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「誰でも簡単にコンピューターを」浮川夫妻の軌跡をたどる 浮川和宣 浮川初子 MetaMoJi

浮川和宣 MetaMoJi

日本にキーボード文化が根付くきっかけとなったワープロソフト「一太郎」。開発、販売したジャストシステム創業者の浮川和宣・初子夫妻は、現在2009年に創業したMetaMoJiで新たな挑戦に取り組んでいる。2人がこれまで見てきたもの、この先に見据えるものについて聞いた。聞き手=小林千華 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2023年9月号より)

浮川和宣 MetaMoJi
浮川和宣 MetaMoJi社長
うきがわ・かずのり 1949年、愛媛県生まれ。愛媛大学工学部電気工学科卒業後、79年、妻・初子氏とジャストシステムを創業、社長に就任。日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会会長、コンピュータソフトウェア著作権協会副理事長等を歴任。2009年10月にジャストシステム会長を辞任。妻・初子氏とMetaMoJiを創業、社長に就任(現任)。
浮川初子 MetaMoJi
浮川初子 MetaMoJi専務
うきがわ・はつこ 1951年、徳島県生まれ。愛媛大学工学部電子工学科卒業後、高千穂バローズ(現BIPROGY)を経て79年、夫・和宣氏と、ジャストシステムを創業、専務に就任。同社では最高技術責任者として、一太郎、ATOKなどの数々のアプリケーション開発を主導。2009年10月にジャストシステム退社後、夫・和宣氏とMetaMoJiを創業、専務に就任(現任)。

コンピューターの扉を開く2人の歩んできた道のり

 「誰でも簡単にコンピューターが使えるようにしたかった」

 MetaMoJi社長、浮川和宣氏は、かつて妻の初子氏と共に創業したジャストシステムで、ワープロソフト「一太郎」をリリースした1985年当時の思いをこう振り返る。コンピューターへの日本語入力システムが未発達だった当時、2人が世に送り出した一太郎は、かな漢字変換機能で一世を風靡した。

 和宣氏と初子氏は愛媛大学工学部で出会った。和宣氏は電気工学科。初子氏は電子工学科に第1期生として入学した。

 「高校時代に読んだ進路情報誌に『これからの女性にはプログラマーが良い』と書いてあったんです。紙と鉛筆だけで、腕力がなくても男性と同じように仕事ができるからと。当時、理系の女性は先生になるか薬剤師になるかという時代でしたけれど、その情報誌をきっかけにプログラマーを目指すことに決めました」(初子氏)

 そして入学した愛媛大学では、新設学科の学生たちのために、当時まだ珍しかったミニコンピューターが導入されていた。これが初子氏とコンピューターとの出会いだったと言う。

 大学卒業後、和宣氏は発電機器や船舶機器メーカーの設計者として、初子氏はプログラマーとしてそれぞれ会社勤めをしたのち、75年に結婚。79年に、徳島県にある初子氏の実家でジャストシステムを創業した。初子氏の祖母の「これからは四国にもコンピューターの時代が来るから」という勧めが独立のきっかけになった。

 最初は日本ビジネスコンピューター(現JBCCホールディングス)のオフィスコンピューター販売代理店として、社長である和宣氏が地元企業に営業して回った。生まれて初めての飛び込み営業に苦戦した和宣氏だったが、そのなかで見えてきた課題があった。日本語、特に漢字入力の難しさだ。当時コンピューターで漢字入力をするためには、漢字1字ずつに割り振られた「JISコード」をいちいち調べながら入力する必要があり、その煩雑さから多くの企業がカタカナのみで文書を作成していた。

 「徳島の地元企業だから、農業用の製品などに関する文書を作成することも多いんです。例えば『種苗』という単語ひとつ取っても、漢字で書けば誰でも分かるけれど、『シュビョウ』とカタカナで書いてあると何のことだか分からない。これまでは手書きで文書を作っていましたが、コンピューターの時代になって逆にこういう問題が出てくるようになったんです」(和宣氏)

