アジア最大規模の国際映画祭であり、世界中から映画人が集う秋の恒例イベント「第39回東京国際映画祭」が今年も開幕する。映画祭全体を仕切る統括責任者のフェスティバル・ディレクターに5年ぶりに復帰した久松猛朗氏は、節目となる来年の第40回も見据える。現在の課題と目指す未来を聞いた。聞き手=武井保之 Photo=逢坂 聡(雑誌『経済界』2026年12月号より)
久松猛朗のプロフィール
ひさまつ・たけお 1954年生まれ。山口県出身。78年松竹入社。宣伝プロデューサー、映画興行、映画館番組編成等の勤務を経て86年にアメリカ松竹副社長兼リトル東京シネマ支配人を務める。89年に東京へ戻り、興行部次長に就任。94年タイムワーナーエンターテイメントジャパンに移籍し、ワーナーブラザース映画の営業本部長、2003年松竹の常務、06年衛星劇場の社長を経て、10年にワーナーエンターテイメント・ジャパンに戻り、ワーナーブラザース映画副代表に就任する。17〜20年度まで「東京国際映画祭」フェスティバル・ディレクターを担務。マイウェイムービーズ代表を務める。
5年ぶりの復帰への思い 至らなかった点もあった
―― 大手映画会社の要職を歴任し、現在は自身の会社・マイウェイムービーズで活動を続けています。
久松 幸いなことに、これまで映画会社の配給(宣伝、営業)、製作、経理、劇場の番組編成、洋画買い付けまで、幅広く携わってきました。そういう人は業界内に少ないかもしれません。
マイウェイムービーズは、積極的に映画製作を手がけるわけではなく、基本的にいろいろな会社の顧問や、映画祭などイベントのアドバイザーが主な事業です。映画企画も動かしていましたが、東京国際映画祭(TIFF)のフェスティバル・ディレクター(FD)を引き受けることになり、いったん休止しています。
―― 2017年から4年務めたFDへの5年ぶりの再任になります。
久松 とても光栄に思っています。今振り返れば、前回の任期中に思い通りにできなかったこともありました。未熟で至らなかった点も思い浮かびます。そうした反省も生かして、今回は自身の映画人生の総決算の場として、すべての知識もネットワークもフル活用してやり遂げたいと考えています。
―― 思い通りにできなかったことを含めて任期をどう総括しますか。
久松 一つはコロナ禍があり、協賛減など収支的に厳しかったことがあります。一方、映画祭自体の総動員数は増やしてきました。そのなかで、アートとエンターテインメントの調和を掲げていましたが、シネフィル(コアな映画ファン層)をはじめ、映画の文化や芸術性に重きを置く一部の人たちからは、映画祭の方向性が間違っているという意見もいただきました。その一因には、メディアへの広報活動を含むコミュニケーション不足があったと思います。
ただ、全体の総括としては、決して悪くはなかった。厳しい環境のなかで踏ん張っていました。しかし、もっとこうすればよかった、こうすることもできた、と考えることがあります。
今改めて思うのは、映画の魅力は多様で多彩であること。年に何十回も映画館に行く人と、年に2〜3本しか映画を観ない人それぞれがこの映画祭のプログラムに観たい作品がある。芸術性の高いアート作品も、商業的なエンターテインメント作品もある。そういう映画祭にしたいと考えています。
日本作品を世界へ売り込む TIFFの役割と新たな施策
―― 今年の映画祭で達成すべき目標を教えてください。
久松 テーマに「コネクト」を掲げています。日本と世界の映画人をつなぎ、日本映画やアジア映画を世界につなぐ。映画祭の役割は、映画産業の文化的および商業的発展への貢献に尽きます。そのために、TIFFに今何ができるかを追求し、映画の多様な魅力と、人それぞれの楽しみ方を提供していきます。
もう一つは、来年の第40回の節目の開催に向けて、今回からコネクトしていく意味もあります。
―― 久松さんの再任によって、新たに動き出す部分はありますか。
久松 今年4月に就任したばかりです。今回大きく舵を切ることはありませんが、来年の節目に向けての助走であり、これから先のTIFFの一つの方向性を明確に打ち出すためのステップと位置づけています。
―― 日本の映画産業は好調です。昨年は年間興行収入を更新しました。
久松 5年ぶりにTIFFに戻った今感じるのは、日本の映像コンテンツが非常に元気であり、世界中から熱い視線を集めていること。とくにアニメがけん引しているわけですが、実写でも今年の「第79回カンヌ国際映画祭」コンペティション部門には、是枝裕和さん、濱口竜介さん、深田晃司さん3人の日本人監督の作品が入っていました。今まさに日本の映画産業は、かつて黒澤明さん、小津安二郎さん、成瀬巳喜男さんらが世界的に高評価を受けた時代の入り口に再び立っていると感じます。
―― その流れのなかTIFFが担う役割はどう考えますか。
