ビジネスマンなら誰もが使っているAI。その便利さの裏でコンテンツ事業者との駆け引きが続いている。特に新聞業界では、収益と著作権のギリギリの交渉が続く。読んでほしいが、その対価は払ってほしい。果たしてWIN-WIN関係は築けるのか。文=ジャーナリスト/小田切 隆(雑誌『経済界』2026年10月号より)
避けては通れない生成AIとの協業
新聞業界と生成人工知能(AI)との「連携」が加速し始めた。7月には、ソフトバンクが新聞社から預かった記事データを加工し、AI事業者に提供する新基盤の提供開始を発表した。今後、新聞社が直接、AI事業者に記事データを売る動きも広がるとみられる。消費者が生成AIを使って情報を得る流れはもはや止められず、それに乗らなければ収益を上げる道はないと新聞各社が判断していることが背景にある。だが、AI事業者に渡される記事データの対価はいくらであるべきかの相場はまだない。新聞業界には、かつてポータルサイトに安く記事データを買い叩かれた苦い歴史がある。その轍を踏まないよう、新聞業界とAI事業者のギリギリの「対価交渉」が始まりつつある。
ソフトバンクは7月22日、新聞社や出版社から有償で預かる記事データを生成AI向けに加工し、AI事業者に提供する新基盤「GaranAI(ガランエーアイ)」の試作版を公開した。AI事業者からの利用申請を受け付けて改良し、来年1月以降に正式な提供を始める。
最初の時点で記事データの提供を予定しているのは、共同通信社、毎日新聞社、産経新聞社、信濃毎日新聞、スポーツニッポン新聞社など。ソフトバンクは今後、ウェブメディアや博物館、教育機関、製造・小売業などとも連携していく考えだ。
一方、KDDIは7月28日、朝日新聞社、産経新聞社といった新聞社のほか、出版社、専門メディアなど約30社と連携し、AIを使った新アプリ「Buffmee(バフミー)」の提供を始めたと発表した。
アプリの利用者の質問に対し、連携した各社の記事などを使って答える。出典を示すことで、情報の信頼性や専門性を担保する。情報提供社は利用頻度などに応じて収益を得ることができる。提供開始時点で利用できるのは約150媒体のコンテンツで、「プロの人気料理家のレシピ」などがある。
このほか、日本経済新聞社が、法人向け生成AIサービス「NIKKEI KAI」を運用。自社の記事データに加え、連携した産経新聞社、信濃毎日新聞や専門紙などのデータを使い、利用企業に回答するサービスを行っている。
こうした動きについて、ある新聞業界関係者は「今後、生成AIとの『協業』を新聞社は避けて通れないだろう」と語る。
大きな理由が「ゼロクリック」問題だ。生成AIで検索して得た回答に情報元の新聞社のサイトのURLが示されていても、わざわざクリックして情報元まで飛んで参照する人は少ないという問題をさす。
新聞社のサイトは利用者が減り、ページビュー(PV)などに応じた広告収入も落ち込む。
つまり、新聞各社が重視してきた記事のネット配信は「読者」「収益」を生成AIに奪われるため、「むしろAI事業者に高額で記事データを販売し、収益を上げるビジネスモデルに舵を切らなければ、多くの新聞社が生き残れない」(前出の関係者)というわけだ。
だが、問題がある。AI事業者への記事データ提供に価格相場がまだ形成されておらず、「いくらで売るのが適正か」という基準がないことだ。今のタイミングで決まる価格は、今後、長きにわたって価格の基準となる可能性がある。新聞各社は、「なるべく高値で売りつけたい」のが本音だ。
1996年7月、新聞社などとの提携でヤフーニュースのサービス提供が始まり、記事のPVに応じて配信料を支払う仕組みで成長してきた。複数の新聞社から配信を受けた記事を1カ所に集めて掲載するポータルサイトは、新聞社にとって最大の読者の入り口となった。
新聞社は、ポータルサイトが自社の記事に読者を誘導する「送客」に頼らざるを得ず、配信料の算定根拠がブラックボックス化したまま、低い水準で取引が続いてきたことが不満となっていた。
この構図にメスを入れたのが2023年9月21日の公正取引委員会の報告書だ。
ヤフーやLINEニュースなど大手7社を調査したところ、IT大手がメディアに支払う使用料は21年度時点で、閲覧数1千件あたり平均124円、社によって49円から251円までの幅があることが判明した。調査対象となったメディアの6割超が使用料の算定根拠の不透明さや金額の低さに不満を抱いていた。
公取委は、著しく低い使用料の一方的な設定は独禁法の禁じる優越的地位の乱用に当たり得るとの見解を示した。
生成AIを巡る対価の問題も、その延長線上にある。送客に関し、ポータルサイトへの依存度が高いほど新聞社などメディアの交渉力は弱まり、対価が低く据え置かれやすい。その力学は、送客の主体が生成AIに代わっても変わらない。
