社会全体が変容を遂げるなか、日本の教育への最新テクノロジーの導入に取り組む政策・メディア博士の石戸奈々子氏。エンターテインメントも取り込む幅広い教育に携わり、遊びと学びの一体化を掲げながら、子どもたちの創造性を育てる土台作りと日本のクリエーティビティの底上げを目指す。聞き手=武井保之 Photo=逢坂 聡(雑誌『経済界』2026年10月号より)

石戸奈々子 慶應義塾大学/B Lab/NPO法人CANVASのプロフィール

石戸奈々子
慶應義塾大学教授/B Lab所長/NPO法人CANVAS理事長 石戸奈々子
いしど・ななこ 東京大学工学部卒業後、マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員研究員を経て、NPO法人CANVAS、一般社団法人超教育協会等を設立、代表に就任。松屋、フジ・メディア・ホールディングス、デジタルガレージの社外取締役。総務省情報通信審議会委員など省庁の委員やNHK中央放送番組審議会委員を歴任。デジタルサイネージコンソーシアム理事等を兼任。政策・メディア博士。著書に『子どもの創造力スイッチ!』『賢い子はスマホで何をしているのか』など多数。

学びの出発点は好奇心 エンタメには喚起する力

――  大学教授やデジタルえほん作家のほか、政策、企業経営など幅広い領域で活動されています。

石戸 私の活動を一言で表現するなら、一人一人の創造性や可能性を発揮できる社会をつくることです。これまで20年以上に渡り、未来の社会に必要だと思うことを構想し、それを実装する活動を続けてきましたが、振り返ると、一貫して取り組んできたのは「未来の当たり前をつくること」だったと思います。

――  その原点はどこから生まれたのですか。

石戸 学部を卒業してすぐに参画したMITメディアラボです。デジタルの未来を構想し、社会に実装してきました。そこで力を入れていたのが、テクノロジーの恩恵を最も受ける、子どもの教育の改革です。教育の分野は150年間変わっていない。テクノロジーの力でそれを変革したい。そのメディアラボの取り組みに感銘を受け、日本に戻り、日本の教育を知識の記憶・暗記型の学びから、思考・創造型の学びに変えていく取り組みをしたいと考えました。

――  具体的な取り組みは。

石戸 2002年にCANVASを立ち上げ、産官学連携で、子どもたちの創造的な学びの場を全国に広げる活動をスタートします。これからの時代に大切な主体的かつ協働的で創造的な学びをファッションショーのようにポップに伝えたいと考え、全国のワークショップを一堂に集めた博覧会企画「ワークショップコレクション」を始めました。この企画は2日で10万人が集まるイベントに成長し、ディズニーランドより混んでいると言われました(笑)。現在は、地方創生の文脈も相まって、さまざまな地域に展開しています。

――  吉本興業による参加型ワークショップが教育コンテンツのひとつになっていました。

石戸 もともと遊びと学びは一体です。子どもたちは、好奇心から自分の好きなことに夢中になって取り組むなかでいろいろなことを学び、新しいものを作り出していく。ところが成長するに連れて、遊びと学びが分離され、学びが「やらなければならないもの」になってしまうことがあります。私たちは学びの本来の姿を取り戻したいと考えてきました。そういう学びのスタイルが、吉本興業さんの考え方と合致していました。

 今、日本では基幹産業のひとつとしてコンテンツ産業が注目されていますが、子どもの頃の表現の学びの環境は、創造性の土台になります。そのような創造力の底上げにつながる環境がすべての子どもに届くことが大事です。

――  教育におけるエンターテインメントの役割をどう考えますか。

石戸 学びの出発点は好奇心です。その好奇心を喚起する力をエンターテインメントは持っていると思います。「面白い」「やってみたい」「もっと知りたい」という気持ちこそが学びのエンジンです。ポケモンのキャラクターでカタカナを覚えた子や、『信長の野望』で歴史に興味を持った子もたくさんいます。人の創造性や好奇心にスイッチを入れる学びの動機づけとしてエンターテインメントができることはたくさんあります。

――  産業界を巻き込んで活動が広がっていますね。

石戸 基本的に場づくりが好きなんです(笑)。ありとあらゆる大人が手を取り合って、子どもたちの創造的な学びの場をつくっていく。そんな志しでCANVASを始めて、次に制度として学校教育への導入を目指し、100社が参加するコンソーシアムを作って制度改正を求め、実現しました。これにより教育情報化後進国と言われていた日本は一気に世界トップレベルの環境へと躍り出ました。しかし、これはまだデジタル化に過ぎません。世界はAIの議論に入っています。

 一方、人材育成は産業界全体の共通課題です。そこで、経済界やコンテンツ系、IT系など31の業界団体を集めて、今までの仕組みを新しいテクノロジーで抜本的に変えていこうという超教育協会を設立しました。

――  B Labの設立もその延長でしょうか?

