友人の誕生日に何をプレゼントしようか迷ったとき、「鉄板」の商品がある。筆者の周りにも「自分も貰ったことがある」という声が最近やたらと増え始めた。気取り過ぎず、シャレが効いていて、場の空気が和む。「TENGA」のそんな要素が、特に20代、30代を中心にウケている。従来のアダルトグッズとは、全く違う世界観を生み出したTENGA社長の松本光一とは、一体どんな人物なのか。文=吉田浩 写真=佐藤元樹
松本光一・TENGA社長プロフィール
松本光一・TENGA社長が起業するまで
ポケットに100円しかない時代
TENGAは自慰行為の際に使用する製品。お堅い言い方をすれば「マスターベーション補助グッズ」である。
「世間の目は気にしなかったのか」「アダルトグッズの会社ということで人材確保は大丈夫なのか」
松本を取材するにあたって用意した質問のいくつかは、幾分失礼なものだったかもしれない。だが、これら当然浮かぶであろう疑問をクリアにしなければ、TENGAを知らない読者に誤解を与える恐れがある。
松本は言うなれば「モノづくりの鬼」である。その姿勢は、ある種の「狂気」すら感じさせる。
自動車が好きだった松本は、中学校を卒業するころには既に整備士の道へ進むことを決めていた。電子制御の時代に備えて、工業高校の電子科に入学。周囲からは「絶対に受からないから他にも志願を出せ」と言われたが、頑として譲らなかった。こうと決めたら突き進む性格は、当時から既に顕著だった。
高校を卒業したのち、希望通り自動車整備の仕事に就いた松本は、その道に12年間携わった。
整備士の仕事は充実していた。何より好きなことだったし、顧客が喜ぶ顔を見るのがうれしかった。その一方で、勤務する会社の経営状態は厳しく、生活は「極貧」と言っていい状況だった。松本は当時をこう振り返る。
「給料の遅配はザラで、毎月のように電気や電話が止められる。生活がどんどんきつくなって、100円ぐらいしかポケットに入ってない時期が続きました。追い詰められてくると、食欲や性欲が鋭敏になってくる自分に気付くんです。店でカレーを注文しても、肉はどれだけ入ってくるのかなあとか、そんなことが気になる。自分で精いっぱいになって、他人に対する思いやりを持つ余裕がなくなってくる。だから、どんなにお金がなくても、人としてあるべきものを失ってはいけないと思うようになりました」
人としてあるべきもの――詳細は割愛するが、その部分で会社に対する失望を感じた松本は、次に中古車販売の仕事に就く。そこでは、入社した月からトップの成績を3年間維持した。もともと技術の専門的な知識を、専門外の人に分かりやすく伝えることが得意だったため、営業でその能力を発揮した。整備の仕事と違って給与は普通にもらえたし、生活を楽しむ余裕もでき、はた目には順調に見えた。
「それなのに、なぜアダルトグッズの世界へ?」
率直な疑問を松本にぶつけた。
モノづくりに渇望していた松本光一氏
「生活が安定すればするほど、『モノをつくりたい、それも世の中にない新しいものを生み出したい』という強い気持ちが生まれて、そこに理屈はなかった。内側から湧く願望でした。それで、家電量販店、ホームセンター、雑貨屋、百円ショップなど、いろんなジャンルの製品を1年ぐらい研究していきました。その時点では何を作りたいか、全然確定していなかったんです」
販売の仕事の傍ら、さまざまな商品を研究していた松本は、たとえば当時感じた日本メーカーの家電についてこんな見解を述べる。
「メーカーはもちろんブランドが明確で、製品が誰に向けてどんな目的で作られているか、人気の商品はそれが一目瞭然でした。商品が並んだ棚には、技術的な説明をめちゃくちゃ端折ってはいるけど、専門外の人が納得できるようになっている。コンピューターなどの説明にしても、なんて分かり易くしているのだろうかと。人に喜んでもらおうと作っているのがハッキリしていました」
そんな感動とは対極にあったのが、アダルトグッズの世界だったという。
ある日、近所のDVDショップに入った松本は、アダルトグッズのコーナーに入って愕然とする。明らかな違和感。棚に陳列してある商品はメーカーが不明、ブランドがない、値段もよく分からない。
「自慰行為は男性にとってごく普通の行為。しかしその商品郡は、卑猥でわいせつで特殊なモノだから、よりわいせつな気持ちになって使ってくださいと語っていた。誰もがすることなのに、それはおかしい。ならば、自分は一般プロダクトとしてのアダルトグッズを作ろう。今の世の中にないなら、革新的なプロダクトを作ろう。とその場で決めたんです。」
松本は店内にいる15分程度の時間で決断した。店を出て外の空気に触れても考えが変わらなかったのか、と尋ねると「もう決めたんだから、気持ちが変わるというのはあり得なかった」との答えが返ってきた。持ち前の思い込みの強さが、発揮されたのだ。