久松 日本コンテンツへの評価が世界的に高まっています。同時に、政府は映画を含むコンテンツ産業を「戦略17分野」の一つに指定し、33年までに海外売上高を20兆円に引き上げる目標設定を掲げています。公的な支援も受けながら、日本映画の海外発信をより厚くしていきたい。映画祭にはコンテンツの輸出入双方の機能があります。そのバランスにおいて、日本の映画やフィルムメーカーを海外に送り出すプラットフォームになる部分をより強化していく方向で考えています。
―― その手法を教えてください。
久松 従来以上の海外メディアへの露出強化や、世界の映画祭との連携などやることは多くあります。そのなかで今回から新たな試みとして注力するのが、ワーク・イン・プログレスです。日本のクリエーターの制作過程の作品を、海外の主要国際映画祭のプログラマーに披露するショーケースのような場になります。実は昨年もクローズドで行っていましたが、今年はより規模を大きくオープンにして実施し、日本のクリエーターおよび企画や作品の世界進出を後押ししていきます。
もう一つは、これまでのNippon Cinema Now部門にコンペティションを導入し、そこでの顕彰から、若い才能を海外に発信していきます。
―― 来年の第40回の構想はこれからですか。
久松 映画祭が新しく生まれ変わるいいタイミングだと捉えています。世界中の国際映画祭のなかでどういうポジショニングにするか。TIFFに求められていることは何か。あるいは、TIFFが最も輝くためのポジションはどこか。それらの答えを今年の映画祭期間中にすべて見つけるのは難しいかもしれませんが、期間前後も含めて、これまでずっと考え続けてきたことを交えて議論し、まずは今年の映画祭が終わったらすぐに大きな方向性を打ち出す必要があると考えています。
ただ、これまでの映画祭から変わることを前提にするのではなく、現在のポジショニングを改めて評価した上で、これからの映画業界にどう貢献し、世界の国際映画祭コミュニティのなかでいかに価値ある映画祭になっていけるかを再定義することからのスタートになるでしょう。
―― 近年、映像制作における生成AIの活用が議論になっています。韓国の一部映画祭では今年、AI映像を使った映画に特化したコンペティション部門がスタートしました。
久松 個人的にAIは“火”と考えています。人類が火を使うようになってから、それが怖いから使うのをやめようと考える人はいない。しかし、クリエーターや俳優のなかには権利問題を含めて警戒心を持つ人もいますので、映画祭としてどう扱うかは慎重になるべき。一方、すでに実際の制作現場では、脚本家がAIとアイデアのキャッチボールをしたり、クリエーターがCGの一部をAIに作らせたり、いろいろな場面で使われています。前述のようなTIFFが掲げる目的に対して、AIが資する可能性は非常に大きい。避けて通ることはできないでしょう。何らかの形で映画祭に取り入れていきたい思いはあります。
課題はコスト高と集客 不安定な協賛への追い風も
―― 現状の課題はありますか。
久松 会場を日比谷に移し、近年はとくにうまくいっています。一方、お祭りですから、いかに社会から注目され、世の中を盛り上げるかという部分には、課題も感じます。
多くの人が華やかなイベントを楽しむ祝祭感をもっと打ち出していきたい。そこから人もメディアも集まり、より多くの協賛企業から関心を持ってもらえる。予算が増えれば、マーキーバリュー(注目度・集客力)のある国内外の俳優を多く呼んで豪華なレッドカーペットができる。そんなプラスのスパイラルを生み出していかないといけない。
現実問題として大きいのはコスト高です。海外ゲストの招聘費用がここ数年で3倍ほどまで跳ね上がり、映画祭運営コストも2〜3割増になっています。収支で見たとき、祝祭感の向上を掲げながらも予算的にはけっこう厳しい。裏方の業務の効率化や簡素化など、表側を派手で華やかにする演出といかにバランスをとってうまくやるかですね。
―― 協賛企業の増減はいかがですか。
久松 なかなか安定はしないですね。昨年は企業協賛で2億8千万円ほど集まりましたが、今年は世界情勢などにより多くの業界が厳しい局面に置かれるなか、大口企業の協賛額が減ったりしています。また、企業側の期待とのミスマッチなどにより、満足度向上のための努力はしているものの、ドロップアウトされるケースもあります。それぞれの業界や企業特有の事情があるので、われわれがコントロールしづらい面があるのが現実です。
そうしたなか、今年は世界的ブランドのロレックスが冠スポンサーになりました。マーケティング上の費用対効果の観点だけでなく、ブランドイメージへの影響においてTIFFに価値を見いだしていただいたお陰だと思います。そういった期待に応えることをこれからも積み重ねていきます。まずは既存の協賛企業のリテインですが、より広くスポンサードを増やしていけるよう努力します。
もし、読者の皆さまが少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ声をかけてください。まずは映画祭を体験していただけると幸いです。
レッドカーペットの様子 〈©2025 TIFF〉