皮質と縫い目の高さが異なる米国製のボール
「もしできるんだったら、指の皮膚を(外国人から)移植する手術をしたかったですよ」
冗談とも本音ともつかぬ口調で語った元メジャーリーガーがいる。
2002年にニューヨーク・メッツでプレーした小宮山悟である。25試合に登板したものの、0勝3敗、防御率5.61という成績に終わった。
日本では「投げる精密機械」の異名をとり、ロッテと横浜で計117勝をあげた小宮山だが、海の向こうでは本領を発揮することができなかった。
原因は米国製のボール。
「(米国製の方が日本製よりも)大きいんです。僕は親指を(地球にたとえるなら)ボールの赤道部分にあてがう習慣があって、日本のボールなら握った瞬間に“ここがボールの中心だ”というのが大体分かるんです。ところが米国のボールは大きいから、握るたびに親指の位置がズレてしまう。もうツルツル(笑)。最初のころバッティング練習で、右バッターにカーブを投げたら、ボールがバッターの背中のほうにいきましたから」
日本では「針の穴をも通すコントロールの持ち主」と呼ばれた小宮山だが、メジャーリーグでは意のままにボールを操ることができなかった。
続けて小宮山は語った。
「長く野球をやってきて、あんな経験は初めてでした。なんとかしなければと必死でした。そこでドラッグストアをはしごして、どうにか自分の手に合うハンドクリームを見つけたんです。それをしっかり塗って、試合中も保湿効果を保ちながら、なんとか投げていましたね。結局、最後まで馴染めませんでしたが……」
同じような話は16年限りでユニホームを脱いだ三浦大輔からも聞いた。三浦も小宮山同様、制球力に定評のあるピッチャーだった。
「04年のアテネ五輪に出場した時です。僕はこの時に初めて国際球を握りました。普段使用している日本製のボールと感覚が全く違っているので、もうびっくりしました」
具体的に、日本製とはどこがどう違ったのか。
「まず皮質と縫い目の高さが違いますね。国際球はひとつひとつの規格がバラバラで、投げてみないことには、ボールがどう変化するのか分からない。僕の場合、縫い目に指をかけずにフォークボールを投げていたので、指の間からボールがすっぽ抜けていく感覚でした。
逆にスライダーは縫い目に指が引っかかり、思っていたよりも大きく曲がる。でも曲がり過ぎるとバッターに見極められてしまう。一番いい変化球は、バッターの手元でほんの少し軌道が変わるボール。これを投げるのに大変、苦労しました」
多くのピッチャーがボールへの違和感
国と地域による野球世界一を決める国際大会、WBC一次ラウンドが3月の第2週からスタートする。既に初戦の相手は強豪キューバに決定している。日本国内での試合も、米国製のボールで行われる。
昨年11月に行われたメキシコとオランダを迎えての強化試合において、日本は4試合で29失点を喫し、投手陣に不安を残した。
多くのピッチャーがボールへの違和感を口にした。
これを受け、侍ジャパンのテクニカルディレクター鹿取義隆は語った。
「選手個人の差もありますが、タテの変化で勝負するピッチャーは(米国製に)慣れやすく、逆にボールを横に動かすタイプは慣れにくい傾向が出ています」
鹿取の分析は、きっとそのとおりなのだろう。とはいえ、本番までは時間がない。ボールへの違和感を口にするピッチャーに対しては「それは最初から分かっていること。何を今さら……」(元WBCコーチ)と冷めた見方をする関係者もいる。
そんな中、ユニークなボール対策を披露する元代表選手に会った。千葉ロッテで活躍したキャッチャーの里崎智也である。
里崎は06年、第1回WBCに出場し、上原浩治(現シカゴ・カブス)、松坂大輔(現福岡ソフトバンク)らをリードして日本の優勝に貢献した。
「キャッチャーが協力してやればいいんですよ」
こう前置きして、里崎は続けた。
「僕の場合、ミットの外の部分にグラブ磨き用のクリームを、あらかじめ付けておいた。審判から新しいボールをもらった際に、それを素手でこねてピッチャーに渡す。こうすれば滑らなくなるんです」
―― 審判から違反と見なされないのか?
「手袋をつけたままボールをこねるのは違反ですが素手は大丈夫です。僕は一度も注意されたことがありません」
なるほど、そんな手があったのか。これもテクニックのひとつだろう。侍ジャパンは第1回、第2回と連覇したが、第3回は3位に終わった。世界一奪回に向け、ボール対策は急務である。(文中敬称略)