松本光一氏の執念とTENGA誕生秘話
自主制作と研究の日々
製品の研究費用として1千万円を貯めた松本は会社を辞め、商品の自主制作を開始した。
会社を辞めた翌日から、朝は6時に起き、深夜2時まで研究に没頭。現状を知るために、商品を自ら買って、使って、分解する作業を繰り返した。孤独な戦いを支えたのは「世の中にないものを作る」という信念だった。
商品づくりに際しては、機能はもとよりデザインにも大きくこだわった。外観の美しさだけでなく、持ちやすさや使いやすさ、後ろめたさを感じないたたずまいなど、機能とデザインの一体化を追求した。
試作品ができると、次は販売に協力してくれるパートナー探しだ。業界にコネはゼロ。そこで松本は、アダルトコンテンツ流通大手のソフト・オン・デマンド(SOD)の営業マンが近所の店舗に通っていることを知り、まずは店員と親しくなることから始めた。運良くそのルートから同社の東京本社でプレゼンできることになったが、その後も話がなかなか進まない。自主制作に取り組み始めて、既に2年近くがたっていた。
「一生懸命朝から晩まで働いて、何度か商品を見てもらっても評価されない。ふと、自分は世の中の役に立っていないし、いなくてもいいんじゃないかと辛くなってくるんです。ここで自主制作を辞めて就職したら社会復帰できる。このまま続けたらアダルトグッズを作ろうとして失敗した、ただのオヤジになるなと。でも、そこで考えました。途中でやめるから失敗であって、成功するまでやれば失敗したと言われないと。まあ、開き直りですね」
弱気を振り切ったことが奏功したのか、SODの社長会議でプレゼンの機会を与えられ、寝る間も惜しんで作った試作品がついに認められた。そして05年7月、5種類の商品の同時発売にこぎつける。
アダルトグッズを身近で一般的な商品に
お笑い芸人をはじめとする芸能人がメディアで頻繁に話題にしたこともあり、TENGAは今でこそ高い知名度を誇る。だが、当時は知名度もなく大きなPRを行う資金もない。そこで、店頭での商品紹介とユーザーコミュニケーションに力を入れた。
起業を決意したときに感じた、ダサく後ろめたい宣伝文句ではなく、明るいノリで一般的な商品であることをPRしたい。そう考えた松本は、思い切って「オナニーの未来がやってきた」というキャッチコピーをつけた。ボディコピーは「性を表通りに、誰もが楽しめるものに変えていく」だった。
反響は大きかった。当時、アダルトグッズは月に5千個売れるとヒットと言われたが、最初の商品は1年目にして100万個売ることに成功する。評判は国内にとどまらず、「欲しい」というオファーが海外からも届くようになった。現在、海外向けの販売が全体の3割程度まで増えている。女性用商品も人気だ。デザインはあたかもコスメティックやお洒落な家電製品とも見まがう。松本は言う。
「日本ではアダルトグッズの約7割が男性用ですが、欧州では逆に8割くらいが女性用です。アダルトショップに入ると、男性客より女性客が多いことがほとんどです。日本と違って対面販売もしているし、身近な商品なんです」
2016年2月期は、世界中で年間700万個が売れた。これまで、年間約120%のペースで成長し続けているという。第1号製品を発売してから、累計販売数は5千万個にまで達している。
松本光一・TENGA社長の目標―新たなカテゴリーの産業を生み出す
TENGAの快進撃は、アダルトグッズの世界に留まらない。たとえば、今年5月に発売した「TENGAメンズルーペ」。スマートフォンのカメラで精子の濃さや動きを観察できるという商品だ。医療機器ではないが、不妊の原因が男性側にもあるという意識を広めたいとの思いで開発したという。この他、射精障害の改善やED治療といった医療現場にも、既にTENGAの導入実績がある。
実を言えば、「アダルトグッズ」という呼び方で、一括りにされることには不満があると松本は言う。
「TENGAのビジョンは、男性、女性、カップル、夫婦、世界中の人の性生活を豊かにしていくことです。人間の原始的欲求である性が豊かなのは幸せなこと。これまでは『アダルトグッズ』という言葉しかなかったのですが、新しいジャンルとして、日本ではセクシャルウェルネス、アメリカでは “Feel Good Industry”という言葉を用いて、新しいカテゴリーを作ろうとしているんです」
人々を満足させ、幸せな気分にする産業――確かにTENGAの話題を出すとき、そしてプレゼントにTENGAを貰ったとき、人々は例外なく笑顔になる。(敬称略)
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