「靴下屋」で知られるタビオは、2008年に創業者の故・越智直正氏から息子の勝寛氏が社長を承継した。実は父との摩擦が承継のきっかけだったと語る現社長が、その経緯や自身から次世代への事業承継の構想を明かす。聞き手=安田勇斗 Photo=上野貢希(雑誌『経済界』2026年10月号より)

越智勝寛 タビオのプロフィール

越智勝寛 タビオ
タビオ社長 越智勝寛
おち・かつひろ 1969年生まれ。大阪府出身。ハウスオブローゼ勤務を経て、97年、ダン(現タビオ)入社。商品本部長、取締役第一営業部長などを歴任し、2008年5月より現職。

越智社長にとって先代は「父というより職場のトップ」

── 創業者であり越智社長の父である越智直正氏は、タビオの旧社名であるダン設立時から、ずっと「靴下一筋」でした。靴下にこだわった理由を教えてください。

越智 最初にでっち奉公で勤めた会社が靴下問屋だったというのが大きかったと思いますが、単に靴下を扱えば良かったわけではありません。父は「日本製の靴下」にこだわっていました。ダン設立(1968年)当時から、海外で生産された靴下が流通していましたが、父はその品質に満足していませんでした。低価格の海外商品が流通すれば、高品質な日本の靴下は不利な状況に置かれてしまい、国内の会社が淘汰されかねません。その状況に、危機感を抱いていたそうです。

── 現在のタビオも「日本の靴下産業の永続」を掲げているので、想いは変わっていませんね。

越智 その通りです。タビオは、「不易流行」という言葉を大切にしていますが、これは今の若い人たちには届きにくい言葉ですよね。そこで、もっと刺さる言葉をと考え、掲げたのが、「日本の靴下産業の永続」です。私と会社のメンバーが会長だった父に提案すると、「それ、ええやないか」「日本の靴下産業が永続するなら、たとえタビオが潰れてもええんや」といっていました。

2011年撮影の創業者・越智直正氏(左)と勝寛社長
2011年撮影の創業者・越智直正氏(左)と勝寛社長

── 越智社長は、他社勤務の後にダンに入社しています。先代から、他社で修行するよういわれたのでしょうか。

越智 ええ、化粧品会社のハウスオブローゼを経て、ダンに入社しました。たしかに他社での修行という側面はありました。

 そもそも父と私は親子ではあるのですが、私が幼い頃に両親が離婚しているのです。私は母と暮らしていましたが、父と会うのは年に1回ぐらいでした。そのため、今でも直正は私にとって父というより、職場のトップという存在です。

 そうした中で、就職活動をするとき、母から「おとんに電話しなさい」といわれたのです。ダンの人手が足りていないからだといいます。そこで父に電話すると、「明日から来い」と。ただ、結局はいきなり入社させるより他で仕事をしてからということで、ハウスオブローゼに入社しました。

── ダンに入社してからは、どのような仕事をしたのでしょうか。

越智 最初は商品生産管理、その後に新業態開発で「靴下屋フレンズ」というブランドを立ち上げました。そして、父肝いりの「ビッグステップ」内の店舗を改装したのですが、この頃からの出来事が社長就任のきっかけにもなりました。

父からクビ宣告を受けるも急転直下の社長就任へ

── どういうことでしょうか。

越智 ビッグステップというのは、大阪・心斎橋にある若者向けの複合施設で、街の象徴のような存在です。ここに出店していた「タビオバースプレイス」は父が大好きな店であり、そのせいもあって会社の中で聖域のように扱われていた場所でした。

 しかし、若者向けの場所なのに店の雰囲気がそこに合っていなかったので、私はまず全面改装を決断しました。そして改装後、若い女性に受け入れられそうなカラータイツをこの店で売り出したところ、大ヒットしたのです。

ビッグステップの店舗(左)とカラータイツ(提供:タビオ)
ビッグステップの店舗(左)とカラータイツ(提供:タビオ)

── その実績が社長就任につながったのですか。

越智 いえ、父はカラータイツのヒットを面白く思っていなかったようです(笑)。

 また、後には高評価の販売員やロールプレイングコンテストで上位に入った販売員を登用し、教育スタッフとして全国の店舗を回ってもらったところ、売り上げが伸びました。こういったことが続いた中、インターネット上に私が「古い体制を改革した」といった趣旨の文言が書かれ、読んだ父は「お前が書いたんやろ!」と激怒したのです。もちろん、私は書いていませんが、聞いてもらえず「お前はクビだ」と。

