞれの過去も知り、藤田の過去も知る。互いに自己開示していく場でもあったのです。長く一緒に働いていても、知らない部分はある。そうした背景を知ることで、誰が選ばれても支えようという空気につながったと思います。

―― 正式に社長就任が決まった時は、どのように受け止めましたか。

山内 正式に周囲に伝わったのは、25年11月14日の発表のタイミングです。その後、2代目、3代目の社長研修メンバーに対しても、藤田から説明がありました。

 私自身は、うれしさよりも緊張感の方が大きかったです。社長研修を通じて、社長の仕事を引き継ぎ書のような形で学んできましたし、視座が上がると見える景色も変わります。だからこそ、不安も大きかった。今も緊張感を持っています。

―― 3代目とおっしゃいましたが、もう次の世代を見据えた準備も始まっているのですか。

山内 始まっています。早く準備するに越したことはありません。私自身、この椅子に座り続けたいという気持ちはない。会社が良くなることだけを考えています。

 市場環境は大きく変わります。どのような環境にも合わせられるようにしておく必要がある。業績を上げることも、ピンチをしのぐことも大事です。その中で、人材の選定は社長の大きな役割だと考えています。

―― その上で、藤田さんから受け継ぐものと、山内さんの代で変えていくものは何でしょうか。

山内 受け継ぐべきものは多いです。今は業績も良いので、まずはしっかり引き継ぎ、盤石にすることが重要です。特に大事なのはカルチャーです。社長交代は、発表された瞬間にすべてが切り替わるわけではありません。藤田から社長業を段階的に引き継ぎながら、事業だけでなく、CAのカルチャーも自分の中に入れていく必要があります。

 一方で、創業者と私は違います。創業者には、すべてを言葉にしなくても人を引っ張っていける特有のリーダーシップがある。私は創業者ではないので、それをそのまま真似ることはできません。

 だからこそ創業者ではない人がCAを経営し、さらに伸ばしていくモデルケースを作ることが、私の大きな役割です。3代目、4代目は、私に近い立場になるはずです。その人たちが再現可能な仕組みを作れるかどうか。それが私のミッションです。

―― 社長業の引き継ぎは、どのように進んでいくのでしょうか。

山内 公表している通り、29年に社長業の8割の引き継ぎ完了を目指しています。色で例えるとグラデーションです。今は藤田の色が濃いものを、少しずつ私の社長色を出していく。29年には、私の色がマジョリティになっている状態を目指します。

 28年には創業30周年を迎えます。そこから次の30年を考えた時に、サクセッションしてよかったと思える状態に持っていきたい。さらに期待が持てる事業や人材が多く出て、チャンスや挑戦が進む会社にしたいです。

―― 最後に、藤田さんが創業以来掲げてきた「21世紀を代表する会社を創る」という言葉を、どう受け止めていますか。

山内 実現していくしかないと思っています。ただ、やはり大変なことです。CAのコアは、カルチャーであり、人です。ここを最大限に活用することが、業績にも社員のやる気にもつながります。

 CAらしさは、意思のある挑戦を続けて、価値のある未来をつくっていくことにあると思います。その源泉は、人のやる気です。その挑戦を止めないことが、私の役割です。

創業以来サイバーエージェントを率いてきた藤田晋氏(右)と、2代目社長に就いた山内隆裕氏(写真提供:サイバーエージェント)
創業以来サイバーエージェントを率いてきた藤田晋氏(右)と、2代目社長に就いた山内隆裕氏(写真提供:サイバーエージェント)