日本製鉄によるUSスチール買収が、ようやく完了した。政治案件化したことで一時は危ぶまれたものの、日鉄が粘り強い交渉と譲歩でトランプ大統領の「説得」に成功した。だが本番はこれからだ。自らが生き残るためにも、USスチール再建の失敗は許されない。文=ジャーナリスト/井田通人(雑誌『経済界』2025年9月号より)

右肩下がりの国内粗鋼生産量
「日本製鉄による新生USスチールの経営がスタートする」
USスチールの買収完了翌日の6月19日に日鉄が本社で行った記者会見。橋本英二会長兼最高経営責任者(CEO)は、高らかにそう〝勝利宣言〟した。
日鉄は当初計画通り、USスチール株を1株当たり55ドル、総額141億ドル(約2兆円)で買い取り完全子会社化した。一方、2028年までに110億ドル(約1兆6千億円)を投じる方針を打ち出し、バイデン政権時に示した金額から大幅に積み増した。
「足枷」もはめられた。代表例が、経営の重要事項について拒否権を有する「黄金株(拒否権付き種類株式)」を米政府に与えたことだ。ほかにもピッツバーグ市に本社を残す、社名を維持するといった条件をつけられ、人事面でも米政府が取締役1人の選任権を持つことや、CEOや最高財務責任者(CFO)を含む中枢メンバーを米国籍とすることまで盛り込まれた。
それでも橋本氏は「経営の自由度と採算性は確保されている」と強調。買収否定から承認へと転じたトランプ氏を「歴史的な大英断」と持ち上げてみせた。
日鉄はなぜ大幅な譲歩をしてまでUSスチールにこだわったのか。それは買収が「日鉄が世界一に復権するために必要かつ有効な戦略」(橋本氏)であるからにほかならない。
同社を取り巻く環境は厳しい。
第一に、足元の日本国内はジリ貧の状況にある。24年度の粗鋼生産量は前年度比4・5%減の8295万トンと3年連続で前年を下回り、1970年以降では新型コロナウイルス禍が直撃した2020年を除けば過去最低の数字となった。今年もトランプ政権による鉄鋼追加関税が影響し、4年連続の前年割れは避けられない見通しで、8千万トンに届かない可能性すらある。中長期的に見ても、人口減で1億トンの大台回復はもはや期待できないとの声がもっぱらだ。
一方で海外に目を向けると、世界生産の5割超を占める中国のメーカーが台頭。24年のメーカー別粗鋼生産量ランキングでは、首位の宝武鋼鉄集団(1億3284万トン)をはじめ、上位10傑に6社が入った。日鉄(4437万トン)は何とか4位を死守したものの、世界首位になったこともある新日本製鉄時代の勢いはない。中国勢以外にも、2000年代以降にM&Aで巨大化してきたルクセンブルクのアルセロール・ミタル(6889トン、2位)や、日本勢と市場が重なる韓国ポスコホールディングス(3864トン、7位)など強力なライバルは多い。日鉄が今後もこうしたライバルに対抗し、トップの地位を死守するには、国内事業を需要減に合わせて縮小する一方、海外で成長市場を積極的に取り込んでいくしかない。
もっとも、鉄鋼業は他産業や地域雇用に与える影響が極めて大きいだけに、米国に限らず政治が進出の「壁」となることが少なくない。自国市場はできるだけ自国メーカーに任せたいと考える国が大半を占める中、大規模な投資を打ち出したとしても歓迎されるとは限らない。そのため日鉄は、東南アジアや米国など、日本に友好的で、かつ経済的に成長している国や地域にターゲットを絞ってきた。
海外進出には他にも制約がある。下工程(加工工程)だけならまだしも、高炉を中心とする上工程を含む一貫製鉄所を作るには莫大な資金が必要だ。高炉1基だけでも建設費用は数千億円にのぼり、失敗時の打撃が極めて大きいことから、自国以外で新設に乗り出す例は、ポスコがインドネシアで現地メーカーと運営する製鉄所など、ごくわずかしかない。
そこで日鉄が採用しているのが、製鉄所を新設する「グリーンフィールド投資」ではなく、現地のメーカーや製鉄所を買い取る「ブラウンフィールド投資」だ。売りに出たメーカーや製鉄所は、経営が傾いた「キズ物」であることもあるが、自らの先端技術を供与するなどして生まれ変わらせることができれば、より少ない費用やリスクで進出を成功に導ける。
M&Aで実現した製鉄の「地産地消」
日鉄は19年、インド4位のエッサール・スチール(AM/NSインディア)を約7700億円でミタルと共同買収した。エッサールは当時、経営再建中だった。しかも債権者間の再建分配を巡る裁判が長期化し、買収完了に2年近くを要したが、無事手に入れることができた。
