前3月期、鹿島建設の売上高はゼネコン業界では初めて3兆円を突破した。そして6月には新社長として桐生雅文氏が就任。受注は安定しているものの、建材費高、人件費高から開発計画の中止・延期も相次ぐ中、どのようなかじ取りを行っていくのか。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2026年11月号より)

桐生雅文 鹿島建設のプロフィール

桐生雅文 鹿島建設
鹿島建設社長 桐生雅文
きりゅう・まさふみ 1961年生まれ。84年早稲田大学建築学科を卒業し鹿島建設入社。長らく現場を歩みミッドタウン日比谷の工事事務所長などを務める。2021年執行役員となり24年常務執行役員横浜支店長。副社長を経て今年6月社長に就任した。

社長になって改めて気づいた鹿島の強み

―― 社長交代の発表は2月でした。その時の会見で就任は「青天の霹靂」と語っていましたね。

桐生 本当に青天の霹靂でした。まったく予期していませんでした。重い責任、プレッシャー、不安、戸惑いを感じたこともありました。これまで社長という仕事を経験したことはありませんから、自分に何ができるのかという思いも当然ありました。

 ただ、時間がたつにつれて、少しずつ気持ちは落ち着いてきました。4月に(横浜支店から)本社に来て、社内のさまざまな部署の人たちと話をし、ヒアリングを重ねる中で、どの部署がどんな仕事をし、どのような課題を抱えているのか。一つ一つ聞いていく中で、会社の全体像が少しずつ見えてきたのです。さらには押味(至一)会長とともにお客さまのところへご挨拶にうかがい、多くの方と話をする機会もあり、そんな経験を重ねるうちに、覚悟のようなものが徐々にできてきたように思います。

 一方で、社長という仕事が少し分かってきた今の方が、違った意味でプレッシャーを感じています。分からないうちは漠然とした不安だったものが、決めなければならないこと、背負うべき責任が具体的に見えてくる。社長という仕事の重さを、むしろこれから実感していくのだと思います。

―― 本社の各部署や顧客を回る中で、新しい発見はありましたか。

桐生 私は建築の技術者として長く仕事をしてきました。ですから、会社全体の仕事をすべて知っていたわけではありません。各部署と話をすると、「鹿島はこういうこともやっていたのか」「ここにもこれだけの強みがあるのか」という発見がありました。

 例えばエンジニアリングです。医薬品や化粧品などの生産施設では、設計から施工まで一貫したエンジニアリングの力が求められます。お客さまと話をする中でも、鹿島のエンジニアリング部門は強いのだと改めて感じました。土木についても同様です。横浜支店長時代にも土木の一部を担当しましたが、話を聞くと、洋上風力や原子力などの分野でも大きな強みを持っていることが分かります。

 そして何より、土木、建築を中心とする技術力の高さを再認識しました。正直に言えば、「自分はこの会社にいてよかった」と思うほどでした。鹿島には誇るべき技術がある。そのことを社長になって実感しました。

―― 天野(裕正)前社長(※)とは東京建築支店で長く一緒に働いていました。何を学びましたか。

桐生 天野前社長から学んだことの一つは、デジタルやAIを活用して、建設業の生産性を高めていく必要性です。建設業には、経験によって培われた暗黙知が非常に多くあります。先輩の背中を見て覚える。あるいは、仕事の肝心な部分は、日常の会話や現場で学ぶ。そういう世界でした。しかしそれだけでは人材が育ちませんし、貴重な知識が個人の中に埋もれてしまいます。天野前社長は、個人が持つナレッジを組織のナレッジに変えることを重視していました。個人の知識をデータベース化し、後輩や若い世代に伝承する。これは今後ますます重要になります。デジタルやAIは、人を減らすためのものではなく、人が持っている知恵を組織全体で共有するための手段でもあるのです。

 もうひとつ、これは天野前社長だけでなく押味会長にも共通していることですが、鹿島は「技術を売る会社」だという考え方です。工期内に高い品質のものをつくる。与えられたコストの中でしっかりつくり込み、完成後も不具合を起こさない。そこに建設会社の本質があります。お二人だけではなく鹿島の先人たちから脈々と続いていると思っています。

―― 会見では35年に及ぶ現場経験について語っていました。現場だから見えてくるものとは何ですか。

桐生 現場で学んだのは、結局、われわれは人と人との仕事をやっているということです。建設の仕事は、多くの人が関わります。現場の技能者、専門工事会社の経営者や技術者、社内の社員、そしてお客さま。デジタルやAIがどれだけ進んでも、最後は人です。人に仕事をお願いし、人から仕事をいただき、人と協力して一つの建物を完成させる。そのためには、相手の立場や性格、考え方を理解しなければなりません。現場では、「これをやってください」と伝票を書いて渡すだけでは仕事は前に進みません。相手が「やろう」と思ってくれることで初めて動き出すのです。

