1993年に創業し、国内外に30店舗を展開するメーカーズシャツ鎌倉。自身の両親でもある創業者夫妻から事業を「突然のタイミング」、しかも「コロナ禍」の中で託されたという貞末奈名子社長に、難局をどう乗り越え、さらなる成長戦略に乗せるまでを聞いた。聞き手=藤麻 迪(雑誌『経済界』2026年10月号より)

貞末奈名子 メーカーズシャツ鎌倉のプロフィール

貞末奈名子 メーカーズシャツ鎌倉
メーカーズシャツ鎌倉社長 貞末奈名子
さだすえ・ななこ 1972年生まれ。神奈川県出身。95年、聖心女子大学文学部卒業、湘南信用金庫入庫。98年、メーカーズシャツ鎌倉入社。2020年より現職。

バブル崩壊という逆境の中での鎌倉シャツ創業

── メーカーズシャツ鎌倉(以下、鎌倉シャツ)の創業は、貞末社長が大学生の頃だそうですね。

貞末 そうです、1993年11月が1号店のオープンでした。当時はバブル崩壊直後で、とても新たに事業を始めるような世の中の空気感ではありませんでした。だから、私は「なぜ今、起業するのだろう」と思っていましたね。

 私の両親(貞末良雄氏・タミ子氏)は、ともにヴァンヂャケット出身で、78年の倒産後も、同社創業者の故・石津謙介氏と交流していました。石津氏が「誰か私の意志を継いでくれる人はいないのか」とヴァン出身者に問うたところ、父が「私がやります」と手を挙げ、鎌倉シャツを創業しました。

 商品にシャツを選んだのは、服装の中でも大切な部分だからです。スーツを額縁とすると、その中に入る絵に当たるのがシャツで、自分らしさやアイデンティティを表現できるものだから、というのが理由だと聞いています。

── 貞末社長は地元の信用金庫勤務を経て鎌倉シャツに入社しました。将来的な承継も考えていたのでしょうか。

貞末 継ぐなんて、夢にも思っていませんでした。財務・経理のスタッフがなかなか定着せず、「ならば」と、創業者、関係者から声をかけられたのがきっかけです。創業者の身内であれば、お金のことを任せても大丈夫だろうという考えがあったのかもしれません。

 そして入社してみると、過去半年分の伝票が未処理のまま残されており、「だまされた」と思いました(笑)。当時は少しずつ事業が軌道に乗り始めた時期でしたが、それでも従業員に給料を払うのに苦労した時期もありました。そのような状況なので、承継は全く考えていませんでした。

── 創業者夫妻から承継に関する話をされたこともなかったですか。

貞末 どの創業者も同じかもしれませんが、私の両親もいつまでも自分が仕事をし続けると考えているようなタイプで、おそらく事業承継のことなどまったく頭になかったのではないかと思います。

 実際に、私が承継するようにいわれたのも突然でした。

創業者の貞末良雄氏・タミ子氏夫妻(提供:メーカーズシャツ鎌倉)
創業者の貞末良雄氏・タミ子氏夫妻(提供:メーカーズシャツ鎌倉)

創業者夫妻が不在、かつコロナ禍での承継

── 貞末社長は2020年の2月から6月にかけて、鎌倉シャツに関連する2社の社長に就任しました。突然、というのはどういった経緯だったのでしょうか。

貞末 20年1月、私が海外出張中に当時の財務担当の役員から、父が私に承継させたいといっている、との趣旨の連絡を受けました。

 両親は、まず母が体調を崩し、父が介護をしていました。しかし、父も介護疲れで体調を崩してしまい、これ以上は経営するのが難しいと20年初頭に判断したのだと思います。

 私も当然、体調のことは把握していたので「嫌だ」と断る気にはなれませんでしたし、その直後には新型コロナウイルスの流行が始まりました。ただでさえ製造小売業(SPA)である鎌倉シャツは、店が営業できなくなれば在庫がたまり、工場に新たな発注ができなくなるといった負のスパイラルに陥ることが、予想できました。そのため、他の人にお願いしづらい状況であり、私が引き受けました。

