国内外にお好み焼き店・鉄板焼き店を展開する、千房ホールディングス。中井政嗣現会長に親族内承継を進めた理由と後継者候補だった長男の早逝、三男・貫二社長にはどのような方法で承継を実現したか。そして貫二社長には父の想いを受け継ぎどのような千房の未来戦略を描いていくか、聞いた。聞き手=安田勇斗 Photo=上野貢希(雑誌『経済界』2026年10月号より)
中井政嗣・中井貫二 千房ホールディングスのプロフィール
なかい・まさつぐ 1945年生まれ。奈良県出身。73年、大阪・千日前でお好み焼店「千房」を創業。2018年より現職。日本財団職親プロジェクト代表なども務める。
右:千房ホールディングス社長 中井貫二
なかい・かんじ 1976年生まれ。大阪府出身。2000年、慶應義塾大学経済学部卒業、野村證券入社。14年、千房ホールディングス入社、専務取締役就任。18年より現職。
お好み焼き店を「格好良く」が千房の繁栄の礎に
── 千房は今、さまざまな業態を開発し、発祥の大阪だけでなく国内外に店舗展開しています。ここまで成長した要因は?
政嗣 私はもともと、西洋料理店を経営したいと考えていました。姉の夫が大きなレストランの料理人で、とても格好良かったからです。それに対して、お好み焼き店は「格好悪いもの」だと、私は思っていました。お好み焼きを食べるのは好きです。しかし、店を経営するのは嫌だと思っていた中で1967年に、人から引き継ぐ形で初めてお好み焼き店を経営することになりました。
そして73年に千房の1号店をオープンしたとき、その気持ちを思い出しました。経営者がお好み焼き店を格好悪いと思っているなら、従業員はもっと格好悪いと感じるのでは。ならば、従業員が胸を張れる格好良いお好み焼き店をつくろうと試行錯誤を始めたのが、今の千房に続いていると考えています。
貫二 私自身にとっての千房の存在を振り返ると、物心ついた頃にはある程度、軌道に乗っていたのだと思います。というのは、大阪で「お好み焼き屋といえば千房」というイメージが定着していましたし、テレビCMも流れており、誇りに思った記憶があるからです。
同じく子どもの頃の記憶として、会社のイベントなどに出させてもらい、従業員は皆、温かい人ばかりだと思ったことがあります。私にとって千房のメンバーは、昔から家族同然の存在です。
政嗣 従業員は家族同然に大切な存在だというのは、私が創業時から重きを置いてきたことです。私は、会社の組織構造が「逆三角形」になっていると考えています。組織内で数が一番多いアルバイトが最上位におり、社長は下にいるという位置付けです。社長やマネージャーは、部下の求心力を得るため熱意や本気度があるかが問われます。
もちろん、従業員はお客さまを大切にしなければなりません。創業時は、お金を借りてつくった店で、そのお金を返してくれるのはお客さまだ、だから大切にしてたくさんの方に来ていただかなければとの想いで、営業をしていました。
会社員時代より収入減でも千房に二つ返事で入社した理由
── 貫二社長は3人兄弟の三男ですが、事業承継に至るまでのいきさつを教えてください。
政嗣 おっしゃる通り、私は長男、次男、三男と3人の子に恵まれました。
長男は大学卒業後、3年ほど地方銀行に勤めた後、千房に入社しています。後継者として理解してほしいことを身につけてもらうため、あえて厳しく接しました。普段、「部下は褒めて育てろ」と言っているのに、長男には叱ってばかりでしたね。
また、取引業者との夜の会食も多く、それがたたり長男は体調を崩したのです。無理やり病院へ連れて行くと、お医者さんから先は長くないと余命宣告を受けました。
それからは入院していた病院に会社から通い、私は「今まで申し訳なかった」と謝りました。1カ月ほどの入院の後、長男は亡くなりました。
三男に声をかけたのは長男が入院してからです。「戻ってきてくれないか」と頼みました。
貫二 家族だけでなく、多くの従業員の将来にも関わることなので、私は驚きつつも「戻ります」とその場で答えました。
政嗣 本人だけでなく妻子も快諾してくれたので、とてもありがたかったです。
三男に声をかけたのは、野村證券で営業職、管理職をしていたことも理由の一つです。次男は、鍼灸師の資格を取り、手に職をつけていました。どちらも不向きではありませんが、経営全体を考えた末に、三男の方がより向いているだろうと、判断したのです。
家族で承継することには、さまざまな意見があるかもしれません。千房の場合は、私が初代で三男は2世代目となるので、会社が続いていくために信念や想いをつなぐには、同じ血が流れている者の方が良いだろうと考えました。「血は争えない」と言いますから。
貫二 入社を決意した理由を深く考えると、千房のメンバーを家族だと思っていることが大きいです。それに、子どもの頃から父に「誰のおかげで飯を食えるのか分かっているのか。俺やない、すべて千房の従業員のおかげや」と言われて、育ってきたわけです。だから、恩返しするのは当たり前だと思いました。
政嗣 戻ってきてくれたのはありがたかったのですが、三男は野村證券という大企業の管理職です。会社員時代の給料は、当時の私よりも高かった。給料が、大幅に下がることを伝えました。
そして、「野村證券と千房を比較するようなことを言わない」「今日入ったアルバイトを含め全員が自分のために働いてくれていると思え」、この2つを守ってほしい、それ以外は何をしてもよいと言いました。
貫二 給料に関しては、何とも思わなかったです。ただ、妻と子には迷惑をかけたくなかったので、それまでの生活を壊さないよう私は単身赴任することにしました。