デジタルやAIの活用で仕事の仕組みを変えていく

―― 業績は好調です。前3月期には売上高3兆672億円と、ゼネコン初の3兆円企業となりました。

桐生 3兆円という数字そのものに特別な意味はありません。一つの節目、あるいは通過点だと考えています。建設業の売上高は、大型プロジェクトの進捗によって大きく変動します。ある時期に売り上げが急増することもあれば、そうでない時期もあります。3兆円になったから、それが今後も続くとは限りません。大切なのは、5年、10年という長い時間軸で会社が着実に成長していることです。単年度の数字だけを追うのではなく、長期的に成長力を高めていく必要があります。また、売上高は企業評価の一つの指標ですが、それ以上に重要なのは利益です。利益率をどれだけ高められるか。今後の経営においては、売上規模だけでなく、しっかり利益を上げられる企業体質をつくることが重要だと考えています。

―― 資材価格や人件費の上昇によって、再開発の延期や中止も相次いでいます。業界の現状をどう見ていますか。

桐生 最大の問題は、建設費とお客さま、あるいは再開発組合などが想定する予算との間に大きな乖離が生じていることです。もちろん、設計を工夫することでコストを下げることはできます。商品価値を落とさずに設備や仕上げを見直す。有効床面積を増やして事業性を高めるなど、お客さまと建設会社が一緒になって知恵を出すことはできます。そのためにも建設業界の実態を発注者側にも理解していただく必要があります。同時に、私たち自身も重層下請構造の見直しなど、生産性を高める努力を続けなければなりません。発注者、建設業界、政府が、それぞれの立場から問題を共有し、解決策を考える段階にきていると思います。

―― 深刻な人手不足には、どう対応しますか。

桐生 これは鹿島だけの問題ではなく、建設業界全体の課題です。国内の入職者を増やすこと、女性が働きやすい環境を整えること、外国人材をどう受け入れるか。そして、足りない労働力をデジタルやAIも活用し生産性向上によって補うこと。このすべてを同時に進める必要があります。女性については、単に人数を増やせばいいということではありません。ライフイベントを経験した後でも戻ってこられる環境をつくることが重要です

 デジタルやAIを活用すれば、現場の仕事の多くは現地で行う必要がなくなります。遠隔でできる業務を増やし、現場に行かなければできない仕事と切り分ける。これは女性の活躍を促すだけでなく、男性を含めたすべての社員の働き方を変えることにつながります。

 今後は、AIが機械やロボットと結びつくフィジカルAIの活用も重要になるでしょう。人手不足を単純に人数の問題として考えるのではなく、人が本当にやるべき仕事に集中できるように仕事の仕組みそのものを変えていく必要があります。

創業家がボードから去っても変わらぬDNA

―― 今年の株主総会で、創業家が取締役会からいなくなりました。歴史上、大きな転換点とも言えます。

桐生 確かに歴史的には一つの出来事だと思いますが、今後も、鹿島の経営のあり方が大きく変わるとは考えていません。

 社長、会長を務め、後に最高相談役になられた鹿島昭一社長は、将来の建設市場の質的、量的変化を見通し、設計エンジニアリング事業、開発事業、建物管理などの建設バリューチェーンの上流・下流分野の事業拡大を進めるとともに、今では売上高1兆円規模にまで拡大した海外事業を粘り強く育成し、現在の鹿島グループの業容・基盤をつくられました。また、施工分野では、生産設計・集中調達を強化し、組織にノウハウを蓄積することに取り組まれた。こうした経営方針のもと、当社は企業として着実に成長してきました。

 鹿島には創業家代々の伝統である「進取の精神」と、「科学的合理主義」と「人道主義」に基づき、社会に貢献するという経営理念があります。私もこの伝統と経営理念を継承し、時代の変化に対応した新たな発展を目指し努力していきます。

 大切なのは、常に「鹿島建設として本来あるべき姿は何か」を考えることだと思います。時代は変わります。事業環境も変化します。しかし、創業家から引き継がれた、社員を愛し大切にして、技術を磨き、社会に貢献するという根本は変わりません。私が大事にしたいのは、地に足をつけることです。流行に流されるのではなく、鹿島として何をするべきなのかを考える。「技術立社」という言葉もその一つですし、社会から期待されている役割を果たすこともそうです。

 私たちが鹿島のDNAを守り、発展させる責任をより明確に引き受ける。創業家をはじめとした先人たちが築いた会社を守り、そして、さらに成長させる。それがわれわれに課せられた役割だと考えています。

※天野裕正氏は1月に死去。その後、会長の押見至一氏が会長兼社長となったが、便宜上、天野前社長とした。

2月の社長就任会見で。左は押見至一会長
2月の社長就任会見で。左は押見至一会長(画像提供:鹿島建設)