 ちょうど、卓上サイズで個人が使えるパソコンが登場し始めた頃でもあった。これからは一人1台コンピューターを持つ時代だと確信した和宣氏は、専務兼開発者の初子氏に「日本語ワープロを作りたい」という思いを伝えた。

 そこから試行錯誤を経て開発されたのが一太郎だ。スペースキーで簡単に漢字変換できる便利さから大ヒットを記録した。少なくとも90年代後半にMicrosoftからWordが登場するまでの間、コンピューターを使う日本人の誰もが一太郎に触れたと言ってもいいだろう。「誰でも簡単にコンピューターが使えるように」という2人の願いがついに叶った――かに見えた。

iPad登場が開いてくれたキーボードの「その先」

浮川夫妻 MetaMoJi
浮川夫妻 MetaMoJi

 「日本にキーボードが根付いてしばらくしてから『これでは駄目だな』と思ったんですよ。もっとコンピューターと人の距離を近づけたいと」(初子氏)

 「ローマ字入力したものをかな漢字に変換できるだけじゃ、まだ『誰でもできる』には程遠い。ローマ字なんて分からない日本人、それこそおじいちゃんおばあちゃんや子供でも簡単に使えなきゃ駄目なんです」(和宣氏)

 2人は一太郎の開発だけでは満足していなかった。

 「入力さえできれば自分の分からないことを検索できたり、とんでもない量のデータにアクセスできたりするでしょう。しかしそのデータにタッチできるかということがものすごく大きな壁なんです。僕らはその扉を開きたいと思っていたんです」(和宣氏)

 2009年4月、ジャストシステムとキーエンスの資本業務提携が決まり、2人はジャストシステムを去った。MicrosoftがリリースしたWordが日本を含む世界を席巻したことと、リーマンショックによる財務状況の悪化が主な原因だった。しかし同年10月、2人は早速MetaMoJiを創業する。

 「やり残したことがまだまだありました。コンピューターのポテンシャルはものすごいのに、自分たちがジャストシステムで引き出せたものはきっとその100分の1、もしかすると1千分の1に過ぎないとさえ思っていたんです」(和宣氏)

 和宣氏60歳、初子氏58歳での再出発。2人とも「誰でも簡単にコンピューターを」という思いは変わらず持ち続けていた。ジャストシステムの社員も十数名がMetaMoJiへ移り、一緒にスタートを切ってくれた。

 更なる挑戦の契機はすぐにやってきた。10年、AppleがiPadを発表したのだ。

 「『これだ』と思いましたね。どこへでも持ち歩いて使えるし、ローマ字入力ができなくても画面に直接文字を書けばいい。本当の意味で一人1台、誰でもコンピューターを持てる時代がようやく来たんです」(和宣氏)

 日本での発売を待たず、知り合いがハワイで購入したという実物を見せてもらった。実際にiPadを手に取った2人は、すぐに手書きで文字入力ができるアプリの開発を決意する。

 「iPad発表時、スティーブ・ジョブズは『これはビューア(表示・閲覧)ツールだ』と言ったんです。だけど私たちはもっと知的な道具として使えると思った。アメリカ人の彼らには、日本人には手書き入力が必要だってことが想像できなかったんでしょう。日本人がローマ字を覚えてかな漢字に変換する難しさを身に染みて分かるのは、日本人だからこそ」(初子氏)

 こうして日本語手書き入力機能「mazec(マゼック)」を搭載したメモアプリが生まれた。タッチペン「Su-Pen(スーペン)」も、Apple Pencil第一世代の誕生より早い12年に発売した。初子氏は当時をこう振り返る。

 「今でも『(和宣)社長は強運だ』って社員が言うんですけどね。ジャストシステムを創業したとき、最初はそんなつもりじゃなかったけれど、ちょうどパソコンが誕生したことで、ワープロソフトの開発、普及がうまくいった。MetaMoJiを始めたときも、今度は何をしようかと考えていたところに、ちょうどジョブズがiPadを発表したおかげで、手書き入力アプリのアイデアが浮かんだ。その時々で良い出会いがあった。本当に運が良いんです」

