日々、姿を変えつつある渋谷。その中で東急不動産の手掛ける物件は渋谷サクラステージでひと段落をついた。ではこれから何を目指すのか。今年4月に社長に就任した田中辰明氏は、「街はつくって終わりではない。だからこそソフトが重要になる」と言う。その真意とは――。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2026年11月号より)
田中辰明 東急不動産のプロフィール
たなか・たつあき 1967年東京生まれ。90年慶應義塾大学商学部を卒業し東急不動産入社。ホテル・リゾート部門を経て経営企画部へ。2017年東急不動産ホールディングス執行役員に就任。20年東急不動産取締役を経て、今年4月東急不動産社長に就任。また6月には東急不動産ホールディングス取締役にも選ばれた。
渋谷の魅力は「訪れる人」「働く人」「住む人」の一体化
―― 4月1日に東急不動産社長に就任しました。いつ頃から準備していました?
田中 社長になることは全く想定していませんでした。社長になることを意識して仕事をしてきたわけでもありません。ですからホールディングスの西川社長(弘典氏、現会長)から話をいただいた時は、当然ながら驚きました。ただ、辞令を受けた以上は、自分がやるべき仕事として受け止めました。
―― 2年前に渋谷サクラステージが全面開業し、大型再開発は一つの節目を迎えています。今後は何に力を入れていきますか。
田中 渋谷を含め、再開発は非常に息の長い事業であり、案件が集中する時期もあれば、間が空く時期もあります。今後もオフィス、ホテル、商業、住宅を中心とした都市型再開発など、私たちには複数のパイプラインがあります。これらを着実に進めていきます。重要なのは、建物をつくることだけが街づくりではないということです。むしろ、建物が完成した後、いかに価値を高めていくかという部分をもっと大切にしたいと考えています。
―― 「つくった後の価値」ということですか。
田中 不動産会社ですから、開発というハードの部分をしっかりやるのは当然です。しかし、不動産の価値を高めるにはソフトの部分が非常に大きいと考えています。私はホテルやリゾートなどの運営業に長く携わってきました。運営業とは、与えられたハードの中で、どうすれば価値を高められるかを考える仕事です。そこで培ってきた経験を、今度は会社全体の街づくりに生かしたいと思っています。
これは東急不動産だけで完結できることではありません。東急不動産ホールディングスグループの力を結集して対応していきます。渋谷なら、商業施設や街そのものをどう運営し、魅力的にしていくか。住宅も同じで、建物を引き渡した後、管理会社などと一体になって住むことへの満足度を高めていきます。
―― 渋谷はこれからどんな街になっていくのでしょう。
田中 渋谷の特徴は、「訪れる人」「働く人」「住む人」が一体となった街であることだと思っています。その三者を、地域の方々や行政と一緒になって、より魅力的にしていくことが重要です。例えば、訪れる人にとっては宿泊施設がまだ不足しています。働く人にとっても、オフィス需要は十分にあります。ですから、宿泊施設やオフィスなどハードの整備を進める必要があります。同時に、産業育成、都市観光、都市基盤整備の3つを重点的に進めたいと考えています。働く人、訪れる人、住む人が、いつ来ても新鮮で、楽しく、快適に過ごせる街にしていくことが重要です。
―― 渋谷らしさとは何ですか。
田中 「住む」という要素があることは大きいと思います。渋谷駅周辺で分譲住宅を供給するだけではなく、賃貸住宅、渋谷で働く社会人向けのコミュニティレジデンス、海外から中長期滞在する人が快適に暮らせるレジデンスなど、多様な住まい方を提供していきたいと考えています。
さらに、外国語対応や医療サービスなど、渋谷で暮らすための情報やサービスを提供する。単に住宅をつくるのではなく、「渋谷で暮らす」という体験そのものに付加価値をつけていきたいと考えています。
価格変動を気にするより 評価される物件をつくる
―― 「住む」ということでは、マンションなどの住宅価格が高騰しています。庶民にはなかなか手が出ません。
田中 そこでわれわれは「未来資産」という概念を提唱しています。これまで住宅は、竣工して建物が完成した時点で最も価値が高く、その状態でお客さまに引き渡すという考え方が強かったと思います。「未来資産」は、それとは違います。お客さまに引き渡した後も価値を持続的に維持し、場合によっては価値を向上させていくことを目指しています。
そのためには管理会社などとの連携が不可欠です。例えば、管理会社と一緒に10年先までの植栽計画をつくり、10年後に最も良い状態になるように植栽を整備します。住民の方にも自然や環境を意識していただきながら、街や住宅そのものを一緒に育てていきます。植物は時間をかけることで価値が高まります。そうした発想を住宅にも取り入れていきたいと考えています。
