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【特別対談】「トップに求められる条件とは」(為末大×山下良則)

為末大と山下良則

グローバルでビジネスを展開しているリコーの山下良則社長は、経営という勝負の場でどのように意思決定を下し、世界中にいる約8万人の社員をどう統率しているのか。陸上競技で世界のトップアスリートを相手に勝負をしてきた〝走る哲学者〟為末大氏が、山下社長の経営スタイルに迫る。文=ライター/武井保之 Photo=山内信也(『経済界』2021年10月号より加筆・転載)

為末大と山下良則
為末大氏プロフィール (ためすえ・だい) Deportare Partners代表、元陸上選手。1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2021年7月現在)。現在は執筆活動、会社経営を行う。Deportare Partners代表。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。Youtube為末大学を運営。主な著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。21年7月、国連ユニタール親善大使に就任。
山下良則・リコー社長プロフィール(やました・よしのり)リコー社長。1957年兵庫県生まれ。広島大学工学部を卒業後、80年にリコーに入社。フランス工場や中国工場の立ち上げをはじめ、英国生産会社の管理部長、米国生産会社の社長を務め、リコーのグローバル化を牽引。その後、総合経営企画室長などを経て、2017年4月に代表取締役社長執行役員・CEOに就任し現在に至る。

明確な解が分からない課題はトップが責任もって決断

為末 意思決定について伺いたいと思っていました。正解がない意思決定の場面では、どのように決断を下していますか。

 私がやっていた400メートルハードルだと、基本的なセオリーとしては歩数が少ないほうが速くなります。ハードルとハードルの間は35メートルあり、選手は自分なりの歩数を決めます。さらにこの歩数を体に覚えさせるために数年は要します。トップでいられるのは長くても10年程度ですから、大きく技術を変更する機会が数回しかないんですね。

 私は13歩という歩数で走っていたのですが、私の身長170センチメートルでその歩数でいくとかなり大股になってしまいます。身長から言えば14歩が望ましいけれど、歩数は減らしたい。13歩がいいのか14歩がいいのか答えがない中で、13歩に決めることは勇気が要りました。

 それでも陸上競技はタイムの競技なので他のスポーツと比べて測定できることも多く、判断はしやすいです。企業の場合はあまりにも複雑で、どの数字を重視するかなど大変なのではないかと思っていました。経営する上では、何を軸に意思決定しているのでしょうか。

山下 企業もデータは相当取れますし、実際に事業構造や市場動向の可視化とかはやっています。それらのデータを参考にしながら、「絶対にこうなる」ということが明らかな課題の意思決定については、トップに上がってくる前にできているべきですよね。リコーの場合、もちろん経営会議に上げなくてはならない事案もありますが、そうでなければ現場のセンター長が判断したほうがいい。スピード感が必要なことに加えて、現場の細かなことはそこにいるリーダーのほうが理解していますから。それが大前提です。

 しかし、将来予測になると、明確に解があることは相当少ない。そして何が正しいのか、明確な解がない課題こそがトップが決断すべきことだと思います。選択肢が2つあった場合は、どちらを選んだ方が、もし失敗したとしても納得できるかという点で決めます。結局、論理的に答えが出ない課題なので、たとえ失敗した場合でも後悔しない方を選ぶということです。

 また、その決断を下した理由は、社員へきちんと丁寧に説明することが大事です。社員が納得していなかったり、やる気がなかったりすると、絶対に達成できるはずの目標でも達成できなくなってしまいます。しかし逆に、厳しい目標設定でも、やる気があると成功してしまうこともあります。

為末 個人競技は自分で考えて自分で決断すればいいですが、企業の場合は、人がたくさんいるので、仮に正しい決断だったとしても納得感があるかどうかで随分差があるのではないでしょうか。チーム競技ではよくありますが、決断の正しさよりも、それをチーム全体が信じ込めるかどうかの方がパフォーマンスに影響します。納得感の醸成についてはどう思われますか。

