成熟社会を迎え、子どもの教育、就職、働き方など、さまざまな面において、これまでのやり方が機能しなくなってきた日本。難病を抱えながら息子とともにハワイに移住し、事業家として成功を収めたイゲット千恵子氏が、これからの日本人に必要な、世界で生き抜く知恵と人生を豊かに送る方法について、ハワイのキーパーソンと語りつくす。
込山洋一・ライトハウス会長プロフィール
商船学校の実習をキッカケにロスで就職した込山洋一氏
イゲット まずは、込山さんがロサンゼルスに来た経緯から教えてください。
込山 もともと外国航路の船長を目指して、商船学校に通っていました。いろんな航路で実習するんですが、最初の実習はハワイでした。それから一度日本に帰って、次に乗った船が、ロスのロングビーチに寄港したのがキッカケです。20歳の時ですね。
イゲット ロスのどんなところが気に入ったんですか?
込山 人はカラッと明るいし、フレンドリーだし、あとは、日本ではみんな同じ時期に同じ色のスーツを着て就職活動する。みんながしているから自分もするってどうもしっくりこなくて。卒業したら就職しなくてはいけないという考えにも違和感がありました。
イゲット 商船学校のみなさんは、卒業したら普通はどういう進路に行くのですか?
込山 船乗りになるか、海運関係の仕事に就くことが多いです。僕は海外で働いてみたいという気持ちがボンヤリあったので、学校を卒業してすぐにロスに来ました。ポンと来たので、英語も最初は全然ダメでしたね。
実習でロングビーチに寄港したときに、山口県人会のみなさんが400~500人くらい集まったんです。僕は来賓の席に座らせてもらっていたのですが、その時に出会った日系人の方に「アメリカで働きたいんです」と言ったら、その方がちょうどレストランを任されるということで、働かないかと誘われました。それで帰国後に一カ月だけ仕事をして、お金を作って渡米しました。そのレストランでは半年だけ働かせてもらいました。
イゲット 日本食レストランですか?
込山 そうです。人手が足りなかったので、仕入れからソースの作り方からメニュー作りまで何でもやらせてもらえました。
イゲット レストランを経営できますね(笑)
込山 いえ、店の仕事ができるのと、経営してちゃんと利益を出せるのは別ですから(笑)。売り上げがイマイチだったから、週7日営業にしてみないかと言われて「分かりました」と答えました。さらに深夜営業もやっていたから、ずっと働いてましたね。
イゲット すごい! もともと働き者なんですね。
込山 働くのがキツイという感覚はあまりなかったですね。ただ、本来は4人でやるべき仕事を、僕とアルバイトの子だけでやっていたので無理がありました。ましてや、僕のスキルでは足りないことだらけで。教えてくれる人がいたら人生が変わったかもしれませんが、若くて働き者というだけで基本がないまま進んでいったら、すごく中途半端になると思ったんです。それで潮時だなと思って辞めました。
込山洋一氏の職歴―塾経営からフリーペーパーの世界へ
イゲット その後はどうされたんですか?
込山 手に職はなかったのですが、人に教えるのが好きなので学習塾を始めました。80年代後半は、日系企業がどんどんアメリカに進出してきたので、そのご子息に勉強を教えていました。最初、場所をいろいろ探していたところ、塾のスペースは貸せないけど居候ならOKという方がいて、そこに転がり込んで開業の準備をさせてもらいました。それから3ヶ月後、近所にアパートを借りて、そのリビングルームを教室に始めました。半年ぐらいで規模が大きくなって、80~90人ぐらいの生徒数になりましたね。
イゲット ご自身で教えていたんですか。
込山 自分も教えていましたし、近くのUCアーバインの学生さんや、日本で教えた経験がある主婦の方などにも働いてもらってました。もともと地頭が良い子が多かったので、自信をつけさせたらすごく成績が伸びましたね。日本の公開模擬試験の問題を受けさせて、実力がついたことがきちんと分かるようにもしました。少し受講料は高めにしましたが、きちんと面倒を見るようにしていました。
イゲット ライトハウスを設立したのはどういう理由ですか。
込山 塾を始めて一年後には、ライトハウスを設立しました。塾の仕事は面白かったんですが、最初に転職した時と一緒で、毎日会うのが子供たちとお母さんばかりで、あまりインプットがなかったんです。外の世界とつながりができる仕事は何だろうと考えて、フリーペーパーなら、取材に行ったり営業に行ったりするから、世界が広がるんじゃないかと。
イゲット フリーペーパーはほかにもたくさんあったんでしょうか。
込山 ありましたね。ただ、本を作るのが好きでないと続かないんでしょうね。僕はそれからずっとフリーペーパーを作り続けて、塾のほうは主婦の方にテイクオーバーしました。
イゲット フリーペーパーを始めてみて、いかがでしたか?