―― 田中社長は1990年入社です。入社したのはバブル崩壊直前で、その後の不動産価格下落を経験しています。現在の価格上昇に怖さはありませんか。
田中 確かに不動産価格のボラティリティを経験してきた世代です。住宅・マンション価格がこのまま上がり続けるのかどうかは分かりませんが、現在の住宅市場は、過去のように需給バランスが大きく崩れている状況ではありません。首都圏の供給数も一定程度あり、需給はかなり均衡しています。その意味では、急激に市場が大きく崩れる状況ではないと考えています。だからといって楽観しているわけではありません。重要なのは、価格がどう動いても評価される競争力のある物件をつくることです。
―― もともと不動産業、そして東急不動産に興味を持っていたのですか。
田中 学生の頃から街づくりが好きでした。海外旅行でいろいろな街を見るのも好きでしたし、歴史も好きで、地方へ行って城や古戦場を見て回ることもしていました。そうした経験を積むうちに、「街をつくる仕事をしてみたい」と思うようになりました。
―― 昔の街づくりと今の街づくりに共通するものはありますか。
田中 例えば金沢なら、経済的な発展と文化を共生させた街づくりが素晴らしい。これは現代にもつながります。さらに防災に対する考え方です。治水や都市基盤の整備など、昔の人たちは街をつくる時から災害への備えを考えていました。現代の街づくりでも、その考え方は変わりません。渋谷サクラステージでも、防災訓練や災害時の備蓄などを整え、災害時の拠点、BCPの中心となるような役割を果たしていきたいと考えています。街をつくるだけでなく、街を守る役割も担っていきたいと思います。
―― 街づくりについての興味は分かりましたが、数ある不動産会社の中でなぜ東急不動産だったのですか。
田中 学生時代はバブル経済の時代で、スキーやゴルフ、リゾートなどが身近でした。東急不動産はリゾートに強い会社というイメージがあり、それも魅力に感じて入社しました。実際入社後も、ホテル・リゾート関係だけで二十数年携わりました。ホテルをつくる土地を取得し、建物を建て、事業計画をつくる開発も経験しましたし、運営会社にも約8年半在籍していますし、販売も経験しました。開発から運営、販売まですべてを経験できたことが今の私につながっています。その後、コーポレート部門で企画を中心に約6年、住宅は約2年という経験もしました。
―― リゾート運営の仕事の魅力とはなんですか。
田中 会員制ホテルでは、長くお客さまに使っていただけることが何よりうれしいです。子どもの頃から家族で来ていた方が、今度は自分の子どもや孫を連れてくる。世代を超えて思い出が受け継がれていきます。東急ハーヴェストクラブは1988年に開業し現在は約2万8千人の会員がいます。新しい施設ができると「今度はここができるのか」と期待して入会していただく。長い時間をかけてお客さまに評価され続ける事業に携われたことは、大きな達成感につながっています。
いつかは実現したいリゾートとの2拠点生活
―― 社長に就任したばかりですが、いずれバトンタッチする日がきます。その時に東急不動産をどんな会社にしていたいですか。
田中 「東急不動産に任せたい」「東急不動産と一緒に街づくりをしたい」と思ってもらえる会社にしたいです。もちろん企業規模を大きくすることは重要です。しかし、規模だけを追うのではなく、「東急不動産でなければできない街づくり」ができることが大切だと思っています。環境や再生可能エネルギーなど、われわれが持っている強みを街づくりに組み込むことで独自性を出していきます。定量的な成長と、東急不動産らしい強みの両方を追求していきたいと考えています。
―― それでは、社長としてではなく、個人としての夢は何でしょう。
田中 少し将来的な話になりますが、時間に余裕ができたら2拠点、あるいは2地域居住をしてみたいと思っています。東京生まれなので東京をベースにしながら、もう一つ拠点を持つ。
―― 候補地はどこですか。
田中 昔は沖縄のような海のある場所に憧れていました。スキューバダイビングは入社1年目の夏休みに免許を取得、あっちこっちの海に潜っています。
最近では事業地であるパラオで潜りました。海の中を見ると、現地の人たちが喜んでくれます。「自分たちが守っている海を見てくれた」と感じてもらえるからです。ダイビングは、ゴルフのようにスコアを競ってストレスをためることがありません。必ず癒やされて帰ってこられます。そういう意味でも、海はいいですね。
ただし、近頃は海もいいけれど涼しいところもいいと思うようになりました。蓼科や河口湖、那須などの山もいいですし、札幌や博多のような都市も面白いと思っています。いずれにせよ、東急不動産の手掛けるホテルやリゾート施設があります。その意味でいい会社に入ったと思います。