経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

ヒットを生み出す地べたのマーケティング(前編) ――山本康博(ビジネス・バリュー・クリエイションズ代表取締役)

札束マジックで意表を突く

「100円お持ちですか?」と切り出された。BVCこと、ビジネス・バリュー・クリエイションズ本社。『ヒットの正体』(日本実業出版社)をヒットさせたマーケティング業界では知られた男、山本康博代表取締役の最初の一言が、これだった。小銭入れから100円玉を出す。山本が引っ張り出してきたのは、ああ懐かしき、板垣退助の肖像の入った、あの100円札だった。さらに問われた。「1万円札はありますか?」次々と繰り出される意表を突くやりとりで、思わず、今度は札入れから1万円を引き出して手渡した。と、山本が金庫から引っ張り出してドンと机の上に置いたのは、札束だった。一瞬、万札の束に思えるが、一束きっちり1万円、100円札の束なのである。

「この行為では、賄賂として逮捕されることはありません」と山本は畳み掛けた。「等価交換、両替だからです」

「一般のお店で使えますか?」

「今でも流通している貨幣ですからコンビニでも年配の店長なら了解してくれます。銀行でも窓口では両替してくれますが、機械は受け付けません。ATMも自販機も」

「どこで入手を?」

山本康博

(Photo=Shinsuke Yamamoto)

「古銭商でまとめ買いします」

根っから人を面白がらせるのが好きだという。驚き。意外性。それがヒットにつながるのだろうか。既にBCVに一歩足を踏み込んでから、心をわしづかみにされている。

以前、渋谷に「Soho’s VINO ROSSO」というイタリアンがあった。Sohoと言ってもニューヨークのソーホーではなくて、月川蘇豊というオーナーの名前に由来したお洒落な店だった。若くハンサムだった高校生の山本はここで黒服をしていたという。

山本は新聞配達から黒服までアルバイトを重ねながら高校卒業後アメリカに遊学し、帰国後伊藤園に入社。飲料メーカー向け原料茶葉企画営業に携わった後、1990年に伊藤園ブランド立ち上げの際に商品企画部へ移った。広告販促予算ほぼゼロの中、92年、93年と2年連続で日経ヒット番付に選ばれたヒット商品「ぎゅっと搾ったレモン水」と当時の野菜ジュース概念と常識を変えた「充実野菜」などを企画開発した。

伊藤園からコカ・コーラへ

95年に日本コカ・コーラへ移り、世界レベルの戦略マーケティングを叩き込まれる。竹中直人を起用した「リアルゴールド」の缶化、ベータカロテン飲料「ベジータベータ」、松雪泰子起用の乳性飲料、反町隆史起用の「茶系飲料」等、多くのブランド立ち上げ、多額の損益責任を持ったブランドマネジャーを経験後、31歳でマーケティング統括部長代理(Strategic Marketing Deputy Group Manager)に就任。1兆円規模のコカ・コーラ社新製品マーケティング戦略全般を担当、4年間在籍する。

当時の山本のボスは、現在の資生堂執行役員社長の魚谷雅彦だった。

「魚谷さんは背も高いし、オーラがありました。現場主義で、何でも自分でやりたい。現場にもガッツリ入っていくから皆、大変でした。私も含めたブランドマネジャーに朝、『11時からミーティングやるから空けとけ』と言うんですね。誰かが、朝の11時ですかと聞いたら、『朝だと皆、空いてないだろ?』と一喝されました。定時が午前2時という感じでしたね。翌朝、私は8時に出社してましたけど、もっと早くに魚谷さんはいました。夜1時くらいまで残業していると魚谷さんが回ってくるんですよ、背が高いからパテーションから頭が出ていて、『早く帰れよ』と言うんですが、こっちこそ、『あんたが早く帰れ!』と思ってました(笑)。一方で、マーケティングのことを教えてくれる、魚谷塾というのがありました。皆、そこの卒業生です。卒業生の口にすることは皆、魚谷さんの言っていたことのコピーです」

JT、そしてサラリーマンからの脱皮

山本は99年に日本たばこ産業(JT)へ移り、翌2000年4月、34歳で飲料事業部マーケティング部長となり、その後、飲料事業を売り上げ300億円から5倍の1500億円まで拡大させた。多額の予算を元に直属部下23人を指揮管理した。女優の竹内結子を起用した緑茶飲料、モーニング娘。を起用した中国茶飲料、ブラッド・ピットを起用した缶コーヒー「ルーツ」などを企画、発売。00年日本食糧新聞優秀ヒット賞受賞、01年JT社長賞受賞、2年連続飲料業界トップ売り上げ伸長率達成、7年間在籍した後の06年3月、40歳で希望退職に応募して退社する。

「独立してから仕事がありませんでした。外に出てから3年間は全く駄目。お金にならなかった。でも4年目にブレイクしました」

その理由を尋ねると、山本はこう答えた。

「それは多分、サラリーマン色が出ていたからだと思います。新聞配達、黒服、2トントラック運転手と全くサラリーマン的ではなかった自分ですが、20代30代ですっかり染まっていたのですね。サラリーマンの馬鹿プライドに」〈文中敬称略〉(後編に続く)

(文=戸田光太郎)

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