込山 営業の基本もないまま、とにかく飛び込みでも電話でも数を当たることを心掛けました。数千件単位です。今思うと本当に申し訳ないのですが、最初の3年ぐらいは何回断っても来るので根負けして広告を出してくれるお客さんが多かったですね。2年目の途中から弟が合流して、兄弟で営業していました。
イゲット どうして弟さんをパートナーに選んだのですか。
込山 自分の結婚式のときに弟を日本から呼んで、空港に到着したその足で仕事を手伝わせたんです。それぐらい人が足りない時期だったし、弟にしても、何だか面白そうだし手伝ってやろうと思ったのかもしれません。それから15年ぐらい一緒にやって弟は1回離れたのですが、その後ライトハウスハワイを立ち上げるときにまた参画してもらって、もうすぐ10年が経ちます。
兄弟で営業に行くことから始まり、利益が出たら経験がある人を雇って、上手くいったらさらに優秀な人を雇ってと、会社のステージに合わせてふさわしい人を雇っていった結果、知名度も共感者も利益も増えていきました。特に二代目編集長の女性がすごく優秀な方で、彼女が3年目に入社してからは、グンと伸びて手ごたえを感じました。
イゲット ロサンゼルスとハワイのほかにも進出されてますよね。
込山 今はサンディエゴ版、シアトル・ポートランド版、そしてシカゴで中西部版を出しています。あとはシリコンバレー・ベイエリアと、ニューヨークを出したらほぼ全米をカバーすることになります。
イゲット 展開が早いですよね。
込山 そんなこともないですよ。今年でもう30年目ですから。
込山洋一氏が大事にしている3つの柱
イゲット 他のフリーペーパーと差別化するために、意識している部分はありますか。
込山 現在、世界中で出ている情報誌の主流は、外部から買ってきた記事プラス、地元のイベントやニュースを翻訳して載せています。それはそれで良いのですが、僕らは自社記事にずっとこだわって、自分たちの存在意義をすごく大事にしています。
その柱は3つあって、1つは課題解決です。たとえば、教育でいえば幼稚園や小学校がどうなっているかだったり、どうやってバイリンガルに育てるかだったり、アメリカに来た日本人にとっては、ほとんど初めてのことばかりでしょう。また、災害に会った時や会社でトラブルに会った時などの対処法も、日本にいるのとアメリカにいるのでは全然違います。
こうした課題を解決するのに、知り合いからの情報だけだと、偏ってしまうこともあります。われわれは情報を通して、日本人が生活するうえで大変なことを解決する手助けしたいと考えています。だから、「ライトハウス」なんですよね。
イゲット なるほど。「照らす」という意味で。
込山 一方で、課題解決の記事だけでは固くなるので、潤いも必要です。つまり、エンターテインメントやレジャーなどの生活を楽しむための情報です。あとは、いろんな分野で活躍している日本人を取り上げて、苦労を乗り越えて頑張っている人について知っていただくことで、読者を勇気づけられるような記事です。単に日本の情報を持ってくるのではなく、海外に住んでいるわれわれの視点で、困ったことを解決していこうというのが、大事にしている部分です。
イゲット だからこそ、アメリカのどこでも読まれているわけですね。各エリアごとの記事と、アメリカ全体に使える記事が載っている感じですね。
込山 そうですね。例えば大学進学や冠婚葬祭などの記事はアメリカのどこでも使えますし、お店の特集などを載せるときは、フォーマットは一緒ですが中身を地域ごとに変えたりしています。
たとえばハワイ版なら、LA版など他地域と比べてコミュニティがより近いので、ローカルの方に記事を書いていただいたり、住んでいる人の記事を多く載せたりしています。日本を意識して生活している方々も多いので、日本の芸能ニュースも載せています。地元の情報誌であるという部分を、感じていただけるように意識しています。(後編に続く)
(いげっと・ちえこ)(Beauti Therapy LLC社長)。大学卒業後、外資系企業勤務を経てネイルサロンを開業。14年前にハワイに移住し、5年前に起業。敏感肌専門のエステサロン、化粧品会社、美容スクール、通販サイト経営、セミナー、講演活動、教育移住コンサルタントなどをしながら世界を周り、バイリンガルの子供を国際ビジネスマンに育成中。2017年4月『経営者を育てハワイの親 労働者を育てる日本の親』(経済界)を上梓。
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