為末大

トップが説明責任を果たせば社員は納得して前進できる

山下 意思決定をする人に一番求められることは説明責任ですよね。意思決定が正しいか正しくないかは見方によるところもありますし、将来になって結果が出てからでなければ、正解は分からない。予想していなかった出来事が起きて、世の中の情勢が変わっているなんてことはよくあります。だからこそ、現状ではこう決断したんだということを納得できるように説明する必要があります。

 私たちは2019年末の時点で、20年3月期の目標としていた営業利益1千億円まであと100億円強というところまで来ていました。「やっと事業計画を達成できる!」とみんなで喜んでいたら、年明けからは新型コロナで、結局790億円ほどに止まってしまいました。しかし、事業計画立案した3年前にコロナを想定し、そういう事態が起きたときの手立てを考えることができていたかというと難しいですよね。もちろん悪いシナリオに備えるのも大事ですが、さすがにコロナは誰も予測できなかったでしょう。

 そこで大事になるのは説明責任と実行するときの柔軟性です。山にたとえると、ゴールとなる山頂への登り口は決めました、でも、もし雪崩が起きたら、その時には別の道から登ろうと現場で判断していかなければならないし、それができる組織が一番強いと思います。

為末 目的と手段において、手段を柔軟にすることが大事ということですね。われわれの世界でも、はやく走るための手段としてウエイトトレーニングをやっていたはずなのに、いつのまにかウエイトトレーニングが目的になってしまうことがあります。リコーのように何万人も社員がいる企業になると、目的と手段が入り乱れて、柔軟にすべきところと変えてはいけないところの判断も難しそうです。

山下 確かに難しいです。ただ、どこから見ても山の頂上は一つです。そこをきちんと説明することではないでしょうか。

 どのルートから登るのが正しいのかという議論をしてしまうと、いろいろな立場からの手段が入り乱れて、どれも間違いではないから答えが出なくなってしまう。頂上という目的はぶらさず、道に大きな石が立ちはだかっていたら他の道に迂回するのか、あるいは大きな石を取り除くのか、最適な選択肢を柔軟に選んでいく現場のリーダーが必要になります。

為末 そのように柔軟な対応ができる人材の育成も大切なのですね。

山下 そこは悩むところです。高度成長期には、私たちのようなメーカーはとにかく品質が良いものを安く大量に作ることが求められていました。そのポイントは、人が正しい繰り返し作業をすることです。だから他のことをしたらダメだったし、自由に道を選んでいいよとも言われてこなかった。道に石があったとしたら、石をのけてでも同じ道を行けという教育を受けてきました。

 ただ今は環境が変わり、その成功体験が通用しなくなってきています。それにもかかわらず、社員は先輩を見て育つし、その先輩は正しい繰り返し作業をしてきた世代の人たちです。その人たちが部下を評価するから、正しい繰り返し作業ができる人たちが評価されがちです。

山下良則・リコー社長

新しい人材を育てる副業や社内ベンチャー制度

為末 似たような人たちが選ばれてしまうんですね。

山下 その流れを壊していかなければならない。それで私が社長になった2年目から、少しずつ新しい活動を始めました。

 一つはRPA(Robotic Process Automation/ソフトウェアロボット)です。私は面白くない仕事はダメだと思っていて、面倒でマンネリ、ちょっとミスをしたらすごく怒られるような仕事をオフィスから取り除きたい。そこでRPAのライセンスを何千人分か購入し、社員には業務の効率化をする取り組みをしてもらい、その発表会も開催したり。

 ただ、RPAで業務を効率化はできたけれども、仕事にかかる時間が半分になったら、別の仕事を押し付けられたという人もいた。それではモチベーションが上がらないし、不満も出る。そこで空いた時間は、1年間は自由に使っていいことにしました。資格の勉強をしてもいいし、図書館で本を読んでもいい。でもそれだと上司の目が気になったり、居づらくて落ち着かないかもしれないから、通常業務時間の20%と決めて社内の副業制度を設けました。すると、マーケティングをやりたいという製造現場の社員も出てきました。

