独自の視点で「バリアバリュー」を提唱し、昨年見事に上場を果たされたミライロの垣内俊哉さんをお迎えしました。車いすユーザーとして初の東証打鐘という歴史的快挙を成し遂げた垣内さんに、上場後の心境の変化や、日本が誇る多様性社会の未来図、ご自身の幸せについてじっくりと伺います。構成=佐藤元樹 Photo=藤岡修平(雑誌『経済界』2026年8月号より)
垣内俊哉 ミライロのプロフィール
かきうち・としや 1989年岐阜県生まれ。骨形成不全症で車いす生活。2010年、ミライロを設立。「バリアバリュー」を理念に、ユニバーサルマナー検定の運営やデジタル障害者手帳「ミライロID」を展開。昨年、東証グロース市場への上場を果たした。
歩けないことに胸を張れ 障害を強みに変えた原体験
佐藤 経済界の「金の卵発掘プロジェクト(現、経済界Golden Pitch)」受賞から4年がたちました。当時の授賞式で、安倍晋三元首相が身を乗り出してプレゼンを聞かれていた姿が印象的でした。
垣内 光栄な出来事でした。安倍元首相が築かれた日本の基盤の素晴らしさには感謝の念に堪えません。
佐藤 昨年3月には東証グロース市場への上場を果たされましたね。
垣内 初めは、車いすでは届かないため打鐘できないと言われました。ですが皆さまのお力添えで専用スロープが設置され、歴史上初の車いすでの打鐘が実現しました。そのスロープが東証に保管されることが最大の喜びです。
佐藤 テレビ放映されたお姿から、勇気をもらった当事者やご家族も多かったのではないでしょうか。
垣内 「車いすに乗っている当事者が胸を張って活躍する姿を見て、親として安心を覚えました」という言葉をいただきました。
私がこの道を歩み始めた原点は病室での出会いにありました。自暴自棄になっていた17歳の時、同室の男性から「人生はバネのようなもの。今は縮む時期なんだ」と励まされたのです。その言葉を胸にリハビリに打ち込むも結果は出ず、歩くことを「諦める」結末を迎えます。仏教由来の言葉である「諦める」は「明らかにする」という意味を持ちます。自身の現在地を明らかにしたことで、歩けなくてもできる道を探し始めました。
その後、アルバイト先で営業を命じられました。駅にエレベーターがなく、訪問できる先が少ない中でも車いすで駆け回るうちに成績が首位になったのです。「歩けないことに胸を張れ。車いすに乗っているからこそ覚えてもらえる」という上司の言葉に涙が止まりませんでした。障害があるからこその道を示していただいたのです。
佐藤 その原体験が今の事業に結びついているのですね。ユニバーサルマナー検定も社会に定着してきました。
垣内 財務省や金融庁などの各省庁や、各リーディングカンパニーの研修に採用されたことが転機でした。それを機に各社が足並みをそろえて取り組み始め、多くの企業さまへ導入が進んでいます。日本は1300年も前の大宝律令の時代から、障害の度合いに応じて税を減免するなど多様性と向き合ってきた歴史を持ちます。誰かが一歩を踏み出すことで共感の輪が連鎖し、世の中は良い形に変わっていくのだと実感しています。
佐藤 人口減少が進む日本において、障害を一部の人の問題ではなく、社会全体の課題として向き合う必要があります。
垣内 日本の障害者は1165万人、高齢者も合わせれば5千万人に迫る巨大な市場です。社会課題の解決を非営利団体ではなく、株式会社としてビジネスの力で推し進めることには意義があります。利益を生み継続する仕組みがなければ、良い取り組みは広がりません。私たちが掲げるバリアバリューとは、障害を価値に変え、自己の可能性を最大化するという意味を含んでいます。
佐藤 企業も、多様性を取り入れることが成長の鍵になりますね。
垣内 自然界を見渡すと、オナモミという植物は不測の事態に備え、発芽時期をずらす種子を持っています。組織においても多様性を重んじ、ばらつきを持たせることが柔軟性につながり、企業成長の源泉になります。同じ方向を向いた上で多様性を包摂する組織をつくることが、これからの強みになるはずです。
命と商いをつなぎ バリアフリーを世界へ
佐藤 日本におけるバリアフリーの水準は世界に後れを取っているという声も聞きます。
垣内 それは誤解です。私がパリを訪れた際、地下鉄の駅にエレベーターが設置されていませんでした。対して日本は高い水準で整備が進む、外出しやすい国だと言えます。これは日本が長年培ってきた資産を世界へ発信していく絶好の機会です。その一歩として、障害者手帳をスマートフォンで管理できるアプリ「ミライロID」の海外展開を見据え、日本と海外の障害者が相互の支援を受けられるような、世界共通の基盤へ育てる構想を描いています。
佐藤 事業の規模拡大とともに、垣内さんご自身の人生も豊かなものにしていただきたいと願っています。最近、ご自身の家系図を調べられているとか。
垣内 中津川にある自身のルーツを紐解いた結果、先祖がみな商人であったことを知りました。私の病気は江戸時代後期から続く遺伝性で、私で9代目にあたります。先祖は不況の激動期を乗り越え、200年以上の長きにわたってこの体とともに商いを守り抜いてきました。
佐藤 世代を超えて受け継がれてきた歴史があるのですね。
垣内 過去に手術の影響で心肺停止となり、3日間昏睡状態に陥ったことがありました。目は覚ましたものの、いつ何が起こるか分からない命なのだと痛感しました。死の淵をさまよう体験があったからこそ、限りある人生の長さは変えられなくても、目の前の仕事や人との出会いに真摯に向き合うことで、人生の幅は広げられるのだと悟ったのです。
そうして生かされていることへの感謝を抱くことで、後世に何を残せるのかを意識するようになりました。10代目、11代目へと歴史をつないでいくことが、今を生きる私の大切な役割の一つだと感じています。