シリコンバレーで起業し、企業と投資家に関する豊富な情報を武器に活躍するハックジャパンCEOの戸村光氏。本連載では、資金調達、資本提携/協業、買収といった様々な事例を取り上げ、その背後にあるマネーの動きと企業戦略を、同氏が独自の視点で分析していく。
グーグル本社のHRが意思決定の根幹にするピープルアナリティクス
ピープルアナリティクスという言葉をご存知だろうか。より良い職場をつくるための制度設計、戦略、その他あらゆる人事における意思決定に関して、データをもとに導き出す手法のことを意味する。
グーグルの本社では2006年ごろに考案され、現在では同社の人事や経営チームの意思決定はどんな些細なものでもその手法に依存している。
今回は、元グーグル本社の人事戦略室に在籍し、その後HRアナリティクス領域の最前線で活躍する小川高子氏と、ボストンコンサルティンググループやグーグルで事業開発とデジタルマーケティングのコンサルティングに従事し、小川氏とパナリット・ジャパンを共同創業したトラン・チー氏に独占取材を行った。
小川氏らはピープルアナリティクスをどんな組織でも簡単にアクセスできるようにするSaaSツール「パナリット」を展開する。同社にはグーグル、アップル、ウーバーなどの成長企業の本社人事部出身のメンバーが多く、パナリットはその経験で培ったピープルアナリティクスの知見を集約したサービスとも言える。
ピープルアナリティクスの極意と、これまで企業でどのような意思決定や変革が同手法により行なわれてきたかを探った。
グーグルの採用方式も変更したデータに基づいた意思決定
グーグルのユニークな面接手法は、一時期IT界隈の誰しもが知るところだった。有名な採用面接のお題を例にあげると「冷蔵庫にゾウを入れるにはどうすればいいか?」といったものがある。
グーグルはこれまであらゆるユニークな面接問題を求職者に投げかけ、思考力を測る一つの材料としてきた。ところが最近、この手の面接問題をめっきり聞くことがなくなった。
その背景にはピープルアナリティクスチームがいる。彼らのデータ解析によると、このような頓知問題と、実際の仕事でのパフォーマンスには全く相関がない―すなわち、この類の面接の問いに、からきしアセスメントとしての意味がないことが証明された。
その分析結果を受け、ユニークで奇妙な採用問題は全世界で廃止することが命じられた。代わりに、より精度の高い面接手法として、構造化面接(※あらかじめ評価基準や質問項目を決めておき、手順通りに実施していく面接手法。面接官による評価のズレが防止でき、安定しやすいメリットがある)を取り入れるキッカケにもなった。
その他にも、これまでエンジニアの採用面接は質問の答えをホワイトボードに書く方式だったが、そもそもホワイトボードにコードを書くことが実践的でないという点、さらに面接官がホワイトボードから回答を再度タイピングして、面接記録を作らなければならず二度手間になる点をもとに、非効率な面接手法をデジタルに切り替えるというプロジェクトが走った。
グーグル全オフィスにおける年間の面接ボリュームから計算すると、面接官工数にして1万時間、優に数億円の工数削減が可能とデータから導き出した。
現在は面接専用アプリの入ったクロームブックが面接室に用意され、エンジニア面接では答えをパソコンに直に打ち込めるようになったという。
ピープルアナリティクスチームは少数精鋭であるが、従業員にまつわるあらゆるデータを分析して企業の意思決定に関与する。データやファクトからの定量のインサイトと、現場やマネジメントからの定性インサイトを掛け合わせ、企業の幹部の意思決定をより良いものにすることがミッションだ。
「人事に関わるどのような意思決定も、単に現場の声や上層部の直感で決めるということはありませんでした。グーグルのプロダクトに関わる全ての意思決定がそうであるように、人事に関しても仮説をたて、データを集め、分析し、小さなスケールで実証実験し、効果検証し、スケールする…この、正解に近づくためのプロセスを非常に大切にしていました」
と小川氏は語る。
パナリットの特徴と活用法とは
パナリットは、まさにグーグルのピープルアナリティクスチームが自社で展開してきたようなデータによる意思決定を、どのような企業でも簡単に取り組めるようにしたツールといえる。
パナリットは既存のあらゆる人事クラウドサービスと連携し、難しいコーディングをしなくてもデータを整えて分析できる状態にし、人事や経営の意思決定者が必要なときにすぐに扱うことを可能とする。
例えば、採用管理ツール、勤怠管理ツール、人事基幹システム、労務管理ツールとこれまで連携して取り扱うことが困難だったツールとそのデータが、パナリットを利用することで一本筋となり、俯瞰的に分析できるようになる。これらの今まで活用されなかったデータは組織にとっての宝となり、人材の成長を一層促したり、組織にとっての機会損失を把握したりすることに役立てられる。
また、近年では人事システムに限らず、メールやチャットツールから取れるメタデータを使ったデジタルな勤怠状況把握や、ネットワーク量の変化から従業員エンゲージメントの推移を捉えるといった、コミュニケーションデータを元にした分析手法も注目される。
多くの企業が急激にリモートワークに取り組み始めたなか、見えない社員のケアやマネジメントに経営・人事・現場がそれぞれ苦戦している。そのような状態の企業にも、コミュニケーションデータを用いたネットワーク分析手法は有効な打ち手と言える。
大掛かりなアナリスト部隊を持たなくても、現場での運用が可能なことで、コスト面のメリットも大きい。
推定ではあるが、グーグル本社の人事戦略室にはアナリストやプロジェクトマネージャーが約100名在籍しており、システムも相当の運用コストがかかっていると考えられる。そのような膨大なコストをかけられる企業は非常に限られるが、パナリットはどんな企業も手軽に、手堅くピープルアナリティクスに取りかかれることを目指す。
データを取り入れた客観的な人事意思決定が広まることで、「世の中の“働く”がより良いものになると確信している」と小川氏は話す。
ピープルアナリティクスは日本の雇用を一新するか
米国ではここ10年ほどで、爆発的に認知と投資意欲が伸びているピープルアナリティクス。今回紹介したパナリットはリリースから1年弱ですでに6カ国で導入されていることからも、世界的な悩みの種を解決しているのではないかと言える。日本も例外ではなく、昨年半ばの国内リリースから、急成長中のユニコーン企業や変革期にある一部上場企業を中心に、導入社数を増やしてきた。
今まで以上に労働市場の変化や競争が激化していくなか、日本の労働者の生産性を高めることは日本企業にとって必要不可欠の生存戦略といえる。パナリットの動向から目が離せない。
筆者プロフィール
(とむら・ひかる)1994年生まれ。大阪府出身。高校卒業後の2013年に渡米し、14年スタートアップ企業とインターンシップ希望の留学生をつなぐ「シリバレシップ」というサービスを開始し、hackjpn(ハックジャパン)を起業。その後、未上場企業の資金調達、M&A、投資家の評価といった情報を会員向けに提供する「detavase.io」をリリース。一般向けには公開されていない企業や投資家に関する豊富なデータを保有し、独自の分析に活用している。