インドは経済成長が続く一方で、日本企業がことごとく企業買収や進出に失敗してきた「鬼門」でもある。AM/NSインディアに対する出資比率はミタル60%、日鉄40%。日鉄は主導権をミタルに譲る代わりに、リスクを最小限に抑えた。インド出身で同市場を知り尽くしたラクシュミー・ミタル氏が率いるミタルを引き込むことで、インドでのビジネス拡大を円滑化する狙いもあった。
日鉄とミタルの強力なバックアップを得たAM/NSインディアの経営は順調で、技術力も高まっている。現在はインド西部の製鉄所で高炉を新設し、粗鋼生産能力を年900万トンから1500万トンに増強する工事を進めているほか、南部のアンドラプラデシュ州では生産能力が700万トン規模の一貫製鉄所を建設する方向で動いている。
日鉄は、ほかにも22年にタイの電炉大手2社を買収して完全子会社化したばかりだ。一方で供給過剰が続き、米国などにとって安全保障上の脅威となっている中国とは距離をとり、24年8月には山崎豊子氏の小説『大地の子』のモデルで製鉄所立ち上げに協力した宝山鋼鉄(宝武鋼鉄傘下)との47年に及ぶ関係を解消、現地生産を大幅に減らしている。
以前の日鉄は、需要確保やリスク回避のため日本の自動車メーカーと歩調を合わせて海外進出するケースが目立った。しかも、その対象は前述のように投資が比較的少ない加工工程に限られ、母材については日本から送ることが多かった。一方で、技術供与先の宝山やポスコが強力なライバルに育ってしまうなど、「誤算」も見受けられた。
それだけでは成長はおぼつかないと、M&Aを駆使しながら進出し、上工程からの「地産地消」を目指す姿勢を鮮明にしたのが、ほかでもない橋本氏だ。副社長時代にはグローバル事業推進本部長としてエッサール買収を陣頭指揮。19年に社長となってからは、国内に15基あった高炉を10基まで減らす一方、合理化によって得た資金を海外投資に回し、新たな「成功の方程式」を築きつつある。
AM/NSインディアと同様、USスチールに技術を惜しみなく与え、経営を立て直すことができれば、日鉄は重視する東南アジア、インド、米国の3極で基盤を固めることになる。しかもUSスチールクラスの「売り物」は滅多にないとなれば、前のめりになっても全くおかしくはない。
USスチールをいかに復活させるのか
日鉄の源流ともいえる官営八幡製鉄所(北九州市)の東田第一高炉に灯がともったのは1901(明治34)年2月5日。JPモルガン傘下のメーカーや、「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーのメーカーなどが合流する形でUSスチールが誕生したのは、その20日後のことだった。
60年代までは、モータリゼーションや「大量生産・大量消費」の到来を背景に、USスチールが世界の盟主として君臨し、日本メーカーも彼らから学ぶことが多かった。だが70年代に入るとUSスチールは労使対立や技術開発の停滞が目立つようになり、販売で得た利益を技術開発に回して製品力を強化し、さらに売り上げを伸ばすという「基本」が崩れ始めた。ちなみに八幡製鉄と富士製鉄の合併で70年に誕生した新日鉄は、それによって粗鋼生産でUSスチールを上回り、初めて世界トップに立っている。
それから50年以上が経過し、日鉄が旧住友金属工業との統合などもあって5位以内を死守しているのに対し、USスチールは粗鋼生産量で29位(1419万トン)といまだに低迷している。2兆円の巨費を投じて手に入れたにもかかわらず、日鉄とUSスチールを合わせた粗鋼生産量は5782万トンにしかならず、順位も4位のままだ。前述の「足枷」もあり、買収を疑問視する声は根強い。
日本企業の米国企業買収で思い起こされるのが、東芝による米原子力大手ウェスチングハウス・エレクトリック(WH)買収だ。東芝は名門のプライドに凝り固まったWHのグリップに苦しみ、経営を再建するどころか、自身の経営まで悪化して倒産寸前にまで追い込まれた。USスチールもWHに負けぬ劣らぬ名門で、かつての師匠を弟子が助ける形となるだけに、やり方を間違えれば東芝の二の舞に陥る可能性も捨て切れない。
もっとも、成功した場合の意義が途方もなく大きいのもまた事実だ。再建に成功すれば、日鉄自身の海外展開にとって大きなプラスとなるだけでなく、米製造業復活ののろしにもなり得るほか、日米の経済を支える企業同士の連携という観点でもモデルとなる。また、米中分断の時代に日本メーカーがどうふるまえばよいかを示すことにもなる。
橋本氏も会見で、「日本の製造業による新たな時代の発展の一つの形になり得る」と強調した。鉄鋼業界に限らず、多くの人々が買収後の行方を固唾を飲んで見守ることになりそうだ。

