経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

異業種とのコラボを通じて新しい火花を生み続けたい コシノジュンコ ファッションデザイナー

コシノジュンコ

ゲストは、世界で活躍するファッションデザイナーのコシノジュンコさん。「コシノ三姉妹」の次女として知られます。近年は伝統芸能の能楽とファッションの融合にも挑戦中。「常に変わらずにいるために、常に変えなければならない」と話すコシノさんとモノトーン基調のスタイリッシュなご自宅で語り合いました。聞き手・似顔絵=佐藤有美 構成=大澤義幸 photo=川本聖哉(雑誌『経済界』2023年9月号より)

コシノジュンコ
コシノジュンコ ファッションデザイナー
1939年大阪府岸和田市生まれ。文化服装学院卒業。姉・コシノヒロコ、妹・コシノミチコと共に「コシノ三姉妹」と呼ばれる。母・小篠綾子もファッションデザイナー。78年パリコレ初参加。京都美術工芸大学客員教授。2022年旭日中綬章受章。

「装苑賞」を受賞し、19歳の若さでプロの道へ

佐藤有美 コシノジュンコ
佐藤有美 コシノジュンコ

佐藤 「コシノ三姉妹」の次女であられるコシノ先生は、若手ファッションデザイナーの登竜門である「装苑賞」を19歳で最年少受賞し、ファッションデザイナーとしての第一歩を踏み出されました。

コシノ 上京したての文化服装学院1年生の時ですね。受賞後はプロと見なされたため、在学中に銀座の小松ストアー(現・ギンザコマツ)の一角にお店を出しました。

佐藤 その後、東京・青山にブティック「COLETTE」をオープンし、1978年には念願のパリコレデビューを飾るわけですが、その起点が文化服装学院だったのですね。

コシノ そう。担任がパリから帰国したばかりの小池千枝学院長で、当時の日本では先進的だったオートクチュールの立体裁断を学べたのは幸運でした。平面の型紙を使って作る日本の着物と違い、洋服は立体を基に針とハサミがあれば、型紙なしで作ることができます。

佐藤 人生の良い出会いですね。日本の着物は、春は桜、年明けは梅の柄などを四季の始まりに着るのがおしゃれとされますが、コシノ先生の洋服はそういう価値観や時代を超えた真新しさを感じます。

コシノ 私は流行でものを作らないからでしょうね。流行は必ず廃れますでしょ。でも良いものは永遠に良い。今日の佐藤社長の洋服も私の数年前のデザインですが、新鮮さがあります。その意味で私はSDGsのものづくりをしています。

佐藤 本当にそうですね。流行といえば、ファストファッションについてはどうお考えですか。安価で着る人の年齢を問わない半面、今の日本は都会でも地方でも似たような服装の人たちで溢れています。

コシノ ファストファッションは合理的ですよね。日本人はものの良し悪しよりも、情報に敏感で流行を素直に受け入れます。欧州では何が流行ろうとも、自分の生き方やスタイルは変えません。

母親と過ごした日々を描いた連ドラ「カーネーション」

佐藤 お母さまもファッションデザイナーで、女手一つで家業の洋装店を切り盛りしながら三姉妹を育てられたそうですね。その姿を描いたNHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」が放送され、だんじり祭の大阪・岸和田がコシノ先生の故郷として知られるようになりました。

コシノ 日本では母の日にカーネーションを贈りますが、花を見る度にドラマを思い出し、脳梗塞で亡くなった母の姿がよみがえります。海外でも放送され、現地でファッションショーを開催すると、私を知る人が多いことに驚かされます。

佐藤 思い出のアルバムですね。

コシノ 母は生前の雑誌のインタビューで私たち姉妹に向けて、聖書の言葉を引用して「与うるは受くるより幸いなり」と語っていました。また商売についても、「お金は後から付いてくるで」と。どちらも言葉の力を感じますでしょ。

佐藤 はい、とても。お金の話は企業経営も同じです。最初から営利目的の経営者に成功者はいません。

コシノ 人はお金よりも気持ちで動くものですしね。知人の画家が「『この報酬で絵を描いてください』と言われると途端に描けなくなる。ものの価値はそうではない」と話していました。私も同じです。先にお金の話をした時は、その価値を超えることに力を尽くしています。

能楽×ファッションの融合変わらないために変えていく

コシノジュンコと観世三郎太
コシノジュンコと観世三郎太

佐藤 コシノ先生は能楽とファッションのコラボもされています。きっかけは私も親交の深い、観世流能楽師の家系の日本M&Aセンターの分林保弘会長だそうですね。

コシノ 2015年に京都国立博物館で琳派誕生400年記念イベントがあり、前夜祭のファッションショーを任されました。しかし、江戸時代は音響がなく、灯かりも提灯や蠟燭しかありません。別の折に分林さんの親戚の能楽のお囃子を見た際に、「コラボしたい!」と思い、そこでご紹介いただいた時からのご縁です。18年の京都・パリ友情盟約締結60周年記念式典では、能楽とモードを組み合わせたファッションショーをパリで催しました。20年にはGINZA SIXの観世能楽堂で二十六世観世宗家・観世清和氏とコラボし、総合芸術舞台公演を手掛けました。

佐藤 銀座の舞台は私も拝見しました。日本文化の素晴らしさにただただ感動しましたね。今後も異業種コラボは続けていきますか。

コシノ 挑戦していきます。新しい出合いは新しい火花を生みます。変わらずにいるには、常に変わらなければなりません。能楽が680年続いてきたのは常に変える努力をしてきたから。そうでなければ世界で孤立します。銀座に観世能楽堂ができたのも、今変わらなければ生き残れない、という能楽に関わる人たちの使命感があるからでしょう。

佐藤 コシノ先生とのコラボで能楽の魅力がより引き出される。今後のご活躍も楽しみにしています。

コシノジュンコ イラスト
コシノジュンコ イラスト