食べ放題の「焼肉きんぐ」や「丸源ラーメン」などを展開する物語コーポレーションはちょうど1年前、社長交代を行った。新社長の加藤央之氏は34歳。世襲でもないのに新卒入社から10年での社長就任は外食業界で非常に話題になった。なぜ加藤氏はこれほどのスピードで階段を駆け上ることができたのか。聞き手=中村芳平 Photo=横溝 敦(『経済界』2021年11月号より加筆・転載)
加藤央之・物語コーポレーション社長プロフィール
加藤央之氏が物語コーポレーションに入社した理由
バイト先の店長の生き方が「かっこいい」
―― 物語コーポレーションは2019年6月期まで14年連続増収増益を記録。コロナ禍のため20年6月期はさすがに途絶えましたが、加藤さんはその状況下、20年9月24日に34歳の若さで新社長に抜擢されました。これまでの足跡をたどってください。
加藤 はい。私が当社で働くようになった原点は2007年、大学3年生の時の就職活動にあります。なるべく大きな会社に就職できたら「カッコいいな」と思っていました。ところが就活を始めて3週間ほどした時、ある企業の面接官に、「加藤さん、加藤さんのなりたい自分ってどんな自分ですか?」と突然問い掛けられました。それをきっかけに「自分がなりたい自分像とは何か」と考え始めました。自分の人生を振り返ると、高校時代にアルバイトした味噌煮込みうどん屋のオーナーのことを想い起こします。大学に入ってうどん屋はやめました。時給も安いし忙しいばかりで飲食店は2度とやりたくないと思い、大学のある横浜ではコンビニでアルバイトをしました。
しかし、「自分がなりたい自分像」を探っていくと、そのオーナーの生き方が「カッコいいな」と思えたのです。そのオーナーは物語コーポレーション出身の方でした。独立開業し味噌煮込みうどんのプロフェッショナルとして、自分の好きを極め、誇り高く生きていたからです。いつもイキイキして、明るく元気で自分らしく生きていたと思います。
私は何でもズケズケ言うタイプで、メニュー表に載っている1500円の味噌煮込みうどんの写真をもっと小さくしたほうが良いのではないかと提案すると、オーナーは学生の私に対して嫌な顔一つせずに、膝突き合わせて話に応じてくれました。個人を尊重する姿勢が素晴らしかった。今はもう亡くなりましたが、そのオーナーの生き方、人間性に強く魅かれ、自分もそう生きたいと思ったのです。そこまで整理してきて、自分が本当にやりたいのはフードビジネスのプロフェッショナルになることだと確信しました。そのタイミングで、そのオーナーが在籍していた物語コーポレーションとはどんな会社かと思って応募したのです。
入社を決めた創業者の言葉
―― どんな印象でしたか。
加藤 創業者の小林さん(佳雄・現特別顧問)が就職希望者を前に2時間ぶっ通しのセミナーを開催していました。ハキハキした大きな声で滑舌がよく、心に響く話し方でした。
小林さんの話で2つ突き刺さった言葉があります。一つは経営理念のSmile&Sexyでした。Smileは「笑顔」「元気」「マナー」「表現力」と解釈されますが、もっと踏み込んで「あの人なら応援したい」という「人間力」のことを言います。Sexyとは「自分物語をつくろう」「個性を豊かに表現しよう」「自分らしく生きよう」ということです。けれども、自分の思ったことを言ったりやったりしているだけだったら、自分勝手な人で終わってしまいます。そうではなくて相手を尊重し、思いやりやマナーを持って接すること、それがSexyの本来の自己実現につながるのだと思います。この経営理念は私の性格にピッタリだと思いました。
ただその段階ではまだちょっとだけ心に引っかかるものがありました。外食をやりたい気持ちの一方で、大企業に入ることを捨てきれない自分がいたからです。ただし、セミナーで小林さんは、「偽物の意思決定ではなく、本物の意思決定をしなさい」と強調しました。私はこの会社に入るか、大企業を目指すべきか、迷っていましたが、この言葉を聞いてフードビジネスを、物語を選択することを決めました。あのとき、大企業への挑戦を選択していたら、それは「偽物の意思決定」であったと思います。
加藤社長の転機となった仕事
開発企画部で学んだ議論を戦わせる社風
―― 入社してからはいろいろな経験をさせられましたね。何か転機になった仕事はありますか。
加藤 私が入社した時、店舗数は150店舗を超し、組織も急拡大していました。入社して4年半で7店舗ほど異動を命じられました。既存店、不振店、新店、地域の旗艦店など、半年に1回くらいのペースで異動、あわただしい環境が続く中で、それでも最優秀店長賞を取るなど、自分が一番できると思い調子に乗っていました。
そんな時、開発企画部に異動します。現場の店舗とは働く人の言葉遣いも全く違うし、新しい職場に転職したような感覚を覚えました。開発企画部ではチラシを作ったり販売促進を考えたり、メニュー開発を行います。例えば、何か期間限定メニューをやるとなれば前例を一切踏襲せずに、ゼロベースから何が一番よいのかということを考え抜いて、新しい企画を生み出します。