また、規模だけでなく業種、業態も野村證券と千房とでは異なりますので、比較をするつもりもありませんでした。一方で、野村證券での14年間が、今の私の礎となっていることもたしかです。
会長が承継時期を5年前倒した理由
── 貫二氏が2014年に入社してからは、どのように承継を進めていったのでしょうか。
政嗣 長男のこともあったので、現場のことはやらなくていい、前職の経験を生かしてマネジメント力を発揮してほしいと説明しました。そのために、専務の役職を与えて入社してもらいました。
最初は、創業50周年(23年)で社長をバトンタッチしようと考えていましたが、それを5年、前倒ししています。
理由は、当時の専務とは昼食をともにする機会が多く、彼がその場で報告・連絡・相談・雑談をしていたからです。そうした日々のコミュニケーションは、強い信頼醸成につながります。
それで、予定より前倒しをして18年に社長の座を承継したのです。
貫二 今も、予定が入らない限りは一緒に昼食をとっていますね。
── 承継後の大きな出来事として、大阪・関西万博で貫二社長が会長を務めていた大阪外食産業協会(ORA)がパビリオンを出展し、千房もその中に出店しました。
貫二 ORAがパビリオンの出展を決めたのは、21年でした。まだコロナ禍の真っ只中で、メディアもなかには万博をどちらかというとネガティブな形で取り上げるところもありました。
しかし、「天下の台所」「食の中心地」である大阪の外食事業者にとって、万博に出ないという選択肢はありません。21年、私はORAの会長を務めていたので、協会のメンバーと協力しながら出展に結びつけました。
結果として、ORAのパビリオンとしては220万人の方にご来館いただきました。民間パビリオンではナンバーワンの数字で、控えめにいっても大成功だと受け止めています。何より、大きな事故がなく終えられたのが良かったです。
政嗣 私は、25年3月にパビリオンへ行きました。思うところはいろいろありましたが、社長の足を引っ張るようなことは一切言っていません。これは、万博でも会社の経営でも同じです。
それは、大阪で菓子店を営む青木松風庵の青木啓一会長の言葉があったからです。青木さんは息子に対し、「『社長を交代したらいろいろ思うところはあるだろうが、交代した後は諦めるこっちゃ』と会長に言うといて」との言葉を伝えてくれたのです。諦めるというのは、次世代に任せるという意味で私は捉えています。
── 会社の経営で思うところ、社長と意見が異なるのは、どういったところなのでしょうか。
政嗣 たとえば海外出店がそうです。私が社長の時代は海外出店で痛い目を見てきたので、できたらやめてほしい。しかし、社長は「これからはグローバルな時代だから」と海外出店を進めています。
ただ、言葉にしても今は外国語で表現することが多い。私はそれが嫌いで(笑)、できるだけ日本語で分かりやすく伝えようとするのですが。海外進出も同じで、社長が言うようにグローバル化が必要なのは否定しません。
貫二 たしかに、意見が異なることはあります。だからといって、経営判断が異なることはありません。アプローチが違うだけで目指す方向は擦り合わせができているからです。
具体的には、ここまでも話した千房は人を大切にする会社という出発点があるからです。経営における根本は、会長も私も同じなのです。
政嗣 海外進出でも他のことでも、社長が出した結果が良ければすべて良しなのです。その時点で結果が出ていなくても、何も言わないようにしています。
「世界の千房」となるため必要なこと
── 今後、千房をどのようにしていきたいか、進めていく施策などを教えてください。
貫二 私は恩返しをするために入社したので、従業員から格好良い、誇りを持てると思われる千房をつくります。父が大切にしてきたことを、これからも守ります。
それだけ創業者の想いというのは、絶対的なものだと思うからです。証券会社時代に担当していた会社が、社員皆で創業者の墓参りをし、創業者の言葉、行動、想いを浸透させる取り組みをしました。すると、停滞していた業績が回復したのです。
千房でも、創業者の想いを会社にきちんと、正確に伝えるのが、私の仕事です。そして今までは会長が会社を引っ張ってきましたが、私だけでなく誰が社長になっても想いに沿ったベクトルに向かえる会社にしていきます。
また、千房は創業期から新しいことに取り組んできたので、今後もそれを続けます。最近では、他社に先駆けてステーブルコインによる決済が可能になりました。
政嗣 それ以前は、お好み焼き店として百貨店や高級ホテルに進出する、機内食に採用されるといった「業界初」「世界初」の取り組みをしてきました。
貫二 一方で、千房は中井家のものではなく大阪のものとの想いがあります。万博への参加などがそうですが、これからも大阪の千房として認められ続けるための取り組みをしたいです。
政嗣 今、社長がいったように、大阪の千房であるため、あるいは、世界の千房であるためには、会社を継続していく必要があります。夢、ロマン、希望を追いかけなければ顧客も従業員も離れていってしまいますが、一方で堅実な会社であることも必要です。先ほど、現社長への承継では「血」を重視したと述べましたが、今後は家族外に承継する可能性もあるでしょう。
また、堅実な会社と認められるための一つの手段として、上場もあるのではと考えています。
貫二 これは今、初めて聞いたことです(笑)。そのため、まだ具体的に上場を検討しているわけではありませんが、上場ができるレベルの管理体制、基盤をつくることは、会社にとってたしかに大切だと思います。そういった姿を理想に掲げ、頑張っていきたいですね。