石戸 多様な人々が出会い、自らの創造性を発揮し、新しい未来を共創するための場づくりがしたい気持ちからB Lab(Beyond, Borderless, Breakthroughの頭文字)を立ち上げました。世界の大学、研究所、企業、地域、行政、個人などありとあらゆる垣根、枠組みを超えて、組織や個人と連携して面白い未来を共創する参加型プラットフォームです。CANVASが子どもの創造性を育む場だとすれば、B Labは多様な人々が共創しながら未来社会を実装する場です。AI、ニューロダイバーシティ、未来都市、学びの未来などをテーマに、大学、企業、自治体、市民が一緒になって未来の社会像を構想し、実装しています。

石戸奈々子
ニューロダイバーシティ(神経多様性)社会の実現へ向けた活動の一環としてさまざまなイベントを実施している

従来の当たり前を変える 超多様社会への挑戦

――  その中で特に力を入れている分野を教えてください。

石戸 ここ最近力を入れているのは、認知の多様性に配慮したニューロダイバーシティ(神経多様性)社会の実現です。一人一人が自分らしく力を発揮できる社会を目指し、今までの常識をうたがって、新しい未来の当たり前をつくる動きになります。

――  今までの社会がどう変わりますか。

石戸 日本社会が依然として「平均」を前提に設計されていることに課題を感じています。多くの制度や仕組みは、ある種の「標準的な人」を想定して設計されており、その前提から外れる人は「適応すべき存在」と見なされることがあります。

 教育も企業も、高度経済成長期までは均質な人材を大量に育成することが合理的でした。しかし今、社会は大きな転換点に立っています。AIの登場によって、標準化された知識や作業の価値は相対的に低下しつつある一方、多様な視点や異なる発想の価値はますます高まっています。歴史を振り返っても、大きなイノベーションは、既存の枠組みの外側から生まれてきました。これからの時代に必要なのは、「平均に合わせる社会」ではなく、「違いを生かす社会」です。人はそれぞれ異なる認知特性や感覚特性を持っていますが、これまでの社会はそうした違いを矯正しようとしてきました。しかし本来、その違いこそが新しい価値を生み出す源泉です。同じ人でも環境が変われば能力を発揮できることがあります。逆に優秀な人材であっても、環境によって力を発揮できないことがあります。一人一人が力を発揮できるように、教育、働き方、都市、制度をどう再設計するのか。これからの社会に必要なのは、多様な人がそれぞれの違いを生かしながら共創できる環境です。

――  ニューロダイバーシティのそもそもの考え方とは。

石戸 脳や神経の多様性を尊重し、それを社会の力に変えていこうという考え方です。もともと発達障がいを抱える人などが生きやすい社会を目指すことを指していたのですが、あらゆる人の脳や神経は多様とする、広義の認知の多様性に配慮した運動へと広がっています。

 今その啓発と周知促進のための組織「超多様」を立ち上げようと尽力しており、4つの視点を設定しています。まずは突出した才能を持った方々です。歴史に名を刻む科学者や起業家、芸術家、アスリート。彼らの多くは、いわゆる定型とは異なる特性を持っていたと語られています。社会を大きく前進させる力は、往々にして「平均」からはみ出したところに現れます。しかし日本社会は、突出した力を伸ばすよりも、均質化へと向かう傾向が強かった。その才能を十分に生かしてきたでしょうか。

 2つ目は、凸凹が大きく、従来型の学校や職場では困難を抱えやすい人たち。ある分野では圧倒的な集中力や洞察力を発揮します。環境が整えば企業の生産性や革新性に大きく貢献する一方、逆の環境では精神的に追い込まれ、社会から孤立してしまうこともあります。多様な認知特性を含むチームの方が、創造的成果を上げることは研究でも示されていて、世界ではそういう方々を積極採用する動きも広がっています。

 3つ目は重度の障害を持たれた方々です。当然のことながら、今以上に医療・福祉の支援が重要です。しかし、それだけではなくて、テクノロジーの活用によって選択肢を広げることもできます。そして4つ目はいわゆる多数派とされている方々です。多様な特性に合わせた個別最適環境は、実は多数派にとっても生きやすい社会になります。例えば、静かな空間設計は、感覚過敏の方だけでなく、集中したい全ての人にとって有効です。柔軟な働き方は、特性のある人だけでなく、子育て中の親や高齢者にも恩恵をもたらします。

 つまり私たちは、福祉運動でもギフテッド運動でもなく、全ての人を対象とした、社会の前提を平均から多様性へと転換する運動に取り組んでいるのです。ニューロダイバーシティは、あらゆる人が自分らしく豊かに生きていく上で重要な考えです。そして何より多様性を力に変える社会こそが、次の時代の活力を生み出すと考えています。

――  社会インフラ的な部分も変えていくのはハードルが高そうです。

石戸 もちろん簡単なことではありません。しかし、社会が大きく変わる時代だからこそ挑戦する価値があります。AIが発達するほど人間に求められるのは創造性になり、それは多様性から生まれます。私は日本を、世界で最も多様な人が活躍できる国、そして世界で最も創造性が発揮される国にしたいと思っています。

 そのためには、教育、働き方、都市、制度など社会の前提そのものを見直していかなければなりません。一朝一夕には実現しませんが、多くの企業や大学、自治体がこの考え方に共感し、すでに動き始めています。

石戸奈々子
遊びと学びの一体化から子どもたちの創造性を育む
CANVASのワークショップ