人をやる気にさせ、ともに働きたいと思わせるリーダーはどのような言葉を語り、どのような態度や姿勢を示すのか。「帝王学の教科書」とも呼ばれる中国古典「貞観政要」を解説した『座右の書「貞観政要」』(角川新書)を上梓した出口治明氏に話を聞いた。聞き手=古賀寛明 Photo=山内信也
出口治明・立命館アジア太平洋大学(APU)学長プロフィール
出口治明氏が考えるリーダーシップとは
人に伝えるとき意識すべき「タテヨコ算数」
―― リーダーは自分の想いや考えを伝えるために、どのような言葉で引っ張っていけばよいのでしょうか。
出口 リーダーであろうがなかろうが、話している内容が相手に伝わらなければ意味はないですよね。だから、言葉は本来、思考のツールですが、コミュニケーションのツールでもあります。相手に何かを伝えようとするときは、「タテヨコ算数」を意識することに尽きると思います。
タテヨコ算数とは、世界を見るための方法論です。人間というのは縄文、弥生時代から変わっておらず、脳はこの1万年間進化していません。
ですから昔の人はこう言っているという歴史を表すタテ軸と、世界の人はこう言っているというヨコ軸で人間が考えたことを整理して、それをエピソードではなく、エビデンスで、言い方を変えると数字、ファクト、ロジックで裏付けて話をしなければ人には通じないのです。
リーダーがフォロワーに話すときでも、タテヨコ算数でロジックをしっかり組み立て腹落ちするように話さなければ何一つ伝わりません。それは、人間は腹落ちしなければ行動できない動物だからです。
誰もがリーダーになる時代に
例えばAPUは2030年のビジョンをつくっています。
「APUで学んだ人たちが世界を変える。」というものです。6千人の学生がいて、その半分の学生が92の国や地域から来ています。その学生たちに、また、世界中に散らばって行ってほしいのです。
自分の持ち場をどこかで見つけて、そこでAPUで学んだことを生かして行動して世界を変えてほしい。つまりチェンジメーカーになってほしい。それがAPUのビジョンであり、世界を良くしたい、未来を明るくしたい。そういったことを腹落ちするように話しています。
―― 出口さんもそんな語りかけを。
出口 もちろんしています。ただ、大学は学生が主人公です。僕自身、民間から大学の学長になったので大学のことを勉強しようと思えば、まず学生の声を聞かなければわかりません。
そこで学長室のドアはいつでも開けています。つまり、リーダーが一方的に引っ張っているわけではありません。リーダーの在り方も変わってきているのです。
リーダーシップもこれまでのように「黙って俺についてこい」といったリーダーシップではうまくいかなくなっています。いまはどんな商品がヒットするかわかりませんし、1年ごとに新モデルが登場するスマートフォンに代表されるように複雑で、目まぐるしい変化が起こっています。
そのため、いくら優秀でも誰か一人のリーダーシップに頼ることは難しく、みんなの英知を集め、リーダーの役割や機能を分け合うシェアドリーダーシップが主流になっています。つまり、誰もがリーダーになる時代になったのです。
貞観政要が説く「三鏡」
人は自分のことが一番分からない
―― 誰もがリーダーの時代だからこそ、『座右の書「貞観政要」』は学ぶところが多いですね。
出口 貞観政要では、特にタテ軸の歴史のエピソードがしっかりと描かれています。かつての中国は国内にいろんな国がありましたから、ヨコ軸の世界も網羅しています。昔の中国の話ですから数字はさほど出てきませんが、ロジックは丁寧で見事です。タテヨコ算数の中で、データを除いたすべての要素が入っています。
―― 貞観政要では、自分に諫言する人を大事にせよといった自分を客観視することの重要さを繰り返し強調しています。
出口 人間の目は前に付いているので、一番分からないのが自分のことなのです。自分の顔色だって見えませんからね。でも、「顔色が悪そうだけど大丈夫」とか、「元気がないね」など、他人のことはよく見えますよね。だからそばにいる人に「あなたの顔色悪いですよ」と言ってもらわなければなりません。
貞観政要には、唐の皇帝である大宗が「三鏡」を大事にしたエピソードがでてきます。三鏡とは「銅の鏡」「歴史の鏡」「人の鏡」です。
銅の鏡とは普通の鏡のことです。そこに自分を映して顔色が良いか、元気か、楽しそうかといったことをチェックします。これは今の自分の表情、あるいは状況を表すものです。例えば、リーダーが不愉快な顔をしていると部下も不愉快になりますからね。できるだけニコニコするように努めるためにも鏡が必要です。
次が歴史の鏡です。未来は何が起こるか分かりません。しかし悲しいことに、学ぶべき教材は過去しかないのです。つまり歴史を勉強すること。これはビスマルクがいった「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と同じことです。
