経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

繊維営業一筋40年 マーケットを今まで以上に重視する 大矢光雄 東レ

大矢光雄 東レ

東レといえば、飛行機にも使われる炭素繊維や、海水ろ過のRO膜など、技術オリエンテッドの最先端素材の会社として知られている。しかしこの6月に社長に就任した大矢光雄氏は、祖業である繊維部門で40年以上、営業に従事してきた。なぜ今さら繊維なのか。大矢社長を直撃した。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2023年9月号より)

大矢光雄 東レ
大矢光雄 東レ社長
おおや・みつお 1956年生まれ。80年慶應義塾大学法学部を卒業し東レ入社。2002年長繊維事業部長、09年産業資材・衣料素材事業部門長。12年取締役就任。14年取締役を退任し東レインターナショナル社長。16年東レ専務、20年副社長を経て、今年6月社長に就任した。

繊維は成熟産業でも世界を舞台に成長する

東レ社長交代会見(関)
東レ社長交代会見(関)

―― 今や東レの事業領域は、祖業の化学繊維から始まって、電子機器の部品や炭素繊維、水をろ過するRO膜など、広範囲にわたります。ところが大矢さんは入社以来、繊維の営業一筋です。最初から繊維志望だったのですか。

大矢 学生の時は、商社でもメーカーでも、とにかくグローバルな会社に行こうと考えていました。でも東レに入って最初の配属希望の時は、はっきりと「東京でナイロンの仕事をしたい」と言って、その希望が叶いました。

 なぜ繊維だったのか。これは後付けですが、大矢家の本家が小さな機屋(繊維業)を営んでいた。オイルショックなどの辛酸を嘗めたりもしましたが、こうした環境で育ったために、繊維との親和性が私の中で醸成されたのかもしれません。

―― 40年以上の東レ生活の中で、他の事業に携わりたいと思ったりしませんでしたか。

大矢 ないですね。1980年入社ですが、当時は日本の繊維業界に陰りが出ていて、各社ともに非繊維という言葉が合言葉になっていました。東レも例外ではなく、繊維以外の事業に投資しようとしていた。でも繊維は繊維でやるべきことはたくさんありました。

―― 80年代以降、「日本の繊維産業は終わった」と言われ続けてきました。どこに希望を見いだしたんですか。

大矢 東レではAPS(Action Program for Survival)という言葉を使いますが、東レの歴史は事業体制革新、他社で言えば「選択と集中」の歴史です。2000年3月期に赤字転落した時は、国内の汎用的な繊維の生産規模を縮小、海外へ移転する一方、国内では成長分野や新たな付加価値のある商品を作っていく方針を決めました。リーマンショックの時も同様です。このように縮小だけでなく成長にシフトするというのがAPSの真意です。つまりビジネスモデルやポートフォリオの転換をしてきたのが東レです。繊維事業でも成長領域があり、そこに注力していく。まったく後ろ向きではありません。

―― そういえば中興の祖の前田勝之助さん(元社長・会長)は「繊維は日本では成熟産業でも世界では成長産業」と言って繊維事業に力を入れていました。

大矢 繊維に携わる者にとってはこれ以上励みになる言葉はありませんでした。東レは1955年に海外に進出、それ以降に構築したグローバルのインフラがある。これを活用することで繊維事業も会社の成長エンジンになる。そして実際、東レの繊維事業は成長を続けてきました。

―― 繊維事業の面白さって何ですか。

大矢 東レの事業の多くは、サプライチェーンの中で川上に位置しています。例えば自動車にも東レの素材は数多く使われていますが、自動車のユーザーがそれを実感することは、まずありません。ところが繊維の場合、素材であっても消費者の近くにいて、最終商品が顧客に喜んでもらえているかどうか、あるいは最終商品が売れているかどうか、というものをかなり近くで見ることができる。これは営業冥利、事業冥利に尽きますね。

営業出身だからこそ東レに貢献できる

大矢光雄 東レ
大矢光雄 東レ

―― ただ、社長交代会見では、日覺昭廣前社長(現会長)から社長の打診があった時、繊維しか知らないために一度保留したことを明かしていました。

大矢 東レは先端素材を数多く扱う、技術オリエンテッド、研究オリエンテッドな会社です。でも私は繊維の営業しかやっていない。その部分をどうやってカバーするかを自問自答するために保留しました。

―― どのくらいの間、保留していたのですか。

大矢 年末に打診されて、年明けすぐにお受けすると答えました。

 東レは商材の宝庫です。世の中にないものを生み出す、ゼロイチのビジネスもたくさんあります。このゼロイチの商材をさらに成長させるには、マーケティング力が必要です。今まで私は、マーケットに近いところで、先を読みながら工夫をしてきた。これを東レの経営にシフトしていけば、収益力の拡大や、成長スピードを上げることができる。東レにとって自分の経験が役に立つ。そう腹落ちしたので、社長を引き受けると決めました。

―― 東レは大矢さんが言うように技術オリエンテッドの会社ということで、過去20年以上、技術系社長が続きました。営業一筋の大矢さんは、研究開発に対してはどのようなスタンスで臨みますか。

大矢 東レにとって研究開発はコアバリューです。ですから景気や業績の変動にかかわらず、費用をかけてきましたし、今後も継続していきます。当社の研究開発を支えているのが「技術センター」です。これは研究、技術開発、生産、エンジニアリング部署が一体となった技術開発のヘッドクォーターで、研究開発を横断的に見る組織です。例えばフィルム事業ひとつとっても、その技術を極めるのは当然ですが、それだけを見ていてはマーケットの要請に応えられない。そこで各事業分野の専門家を集め、総合力を発揮して技術融合を促進していきます。こういう体制があることで、市場のゲームチェンジを想定しながら、フィルムと樹脂の組み合わせや、繊維と樹脂の組み合わせといった具合にお互い補完しながら新しい商材を開発しています。

