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事業の幅広さでより痛感する「UNITE」することの大切さ 星野浩明 東急不動産社長

星野浩明 東急不動産

広域渋谷圏の街づくりをはじめ、オフィスビルやリゾート、商業施設、再生可能エネルギーなど、不動産会社の名に収まらない数々の事業に取り組む東急不動産。4月1日に社長に就任した星野浩明氏は、会社全体が一体となることを何より重要視している。聞き手=小林千華 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2023年9月号より)

星野浩明 東急不動産
星野浩明 東急不動産社長
ほしの・ひろあき 1965年、埼玉県生まれ。89年に慶應義塾大学卒業後、東急不動産に入社し、商業施設運営に従事。2022年4月より専務執行役員、23年4月より社長(現任)。東急不動産ホールディングスでは、18年4月より執行役員、22年6月より取締役執行役員(現任)。

若い頃の営業経験が社長就任後も生きている

星野浩明 東急不動産
星野浩明 東急不動産

―― 星野さんは、大学卒業後すぐに東急不動産に入社されていますね。

星野 入社は1989年、和暦ではちょうど平成元年です。商業施設運営、都市事業なども経験しましたが、一番長く関わったのは賃貸事業。特に、オフィスビルのテナント募集です。この業務に携わり始めた頃はバブルが崩壊したばかりで、景気の悪化で入居者は集まらないのに、バブルの残り香でビルの竣工は続く……というギャップに苦しめられた時期でした。どこの企業も景気悪化の影響を受けて苦しい時期でしたし、私自身まだ若かったので、オフィス移転の決定権を握る経営者や役職者とのコミュニケーションに苦労しました。しかし顧客のニーズを直接聞いた当時の経験とそこから得た視点は、社長となった今も忘れずに心にとどめ続けています。

 特に印象深く覚えているのが、93年竣工の「世田谷ビジネススクエア」のテナント募集です。東急不動産のオフィスがある渋谷から世田谷区用賀まで、本社移転の可能性がある近隣企業に対し、国道246号線を何度も行き来しての慣れない飛び込み営業をしたのですが、言葉で語り尽くせないほど大変でした。

―― その試練をどう乗り越えたのでしょうか。

星野 たまたま参加した社外のセミナーで儒教の思想に触れる機会があり、それをきっかけに中国故事について調べるようになりました。

 そのなかでも特に心に響き、今も座右の銘にしているのが、「得意淡然 失意泰然」という故事です。調子のいい時は傲慢にならずに淡々とせよ、うまくいかない時はくよくよせずに泰然と構えよという意味ですが、これは結局セルフコントロールの大切さを説く教えだと思うんです。当時は仕事を本当に大変だと感じていて、会社でも家でも悶々と悩んでいることが多かったのですが、がっかりしても何も変わらない。うまくいかないことがあっても、また明日になれば気持ちをリセットして働く。これを続けることで切り抜けられればいいなと、自分の心を楽にしてくれた言葉です。

―― 他に星野さんが影響を受けた言葉などはありますか。

星野 書籍で言えば、ジェームズ・C・コリンズ著『ビジョナリー・カンパニー2』に書かれた「弾み車の法則」です。成長する企業には、優れた経営者が優れた経営を行っているパターンのほかに、企業そのものが自発的に回っているパターンがある。企業を自発的に回すには、社員一人一人が企業のパーパスを正しく認識し、指示がなくても自ずと動ける状態をつくらねばならない。これを弾み車と呼ぶのですが、それに弾みをつけるまでが経営者の仕事で、弾みがつけば後はきちんと回るはずだ、という内容です。自分も経営者となった今、より強く意識したい事柄ですね。

―― これから東急不動産で、その弾み車をどう回していくのですか。

星野 4月の社内向けの所信表明で、社員に「UNITE(ユナイト)」することを求めました。東急不動産は都市事業、住宅事業以外にも、再生可能エネルギー事業や、リゾート、フィットネス施設の運営といったウェルネス事業まで、非常に幅広い事業を展開しています。ともすれば事業分野単位で独自に動いてしまいがちなのですが、これからより大きな事業にチャレンジしていくためには、それぞれの事業分野で培ったノウハウを結集させて、東急不動産というチームとしてひとつにならなければならない。そういう気持ちを込めたメッセージでした。