一人の人間が経験できることはたかが知れています。でも歴史を見ればいろんなケーススタディがあるので参考になります。ビスマルクよりも千年以上も前の大宗がそう述べているのは興味深いですね。
そして、3つ目が人の鏡です。自分のことを厳しく見てくれる人を横に置かないとリーダーは誤るということです。古今東西、この3つの鏡はリーダーにとって最高の戒めです。
―― 3つの鏡のなかで「人の鏡」はなかなか難しいですね。出口さんは実践されていたのですか。
出口 僕は還暦でライフネット生命を立ち上げて10年間、社長、会長を務めました。10年もの間、僕が何とかやってこれたのは、僕より年上で、経験も深く、保険のことも良く知っている、大宗に対しての魏徴に相当する常勤監査役が毎日叱ってくれたからです。
その恐い人が毎日、僕の部屋に来て「これがあかん、あれがあかん」と叱ってくれていたので、大きく間違うことはなかったんだと思います。第三者の目で見てもらって、たたずまいを正すというのは、本当に大事なことです。
―― とはいえ、なかなか苦言を呈す人をずっとそばに置くのは難しいですよね。
出口 だから人間は失敗を繰り返すのです。大宗であっても後に驕りが出ました。それは人間ですから誰にでも起こりうる話です。そこで大宗は諫議大夫という役職を設け、仕組みとして自らを戒めました。戒めは必要であり大事だということです。
ダイバーシティが重要な理由
―― 今も諫言してくださる方はいますか。
出口 大学にもいますし、外にもいてもらうようにしています。地位に関係なく、男女を問わずいます。おもしろいことに若い人の方が、遠慮がなくていいですね。逆に年齢が近いと忖度しますから。
ライフネット生命にいた頃の話ですが、話していた最中に思わずムッとしてしまい、その気持ちのまま叱ってしまったのです。その時に、当時20代の企画部長が僕のところにきて「今の言い方は何ですか。言いたいことは分かりますが、あんな言われ方では誰でも腹が立ってしまいます。次からはこういうふうに話してください」と、意見してくれました。
厳しい言われ方でしたが、彼は僕の子どもよりも若いわけですから腹も立ちません。家では子どもとか家族にもっとボロクソに言われていますからね。そうじゃないですか。
―― 言われています(笑)。
出口 でも、もし年齢が近ければどうでしょうか。苦言を呈するのであれば例えば飲みに誘うのではないでしょうか。
実際、忙しいので飲みに行くのは10日後くらい。いざ、飲みに行ってもその話が出てくるのは、お酒がまわったときです。
「そういえば10日くらい前の会議で社長の言い方はきつすぎたんじゃないですかね」といった具合になると思いませんか。年齢が近すぎたら競い合うこともあるので忖度してしまいます。だから、ダイバーシティのある組織の方がストレートに話ができる気がします。
そういう意味でもダイバーシティはとても重要です。同質の人が多いとやりやすい半面、お互いに忖度してアンデルセンの童話のように「王様は裸だ」と言えなくなってしまうのです。
成長しようと思えば「人」「本」「旅」しかない
―― 誰もがリーダーの時代になりましたが、人間を磨くにはどんなものがありますか。
出口 「人」「本」「旅」以外に人間が賢くなる方法はないと思います。諫言してくれる人だけではなく、どんな人にも優れた点がありますから人から学ぶことは多いですね。ただ、会える人は限られていますし、亡くなった方に会うことはできません。でも、本を通せばどの時代の人とも会うことができます。
それから、自らの体験もすごく大事ですね。体感することを旅と呼んでいますが、五感で感じるので学びも大きいです。
―― 「自分を鍛えるには文章を書くと良い」とも仰っていますね。
出口 言葉は思考のツールですから、書くことによって頭の中が整理されます。職場の机の引き出しをたまに整理しますよね。それはなぜか。取りだしやすくするためです。
人、本、旅でせっかくインプットしても取りだせなければ意味がない。
人、本、旅でインプットしたものは、自分の言葉に直すことによって整理されるのです。書いたり、話したり、いわゆる自分が勉強したことを自分の言葉に直してアウトプットすることは引き出しの整理と一緒で、記憶が定着するのです。
聞いた話を説明しようと思うと、本質を理解していなければきちんと話すことができません。インプットとアウトプットはペアで考えるべきで、だからこそ言葉は思考のツールといわれるのです。
勉強とは何かといえば「自分の頭で考え、自分の言葉で、自分の考えを述べる能力を身に付ける」ことです。人間は考える葦ですからね。そのために人は一生勉強するのだと思います。それはリーダー、フォロワー関係ない話ですね。