── そこから、どのように信頼を取り戻したのでしょうか。

越智 クビといわれた以上、辞めて転職するつもりでした。転職したいと考えていた会社がいくつかあったので、2、3週間、休んだらそれらの企業に話を聞いてみようと思っていました。

 でもその後すぐに、父から呼び出されたのです。「お前はワシの苦労が分かっていない」といわれ、「そんなもの、分かるわけないじゃないですか」と答えました。すると父は、「ほなら、お前が社長をやってみぃ!」と。それで、株主総会を経て、私が社長になったのです。

── そういった経緯だと、社長に就任してからの意思疎通、意思決定も苦労したのではないでしょうか。

越智 父は会長になっても、気持ちは社長のままだったのかもしれません。特に「営業に関することには口を出すな」とはっきりいわれ、実際に3年くらいは私は営業面で発言権を与えてもらえないような状況が続きました。

 ただ、それで何も手を付けなければ業務が止まってしまう可能性もあるので、会長の立場を大切にしつつ従業員が困らないようにしていました。たとえば、会長が店舗へ行き、「この商品はこう置け」「この置き方が正解なんや」とその場でルールをつくったとしたら、後で私がこっそりと「会長がいったルールはなしでいいからね」とフォローする(笑)。

 あるいは、あえて私が悪役を引き受け、物事を進めるケースもありました。会長、私、役員で議論をするときなどに、事前にある役員と口裏を合わせておくのです。

 ある年のボーナス支給では、なんとか2カ月は出してほしいと思って、最初に私が「4カ月分支給して、現場の士気を上げましょう」といえば、会長はひとしきり私に対して怒り、「君はどない思うねん?」と役員に聞きます。そこで役員に「1カ月分だけでもいただけないでしょうか」といってもらうと、会長は「ほなら、勝寛との間をとって、2カ月や」と、ボーナスの支給額が決まったこともありました。

── 経営に関するアドバイスや、あるべき会社像なども厳しく伝えられたのでしょうか。

越智 先ほどの不易流行とともに、「顧客中心」「熱愛」「和」を掲げる4つの経営理念などに対しては厳しかったですが、その他は、口調は強くても最後は任せてくれていたように感じます。

 先ほど、営業面で口を出せなかったといいましたが、IR活動と株主総会に関することは、社長就任当初から私に任せてくれていました。

 それに、仕事を離れ食事や旅行をするときは、怒ることはほどんどありませんでした。私の心情としても、父は厳しさよりも「愉快な人」という印象が勝っています。

 父にとって上場企業の経営者という立場や仕事は、大変だったように思います。私は父が「上場企業の代表」を演じなければならないと思っているようにも見え、それが部下として、息子として、つらかったです。本当は、もっと愉快で楽しい人なのに、と感じることも多々、ありました。

2000年の大証二部上場時、株価ボードの前に立つ越智直正氏(提供:タビオ)
2000年の大証二部上場時、株価ボードの前に立つ越智直正氏(提供:タビオ)

「60歳を一つの区切りに」越智社長から次世代への承継

── 直正氏は2022年に亡くなりました。創業者亡き今、越智社長はタビオをどのような方向へ進めようとしているのでしょうか。

越智 「靴下屋=タビオ」からの脱却を目指しています。どういうことかというと、タビオで培った生産システムや技術を輸出したいのです。当社は日本の靴下産業の永続を目指していますが、同じように各国の靴下産業をタビオの技術で持続的な成長につなげ、それぞれの国が豊かになればと考えています。

 すでに、中国企業の工場で技術開発の一部に携わっており、他の国にも広げていきたいと考えています。

── 越智社長から次の世代への承継は考えていますか。

越智 ええ、私自身は60歳を一つの区切りにしたいと考えています(現在は57歳)。早く引退して、好きなギターとピアノの演奏を楽しみたいですね(笑)。

 それは半ば冗談として、将来の後継者候補が親族におり、その人物にすぐ承継するか、親族以外の人材にも社長を経験してもらうか、さらに私の身の引き方を含め、タビオにとって最も良い形は何かを検討しています。

会長肝いりの開発商品「Tabio MEN 9X2リブソックス」(提供:タビオ)
会長肝いりの開発商品「Tabio MEN 9X2リブソックス」(提供:タビオ)