 これは「協力」とは違います。異なる者同士力を合わせるというのではなく、本当に全体が一体になって進んでほしい。その思いを伝えるため、そして私自身も社員たちと一体になるために、これからさまざまな立場の社員たちと膝詰めでしっかりと話し合う機会を設けていきます。

100年に一度の再開発渋谷の魅力を次世代へつなぐ

東急不動産 MicrosoftTeams-image
東急不動産 MicrosoftTeams-image

―― 大きな事業へのチャレンジと言えば、現在渋谷で100年に一度と言われる大規模な再開発を進めていますね。

星野 渋谷駅を中心とした半径約2・5キロメートルのエリアを「広域渋谷圏」と定め、2024年度までに順次竣工・開業する「Shibuya Sakura Stage」、「Forestgate Daikanyama」、「代々木公園Park-PFI計画」、「東急プラザ原宿『ハラカド』」という4つの拠点を中心に街づくりを行う計画です。若いクリエーターの個性が生きる施設からサステナブルな生活体験を提供する施設まで、拠点ごとに独特のコンセプトを持たせています。

 私にとって特に思い入れが深いのは、今年11月に渋谷桜丘エリアに竣工予定の「Shibuya Sakura Stag
e」ですね。オフィス、商用施設に加えて住宅まで整備した複合施設ですが、地元の権利者の方々で構成された再開発組合ともコミュニケーションを密にとりながら、時間をかけて進めてきたプロジェクトです。桜丘はこれまであまり大きな建物がなかった地域なので、渋谷の人々に愛されつつ、外からもたくさん人を呼ぶ施設になってほしいという思いがあります。

―― 星野さんご自身は、渋谷という街の魅力をどう考えていますか。

星野 メディアでは若者が集まる流行最先端の街として取り上げられることが多いですが、渋谷はさまざまな属性の人々が過ごすダイバーシティの街でもあります。人の年齢の幅も広いですし、ビジネスパーソンの憩いの場だってある。そういう場所にいると自分の感性も刺激されて、他の場所では湧いてこないアイデアが湧いてくる気がします。それが渋谷の一番の魅力だと思いますね。

 再開発を通して、そんな渋谷が持つ独特のカルチャーや雰囲気を、拡大しながら次世代につなげていきたいと考えています。

―― 幅広い事業に取り組まれているなかでも、再生可能エネルギー事業は少し異色に思えます。

星野 東日本大震災以降、主に首都圏の電力不足が顕著になったことをきっかけに、14年に事業を開始しました。

 たしかに「不動産会社がなぜ発電を?」と思われることは多いです。しかし再生可能エネルギー発電所の開発・運営では行政や土地の権利者、地域の方々とのコミュニケーションが重要ですから、実はこれまでの宅地の大規模開発事業で培ったノウハウが生かせる分野でもあるのです。自分たちがそこに発電施設を建てたい、というだけでは駄目で、周辺地域に与える影響を考慮すると同時に、建てるからにはその地域にも何かしらのメリットをもたらせるように考えなければなりません。

 現在、「ReENE(リエネ)」のブランド名で太陽光発電や風力発電、バイオマス発電を行っていますが、当社の発電施設は開発中の案件も含め全国に89事業、発電能力を示す定格容量は1582メガワットと、原発1基分以上の発電能力を持ちます。この発電量は当社の運営するオフィスビルや商業施設、ホテルなどで必要な電力の総容量を大きく上回っており、昨年12月に保有する全施設の再生可能エネルギー切り替えを完了しました。今インタビューをしているこの場所(東急不動産の本社が置かれる渋谷ソラスタ)の電力も、当社の施設で発電した再生可能エネルギーで賄っています。自社で発電した再生可能エネルギーで自社物件すべてを再エネ化するという結果を出せている企業は珍しいのではないでしょうか。

―― 最後に改めて、新社長としての意気込みをお聞かせください。

星野 会社としては、先ほど挙げた広域渋谷圏の再開発と再生可能エネルギー事業に引き続き力を入れます。いずれも不動産会社としての本来の業務を行うだけではなく、渋谷の再開発についてはその土地のカルチャーなどのソフト面にも気を配った再開発をしていきたいですし、再生可能エネルギー事業についても環境配慮のPRを含め、開発地とその周辺のプレゼンスも高めていきたいと考えています。

 単なる不動産会社の役割にとどまらない大きな事業に取り組むため、社長として「UNITE」する組織づくりに邁進していきます。