1999年、日本のネット証券黎明期に松本大氏が立ち上げたのがマネックス証券。2023年、松本氏はマネックスグループの社長CEOを後任に託した。この約四半世紀、ネット証券は日本に何をもたらしたのか。23年10月に発表したマネックス証券とNTTドコモの資本提携の狙いはどこにあるのか。全てを語る。聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年1月号より)
松本 大 マネックスグループ会長のプロフィール
ドコモと目指すオールジャパンの資産形成
―― 2023年6月、マネックスグループは初めて社長が交代し、松本さんは会長になりました。マネックス証券(当初の名前は株式会社マネックス)を設立した1999年は、日本のネット証券黎明期でもありました。この約四半世紀、ネット証券が果たした役割とは何だったのでしょうか。
松本 投資を身近なものにすることに関しては、ネット証券業界は素晴らしい結果を出したと思います。手数料を安くし、一般の方が機関投資家と同じような速さと情報量で取引ができる環境を実現した。しかも、誰でもスマホやPCで取引ができ口座管理料もかかりません。ただ、それは確かな事実としてありつつも、やっぱり元々投資にある程度の関心を持つ限られた人たちがメインユーザーでした。
日本はいまだに個人の金融資産2千兆円のうち、半分以上は預貯金です。世界的なインフレや日本の経済成長が今ひとつの状況に鑑みれば、世界第2位の日本の金融資産が目減りしないように、多くの人が資産形成をすべきだと思います。いろいろなツールや情報は提供できましたけど、資産形成を誰にとっても身近なものにし、個人の金融資産がきちんと成長していくことにネット証券が貢献できているかというと、少し物足りなさがあります。
―― 2023年10月、マネックス証券はNTTドコモとの資本提携を発表しました。発表会見の場で松本さんは「オールジャパンの資産形成サービスを目指す」という言葉を使いました。そこには資産形成のすそ野を広げることへの思いが表れているのでしょうか。
松本 そういう思いはあります。ドコモは巨大な顧客基盤と高い技術力を持っていますから、一緒になることでこれまでマネックス証券単体ではできなかったデータベース解析などもできるようになるはずです。その結果、使いたい人だけが使うサービスではなく、オールジャパンの人が使いたくなるような新たなサービスが実現できると思っています。
―― 口座数でみるとマネックス証券はSBI証券、楽天証券に離されていました。両社はついに手数料ゼロを発表し、この差はさらに広がる気配もあります。そうした状況からNTTドコモとの資本提携を、松本さんの敗北、マネックス証券の限界だと言う声もあります。
松本 何と言われているかということにはあまり興味がないんです。例えば自分が今100歩、歩くことができるとしたら、頑張って110歩、歩こう。昔からこれが私の生き方であり、行動規範です。どこかの誰かと比べるのではなく、自分のリソースを使い切ってやりきる以上のことをできるか。
今回の資本提携は、マネックス証券単体の延長線上ではたどり着けない場所に、ぴょんとリープできるわけなので、自分たちとしてはよくやったと思っていますし、それだけです。
―― SBI証券、楽天証券と口座数が離された理由については、どのように考えていますか。
松本 われわれが目の前の人に向けて資産形成のセミナーを行い、日本中を回って直接お顔を拝見しながらお話を聞いてきた一方で、SBIさんや楽天さんは、目の前以外の人をどんどん巻き込んでいったわけです。だから口座数が増えていった。冒頭で資産形成の話をしましたが、より多くの人々の資産形成を後押しできているか、預金から投資へ変化を起こせているかという面では、もしかしたらSBIさん、楽天さんの方が貢献しているかもしれない。
もちろん、目の前のお客さまをとにかく大事にしてきたことは間違っていなかったと自信を持って言えます。ただ、日本全体の資産形成への貢献度という意味で言えば、既存のお客さまに喜んでいただくだけではなくて、資産形成の重要さに気が付いていない人も巻き込むような取り組みを進めていくべきだと思います。
そう考えると、今回のNTTドコモさんとの資本提携はすごく筋が通ったことなんですよ。ちょっと我田引水すぎますけど(笑)。