 あと副業の他には、社内ベンチャーという選択肢も提示しました。幹部からは「それはどうだろう……」という声もありましたが、勇気をもって社長勅命ということで。そうしたら1年目は約150件のアイデアが出てきたので、外部の起業家などを呼んでピッチコンテストを行い、150件から5件に絞り込みました。いまその社員たちを専任にして資金を出し、事業化を進めています。そのうちの2件は今年、合わせて約5千万円の売り上げをあげています。

為末 人の成長に関しては、数字が後追いでくるところもありますので、難しさはありませんか。スポーツでは数字で説明できることであれば、コーチは説明しやすいし、選手にも伝わりやすいです。しかし成長には数字に現れないことも多く、その見えない変化や成長の重要さを選手に説明するのは難しいです。

山下 それは個人の集合体である企業もやはり同じですよね。そこで、数字では見えないことの指標として活用しているのがSDGsです。数字で明確に分かる財務的な指標とは別に、非財務的な指標としてSDGsの目標を設定し、それを「将来財務」として考えるようにしています。

 どのような会社だったら100年続くのか。私たちは36年に100年目を迎えますが、例えばCO2を今より50%ぐらい削減していなければ100周年を迎えられないだろうと考え、それを実現するための計画を立てて実行する。成長の過程においては、その成果を数字で確認するのは難しいですよね。しかし、将来に向けて企業が成長しているからこそ、そこに市場からの期待が集まるわけです。

 決算発表などでアメリカの投資家が興味を持つのは、そういったところです。彼らは公開情報をもとに財務状況はしっかり分析しているので、数字を説明してもあまり反応はありません。むしろ将来の成功に向けてどのようなビジョンを描き、どんな取り組みをしているかを伝えた方が彼らに響きます。

為末 スポーツ界では、先天的な才能を見つけてスカウトし、後天的な能力をコーチングで伸ばします。この時に大事なのは何は後天的に変えられることで、何は後天的には変えられないのか、です。この境目が難しい。先天性と後天性はどうお考えですか。

山下 難しいですね。個人の能力としては、やはり先天性と後天性はあると思います。本人が先天的な才能にどれくらい気づいているかはわかりませんが、それに気づかせるのも会社の役割かもしれません。

限界を経験することで自分の可能性に気づく

為末 山下社長は20代後半に台湾へ行き、中国語は分からず英語もまだ不慣れななか、現地メーカーから部品を調達すべく交渉をした経験があり、その時に「なんとかなる」という感覚を得たと伺いました。そのような経験で本当の自分が見えたこともあるのでしょうか。その場合、自分で選ぶだけではなく、周囲からやってきた機会も大切なのかなと思うのですが。

山下 台湾の経験はすごく役に立っています。当時、上司に電話して「会社を辞めたいです。来週1週間、休んでもいいですか」と言ったこともあるくらいつらかったのですが、どんな失敗をしても生きていけるとは思いました。

為末 台湾のほかにもアメリカ、イギリス、中国など、山下社長は世界で仕事をしてきています。私は以前、スイスの製薬会社ロシュの方と話したとき、彼らは自分たちのことを躊躇なく「スイス・カンパニーだ」と言い切っていて衝撃を受けました。リコーは世界でビジネスをしていますが、グローバル企業なのか、あるいは日本企業としてグローバルに進出しているのか、どちらを目指していますか。

山下 リコーはグローバルでビジネスを行い、世界中に約8万人の社員がいますが、日本で創業した企業であることは間違いありません。意思決定の際には、創業者・市村清の創業精神である「三愛精神(人を愛し・国を愛し・勤めを愛す)」を振り返ります。また、海外の社員には「スリーラブズ」と訳して、人を愛し、国=地球を愛し、勤めを愛する、この三愛精神のもと社会に貢献するんだということを伝えています。

 ロシュの方の言葉には、ある種のプライドや誇りがあると思います。私たちの場合は、三愛精神で創業した企業が戦後復興の中でも戦い、成長してきた。そして今は第二の創業と言っていますが、これからは自然や自分との戦いであり、それを乗り越えていかなければならない。玉虫色の答えになってしまいますが、日本で創業した会社だけどビジネスはグローバルで展開する、新しい会社に生まれ変わらなければならないと考えています。