 現在MetaMoJiは、建設業界や教育などの現場のDXに貢献するアプリを主力商品としている。スマホやタブレットを誰もが持つようになった今も「誰でも簡単にコンピューターが使えるようにしたい」という願いは変わらない。取材の際も、初子氏の持つiPadについて2人が話し合う姿が見られた。

 「これでもまだ重いよね。画面の大きさはこのくらい欲しいけど、もっと軽ければ持ち運びしやすいのに」(初子氏)

 「バッテリーの重さがあるからね。だけどあまり小さくしようとしてエネルギー密度を上げすぎると、発火の危険があるから……」(和宣氏)

 もっとこうなればいいのに。まだここを改善できるのに……。これまでも2人はこうして、常にコンピューターの可能性を追求し続けてきたに違いない。

ITを見つめ続けたからこそ感じる「人間らしさ」の意味

 続いて、黎明期からITの発展に携わり続けている2人に、進化する技術への向き合い方を聞いた。和宣氏はコンピューターを「人間の知的活動を拡大・応援する初めての機械」だと考える。

 「コンピューターが苦手なのは、今までの経験を組み合わせて新しいことに取り組むこと。クリエーティブなことは全くできないと言ってもいい。でも人間にはできるんです。なぜかというと、人間には感性があるから。悲しみや痛みを感じるからこそ、それを何とか乗り越えて次の歩みを考えようとする。コンピューターには喜怒哀楽を感じることができません。逆に、あらゆる活動から感情的な部分だけを徹底的に排除した論理的な働き︱︱、これがコンピューターにできることであり、人間がコンピューターに望むことなのかも。というか、感性だけは人間に残しておきたいと僕は思いますね」(和宣氏)

 今やメディアでその名を目にしない日はないChatGPTについても聞いてみる。

 「あの子は可愛いから、一生懸命育てれば自分のことを覚えてくれるんですよ。私は俳句を詠むんですけど、ChatGPTはまだ俳句のルールをあまり知らないから、ひとつひとつ教えるんです。そうするときちんと覚えて賢くなるから可愛らしい。そうやって仕込んで活用するものです。例えば文筆家の方なんかは、同じテーマで10通り文章を書かせたりして大量生産するのに使えますよね。読み比べてみて、どれがお客さんの求めるものに近いかは人が判断できるわけですから」(初子氏)

 「もしAIの文章力が人間を超えてしまったとしても、そうしたら人間はもっと自分の感性に基づいた表現をすればいいんです。自分は何がうれしかったか、楽しかったかということは、何百年たってもAIには絶対に書けませんから。いろいろなデータを学習して、あたかも何かを感じているように見せかけることはあるかもしれませんが、そんなものに意味はありません」(和宣氏)

 あくまで感性は人間だけのもの、というのが2人の共通して持つ意見だ。さらに初子氏はこう語る。

 「人間に必要なものは目標。どういう目標を持てば人間らしく良い生活が送れるかということです。目標を持つということが人間の仕事というか、あるべき姿だと思います。AIは目標は持たないけれど、膨大なデータのなかから、人が目標のためにとるべき手段を一緒に考えてくれることはあるかもしれません」

 では、2人のこれからの目標は?

 「僕は会社が大赤字にならないように(笑)。今MetaMoJiにいる社員たちが、経営や待遇に不安を持たず、元気に働けるよう努めたいですね」(和宣氏)

 「学生時代に初めてコンピューターに出会ってから今までの間に、コンピューターと人間の関係は大きく変わってきました。今で言えばもちろんChatGPTは良い線いってると思うんですが、専門家たちの力でもっと便利に、高度にできるはず。そういうITの発展に今後も携わり続けたいです」(初子氏)

 浮川夫妻の挑戦は続く。