ソフトバンクのサービスなどで注目されるのは、参画各社がどれだけの対価を得ているかだ。さらには、米グーグルなどAI開発大手が直接、新聞社などと交渉を始めているとの噂もあり、対価がどんな水準に決まっていくのか関心は高い。
実は海外では、記事データの「値決め」を巡る環境やルール整備が先行している。
米メディアによると、米メタは今年3月、ニューヨーク・ポストなどを傘下に持つニューズ・コーポレーションと、AI学習向けの記事利用について複数年のライセンス契約を結んだ。ライセンス料として、年間で最大5千万ドル(1ドル=160円で約80億円)が支払われる。
単純比較はできないが、日本国内のポータルサイトの配信料が1千PVあたり100円前後だったこととの差は大きい。
AIに利用させない オプトアウト制度
制度面でも、海外は先を行く。
英国の競争・市場庁(CMA)は6月、グーグルを対象に、法的拘束力のある「行動要件」を導入した。グーグルに、新聞社などが自社の記事をAIの回答生成に使わせない設定(オプトアウト)を選べるようにすることを義務付けた。
新聞社はオプトアウトの設定をしても、通常の検索結果で不利に扱われない。グーグルが違反した場合には、巨額の制裁金が科されることになる。
英国のルールは対価そのものを決めるものではないが、新聞社が生成AIに記事データを「使わせない」という選択肢を持てると同時に、「使わせる代わりにいくら払うか」とグーグルに迫る交渉カードを手に入れられる。
これら2つの例は新聞社側に有利なもので日本も参考にできるだろう。
日本では、日本新聞協会が今年4月20日に公表した声明で、グーグルに主に次の2点を求めた。
1点目は、英当局のような「オプトアウト措置の早期導入」だ。
オプトアウトのない現在、新聞社が生成AIに自社の記事を使ってほしくないときは、通常の検索結果に載せるための「クローリング(記事情報の自動収集)」を拒むしかない。これでは「検索には載りたいが、AIの回答生成には使ってほしくない」という選択肢が封じられてしまう。
つまり、対価交渉以前に、新聞社は記事データを使わせるかどうかを選ぶ権利すら実質的に持てていない。オプトアウト導入の要求は、この「入り口」部分の是正を求めたものだと言える。
問われるのは社会の情報への価値判断
2点目は「情報開示」だ。
新聞社は、自社の記事がAI検索でどれだけ参照され、どんな形でユーザーに表示されているかを知る手段がほとんどない。使われた実態が見えなければ、そもそも「対価はいくらが妥当か」を算定する材料自体を新聞社は持てない。
協会は声明の中で、グーグルとの協議をAI検索サービスの試験提供が始まった時期から約3年間続けてきたが、目立った改善は見られず、情報開示の要求にも十分応じてもらえなかったと説明している。
一方、行政では公正取引委員会が今年7月、ニュースコンテンツを提供している事業者約370社を対象に、ポータル事業者やAI検索事業者との取引実態を尋ねるアンケート調査を始めたことを明らかにした。
回答を通じて取引条件や対価の金額、記事の利用実態などをつかみ、独禁法違反の疑いが強いケースが見つかれば、AI事業者への指導や勧告、さらには排除措置命令といった行政処分に進む可能性もある。新聞業界には「強い味方」となる。
内閣府も昨年12月、生成AI事業者に対し学習データの内容や範囲について、権利者への開示を求める自主的な行動指針の案を公表した。パブリックコメントを経て、現在、最終的な策定作業を進めている。
法律のように強制力はなく、従うか、従わない場合はその理由を公表するかを事業者に求める「コンプライ・オア・エクスプレイン」方式となっているのが特徴だ。
この指針は対価の額を決めるものではない。だが、新聞社は「自社の記事がどこでどう使われたか」を把握できなければ、そもそも対価交渉の土俵に立つことができない。指針で開示範囲が広がれば、新聞社が対価交渉で使える材料には厚みが増すことになる。
ポータルサイト時代と同じ失敗を繰り返さないためには、新聞業界は自らが記事データの利用実態や価値を定量的に把握する必要がある。個別のケースで決まった対価や契約条件は、ある程度、業界で共有した方がいいだろう。
一方、この問題は、新聞業界の利害を守るだけにとどまらず、社会全体の「情報環境」の質も左右する。
新聞社の取材には人手とコストがかかる。現地取材や調査報道といった、AIにはできない一次情報収集の原資は、広告収入や購読料、記事使用料などでまかなっている。
生成AIへの記事データ提供の対価が不当に低いままなら、取材体制を維持できない新聞社が増え、一次情報の質は悪化し、供給量も細っていく。すると、生成AIが一次情報を利用して作る回答の質も悪化し、量は減ることになる。
結果的に、生成AIからの情報取得に頼るようになった社会は正確な情報にアクセスできなくなり、企業や個人の活動にも悪影響が及ぶ。社会は、対価交渉の行方を「内輪の駆け引き」と見過ごすのでなく、「社会全体にとって重要な意味を持つ課題」と認識する必要がある。