―― 19年に事業会社・マネックス証券の社長を離れ、23年6月にはグループCEOも退任しました。松本さんはこれから何をしていくのですか。
松本 会社が正しい価値観を持ち続け、かつ時代に合わせて柔軟に変化していくのは簡単なことではありません。私はお客さまのためにも、株主のためにも、マネックスが存在価値を失わず進化を続ける永久機関になるような体制を構築することに全力をかけていきます。
それはきちんと会社をサクセッションすることも含まれます。サクセッションとは、もちろん投げ出すことではありませんし、譲ることでもないと思うんです。ましてや、間違っても私がずっとトップをやることが答えじゃない。人間は必ず毎年1つ歳を重ねます。対して社会の平均年齢というのは、少子高齢社会の日本ですら、せいぜい0・2歳程度しか上がっていません。要するに私はどんどん社会の平均年齢から離れていくんです。
だからといって、私がマネックスに対して何か具体的ではっきりとした将来の道筋を作っても仕方がなくて、時代や状況が変わっても、マネックスがちゃんと生きていけるような、そんなリーダーや体制をつくることが重要であり、そこに全力を注いでいます。
10月には『松本大の資本市場立国論』(東洋経済新報社)という新著を出しましたし、東京大学に寄付をして資本市場の研究所をつくったりもしているので、やることが減ったと思われるかもしれない。けど、そんなことは全くなくて、全てがマネックスをいかに永久機関にできるのか。その構想を成功させるためにやっていることなのです。
インセインな男。CEO復帰はあり得ない
―― マネックス証券の株式は持ち続けるとはいえ、中核の証券会社を手放した格好です。グループはどんな姿になっていくのでしょうか。
松本 ダーウィンが言ったように、強いものが生き残るのではなく、変化するものが生き残る。具体的に何をするかは時間と環境によって変わります。だからマネックスがどうなるのかと聞かれれば、どんどん変わっていく、という答えになる。
金融という言葉をわれわれはあまり使わなくなりました。グループの企業理念からもなくしています。金融っていうのは、過去のある時期に考えられたコンセプトであって、われわれがやろうとしていることは個人の生活を助けることです。それが昔は一般的に金融だったというだけです。金融というカテゴリー以外にも、お客さまの生涯バランスシートを最良化することに資するビジネスやサービスはありますから、これからマネックスが手掛ける事業が金融じゃなくても何とも思わない。
マネックス証券の資本提携を発表してから、マネックスはこれから何業になるんですか? と聞かれることが増えました。今のような答え方をすると、「松本は方向性が見えていない」とか言われてしまうんですけどね(笑)。
それから、祖業という言い方もあえて使い始めたんです。2年ぐらい前に「祖業である金融」とか「祖業であるマネックス証券」みたいな言い方を始めた。もう、マネックス証券や金融だけがわれわれのビジネスではないんです。マネックス証券がグループの未来を決めるわけじゃないですし、逆にその呪縛から逃れないといけない。マネックスグループという会社が、未来に向かって社会の中でちゃんと意味のある企業活動をしていくためには、創業者・松本の呪縛からも逃れていかないといけないんです。世の中の例を見ると簡単じゃないのはよく分かりますけど。
―― 創業者は特別な思い入れがあるはずです。ましてや松本さんは大株主でもある。数年後にマネックスグループが苦境に陥れば我慢できずに復帰するのではないですか。
松本 私は1998年にゴールドマン・サックスを辞めるとき、周囲の人たちにinsaneだと言われました。crazyとはちょっと意味合いが違って、常軌を逸したとか、超狂気という意味です。当時はパートナーでしたし上場目前でしたから、そのまま残れば莫大な上場益を得られたわけで、そう言われるのも分かります。ただ私は自分なりのロジックで辞めるべきだと考え、起業した。
今回も自分なりのロジックで考え抜いてグループCEOを交代しました。そんな人間ですから、戻るなんてあり得ないですし、そもそもあり得ないとわざわざ言うことすらあり得ない。そういう心持ちです。
時間は未来に向かってしか動いていませんから。マネックスを先へ先へと進めるのみです。