── コロナ禍という大きな課題の他に、承継で困難に感じたことは何でしょうか。

貞末 両親と承継に関する話が一切できなかったのが、大変でした。当時、介護施設などはコロナの感染を防ぐため、外部との接触が著しく制限されていたからです。

 また私自身はそれまで、職場ではあまり表舞台に出ず黒子に徹して両親を支えるような立場でした。だから、従業員の中にも私のことをよく知らない人はいたと思います。従業員の心境としては、コロナ禍に事業承継が重なって、不安だったかもしれません。

── 先代とコミュニケーションが取れない中でも承継を完遂できた要因は何でしょうか。

貞末 コミュニケーションが取れないことが、かえって良かった側面もあったと思います。

 特に父は創業者であり、会社を成長させたことでカリスマ性もあります。そして、生まれ育った時代的にも「俺の背中を見て学べ」というタイプの経営者です。

 しかし、私は違います。創業者ではありませんし、従業員を引っ張っていくようなタイプでもありません。

 決して父に出社してほしくないわけではありませんが、承継のプロセスでもし父がいたら、お互いにストレスがたまったこともあったのではないでしょうか。また、カリスマ性がある創業者がいないという状況で、コロナ禍と社長の承継が重なり、従業員の皆が力を合わせてくれたとも感じています。

メーカーズシャツ鎌倉の鎌倉本店(提供:メーカーズシャツ鎌倉)
メーカーズシャツ鎌倉の鎌倉本店(提供:メーカーズシャツ鎌倉)

新社長就任後、SPAの強みを発揮できる体制に変革

── 貞末社長になってから、会社で変革したのはどこでしょうか。

貞末 組織と、組織の動きに関することは、大きく変えました。実のところ、以前は予算も立てていませんでした。しかし現在は、予算を立てる他、中期経営計画も策定。部署ごとの戦略を元に、会社の全員が今、自分たちがどこにいてどのような方向へ向かっているかを共有できるようにしています。

 また、会議も以前は月に1回、行うか行わないかといった状況でした。それが今は週に1回、定期的に開催しています。

 特に大きな変化が、中核となる会社の一本化です。以前は、「メーカーズシャツ鎌倉」と「サダ・マーチャンダイジングリプリゼンタティブ」という2社で事業を進めていました。前者が販売を担い、後者は商品の企画・管理を行っていました。しかし、この体制は対立の火種となりかねないデメリットもあったのです。販売する会社からは「なぜもっと売れる商品をつくってくれないのか」となり、反対に商品管理の会社は「なぜもっと上手に売らないのか」と思ってしまうからです。

 SPAは製造から販売まで一貫していることが大きな強みなのに、それが生かせません。それで22年、メーカーズシャツ鎌倉がサダ・マーチャンダイジングリプリゼンタティブを吸収する形で1本化しました。

── 反対に、変えなかった、守った部分は何があるでしょうか。

貞末 両親から「ここは変えないでくれ」という、いいつけのようなものはありませんでした。しかし、父が会社で実現したかったことは今も変わっていないと考えています。たとえば、お客さま・従業員・パートナー企業にとって良い企業である、高品質なものを適正価格で提供するというところです。

 いわれなくても変わらずにできた理由の一つは、私は社長就任前、広報を担当しており、メディア取材での父の話を横で聞いていたからだと思います。父の考えが、広報の仕事の中で移植されたと考えています。

── 承継を振り返って、どのような想いがありますか。

貞末 承継には準備が必要だと学びました。振り返って真っ先に思うのが、それですね。

 特に創業者は、決して悪気がなく、財務的な処理に手が行き届いていない場合があります。きちんと準備の時間があれば、適正な処理ができるようになります。

 また、創業家の中で承継する場合は、相続税対策も同時に考えなければなりません。

 今回の承継は、両親も私も事前に考えておらず、準備もしていなかったので、その点は大きな学びになりました。

鎌倉シャツの定番アイテム「J-Tech Easy Care」(提供:メーカーズシャツ鎌倉)
鎌倉シャツの定番アイテム「J-Tech Easy Care」(提供:メーカーズシャツ鎌倉)