他社のメニューも研究したり、いろんなところにアンテナ張って情報収集して、新しいネタを拾ってきます。私は開発企画部に異動した時、初めて通用しない自分を感じ、フードビジネスの奥深さを知りました。だからといって負けず嫌いだし、悔しかったので先輩たちが帰った後の夜6時ぐらいからメニューをどうするかと考え抜きました。毎夜12時32分の終電で帰るまで徹底的に深掘りし、いろいろな考えをメモし、新しいメニューを生み出そうとしました。
当社には「明言のすすめ」というルールがあり、自分が感じたり考えたりすることは何でもハッキリ言う必要があります。それによって不利益を被ることは一切ありません。議論を戦わせる自由闊達な風土が出来上がっているからです。私は開発企画部の一介のマネジャーでしたが、特別顧問の小林さんを含めて開発の意思決定ができるトップの人たちが集まる会議で自分の意見をハッキリ言いました。そのためには発言するテーマについて自分で勉強し、研究し、それなりの知見が必要です。私の提案に対して反対意見が出たり、さまざまな議論が巻き起こり、それによって改善・改革が行われ、進化していきます。
とはいえ、私は開発企画部では通用しなかったことも多く、半年で異動させられました。戦力外通告を受けたような気持ちでした。けれども、毎日夜遅くまで考え抜き、開発会議で発言し、それに対しみんながフィードバックしてくれたことで自分は仕事の上でも人間としても成長できたと思っています。その後は事業部門に配属になりましたが、一つの案件を深掘りして考え抜くこと、開発会議に参加して自分の意見を言うことは、開発企画部を離れてもやり続けました。
店名変更で黒字化を達成
―― ほかに転機になった仕事というのは何かありましたか。
加藤 そうですね。17年4月に当社の創業店である「源氏総本店」向山店の支配人に就き、経営を立て直したことです。同店は当社で最大規模の店舗で敷地面積500坪、建坪約200坪、大小宴会室など222席、年間売上高約3億3千万円、歴史的にも地域一番店として高く評価されていますが、私が赴任したときは3200万円の赤字で、ひどい状況でした。「源氏総本店」の場合は支配人は事業本部長でもあり、店長でもあり、一国一城の主です。まさに経営者の覚悟を持たないと務まらない重職で、いざ現場に立つと緊張感が全く違いました。私は意地でも黒字にしてやると、考えられる対策をすべて実施し、行動しました。
それまで店名は「しゃぶ&海鮮源氏総本店」だったのですが、「しゃぶ&海鮮ではハレの料理として弱く、集客できない」と考えました。そこでカニを売りにすることにして、思い切って店名を「しゃぶとかに 源氏総本店」に改めました。結果、しゃぶしゃぶとカニの組み合わせは成功、1年後、年間で4千万円ほど利益を伸ばし900万円の黒字に転換したのです。
競争に勝つ秘訣は小さな差別化の繰り返し
―― 加藤さんには国内外で物語コーポレーションをグローバル企業に成長させることが求められていると思います。どのように戦っていきますか。
加藤 私は人財こそが差別化の原動力だと確信しています。社長に就いてほぼ1年、これは自分の頭の中で整理できてきたのですが、他との差別化を生み出す要因というのは、2つしかないと思っています。差別化というのは勝ち続けることですけが、1つは仕組みとか構造で差別化をすることです。例えば回転寿司チェーンは初期投資をかけてマグロを100円であのクオリティで販売します。仕組みの構築で人件費が低減され、その分寿司の原価におカネをかけられます。しかしこれは資本力のある企業に真似されます。
そう考えていくと差別化するのは、小さな差別化を繰り返して大きな差別化に発展させる以外に方法がないのだと思います。例えばもう完成した商品に対しても自分が店舗に行って食べた時、何かおかしいなと感じたら、「おかしい」と声を出して議論を巻き起こすべきです。それができない限りはたぶん新しい価値は生み出されてこないと思います。ただし、これが問題の本質だと分かっていても一番面倒臭いことなので、誰もやろうとしません。しかし当社にはそれができる議論文化、土壌があります。
当社は社員2千人を集めて毎年ファミリーコンベンションを開催しています。今年はオンラインで開催しました。これは会社目線の動機付けではなく、自分の人生を豊かにする自己実現のために実施しています。全員に事前に会社に提言したいことを何でもいいから言いましょうと知らせておきます。その結果、提言の数が1170件集まりました。
これによって完成した商品についても、「これはおかしい」という意見が出てきて、小さな差別化の要素が議論によって生み出されます。その意思決定は会社として原理原則化されていきます。
―― まだ35歳。今後、長い間、会社を引っ張っていくことになりそうですね。
加藤 私は1年契約のつもりでやっています。自分の成長角度が会社の成長角度を下回ると思った時はやめるべきだと思っています。私が34歳の若さで当社の社長になったことはいろいろ話題になりましたが、例えば中国だと30代の社長なんてごく普通です。当社の現場もこれから少し若返ってくると思いますが、何よりも重要なのはリーダーの資質を持った人の発掘育成だと思います。人の差別化が事業で勝ち続ける要因だと確信しています。