1年前に提言した成長領域の新組織

―― あらゆる分野で技術革新がものすごいスピードで起きています。それについていくだけでも大変そうです。

大矢 マーケットが変わる一番いい例が自動車業界かもしれません。内燃機関からEVへと大きくシフトしています。しかも従来の自動車メーカー以外の新規プレーヤーが参入してきています。それなのに素材メーカーだからといってサプライチェーンの川上サイドだけを見ていると、全体の変化に取り残される可能性があります。

 そこで昨年、マーケティング部門を新設し、その中にネクストモビリティ室をつくりました。次世代の自動車は、EVだけでなく、水素自動車、あるいは空飛ぶタクシーなど、いろいろなものが出てきます。そこでエンドユーザーをダイレクトにマーケティングする。

 東レの強みは、マーケターでもある営業人材が各事業の前線に立ち、革新的な素材によって顧客の製品価値を飛躍的に高める課題解決力です。それをさらに加速し、マーケットサイドから技術サイドに顧客ニーズを流し、東レの持つ商材を横断的に融合させ、新しいものを提案していきます。

 ネクストモビリティ室と同時に、環境ソリューション室も立ち上げています。もともと東レは、地球環境に対しては全社を挙げて取り組んできました。今年度から始まった中期経営課題の中にも、東レの取り組むべき課題として「持続可能な循環型の資源利用と生産に貢献する」が入っています。これは地球環境にソリューションを提供すると同時に、この分野を成長分野と位置づけ収益を上げていくということです。

 例えばポリエステルは、繊維や樹脂、あるいはフィルムのようにさまざまな形で使われます。これを循環するには、繊維だけでなく、樹脂やフィルムに関しても静脈ルートをつくり循環させていかなければなりません。そのためには、マーケット情報を一元管理し、ソリューションを提供する必要があります。その役割を環境ソリューション室が果たしていく。このように、マーケティングの役割はますます大きくなっています。

―― 今まで以上にマーケットに近づいていくわけですね。だからこそ大矢さんが社長に選ばれた。

大矢 日覺前社長がそういう意味を持って私を指名してくれたかは定かではありません。ただ、よりマーケットに根差したところで、マーケットも気が付かなかったところに対する提案が必要だとは以前から感じていました。先ほど言った2つの組織も、「こういうことが必要です」と私が進言してつくったものです。

―― ところで、大矢さんの東レ生活の中で、転換点になったできごとはなんですか。

大矢 2002年に初めて事業部長になりましたが、当時、繊維業界は不況でAPSを余儀なくされていました。そこでやむなく国内のナイロン工場のサイズを小さくし、従業員には他の部署に異動してもらいました。私自身ナイロン出身です。工場のメンバーもよく知っています。それだけに辛かった。

 だけどこの時にやった、国内は小さくするけれど海外はむしろ大きくする、あるいは成長事業をつくっていくというリエンジニアリングは、とてもいい経験でした。この時、私が言ったのは、マーケットから事業を見ようということでした。ビジネスモデルを上が考え、下に伝えるのではなく、従業員が主体になって、どうやったらマーケットがつくられるか考える。そのためのチームをつくり、ビジネスモデルを上層部に提案する。それまでの東レにはない手法でした。

危機的状況から社員発で生まれたヒートテック

―― 具体的にどんなビジネスモデルが出てきたのですか。

大矢 合繊、ポリエステルやナイロンが売れなくなっていました。一方、繊維業界全体で考えれば、最大のマーケットは綿の世界です。ならば綿素材の商品にポリエステルやナイロンが使われれば、需要は増える。そういう提案があって、肌着を合繊に切り替えようと取り組み始めました。

 それまでは、冬用の肌着にアクリルが使われることはあったけれど、それ以外では合繊は入っていけなかった。肌着にはストレッチ性も必要だし、従来のポリエステルとは染色方法も変える必要があります。綿の牙城である肌着マーケットに入ろうとしたら、ポリエステル糸のイノベーションも必要でした。その上で、肌着マーケットに入っていきました。そこから生まれたのがヒートテックです。さらにはエアリズムも開発しました。綿が独占していたマーケットに東レが入っていけた。

 これは単に新しいマーケットをつくったということだけではなく、それが起爆剤となって、厳しい状況においてもへこたれずに努力をすることで道は開けるという意識を若い社員に植え付けるきっかけになった。これは非常に大きかった。チャレンジを続ける東レの社風につながっています。

―― 東レは投資に見合うだけの利益がなかなか出なかった炭素繊維の開発をずっと続け、航空機の重要構造体に使われるまでになりました。良い意味で昔から諦めが悪い会社です。でもそうしたチャレンジがあるから、日本の素材産業は世界で存在感を示していられるのでしょうね。

大矢 そうですね。チャレンジ精神があるからこそ、会社は成長するし、ひいては産業、そして日本経済の成長につながります。ですから今後もチャレンジを続け「わたしたちは新しい価値の創造を通じて社会に貢献します」という企業理念の実現を目指します。

 同時にそれを社外に発信していく。アメリカにある子会社で、TMUSという水処理の会社があります。ここの社長はベトナム出身で、子どもの頃、遠くまで水を汲みに行っていた。それがベトナム戦争でアメリカに避難し、一生懸命勉強し、働いて、海水を飲み水に変える会社の社長になった。まさに東レの企業理念の実現です。

 そこで彼の実話を動画にして公開しています。このような、より多くの人に東レのことを知ってもらう機会を、今後はさらに増やしていきたいと考えています。