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政治評論家、浅川博忠さんの「しなやかな反骨心」

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浅川博忠さんが第一次安倍政権崩壊後に安倍首相に送ったアドバイス

浅川博忠

イラスト=のり

 注目の東京都議会議員選挙は、小池百合子都知事率いる都民ファーストの圧勝。いや、自民党の惨敗だった。予想をはるかに上回る結果に、各メディアは今後、国政がどう動いていくか注視し、取材に回り出した。

 これまで、このような選挙後、筆者は必ずといっていいほど連絡を取り合っていた方がいた。政治評論家の浅川博忠さんである。浅川さんは、現場主義を貫き通していた方で、高齢の身でありながら時間さえあれば永田町を歩き回っていた。しかも物静かで腰が低く、私たち年下の記者たちにも丁寧に永田町の裏話を語ってくださった。しかし、浅川さんは今年2月24日、肺がんでこの世を去った。74歳だった。

 6月15日、国会近くの憲政記念館で浅川さんをしのぶ会が開かれた。この日の朝、「共謀罪」を含む「改正組織的犯罪処罰法」が可決された、まさに終盤国会のヤマ場を終えた後だった。にもかかわらず、安倍晋三首相をはじめ、慶大で同窓だった小泉純一郎元首相、高校、大学で同期だった金子一義元国交相、税制のご意見番として知られる野田毅元建設相、政権交代で議論を重ねてきた自由党の小沢一郎代表、共産党の穀田恵二国対委員長、小池晃書記局長など、与野党の重鎮が足を運び、約100人が別れを惜しんだ。

 安倍首相はあいさつで、第1次安倍政権崩壊後に浅川さんが部屋を訪れたエピソードを披露。

 「再起不能と言われたとき、『諦めるのは早い。焦らずに、次に何をやるべきか考えろ』と言っていただいた。上り調子のときはそれほどでもなかったが、(自分が)厳しいとき、いろいろなアドバイスをしてくださった。優しい方だった」

 私事で恐縮だが、筆者は浅川さんと約10年お付き合いさせていただいた。もともと、社会部系の事務所にいて、週刊誌では闇金融事件や詐欺事件などを中心に取材してきた筆者が、政治を取材し始めたのは、40代半ばになってからだった。右も左も分からない中年記者に、優しく声をかけてくれたのが浅川さんだった。

浅川博忠さんが自ら切り開いた政治評論家への道

 以来、何かと気に留めてくださり、時間があれば電話をかけてきて、「これから時間がありますか」と向こうから誘ってくれるようになった。あるとき、なぜ、浅川さんはこんなに優しいのだろうと考えたことがある。筆者がない知恵を絞って導き出した答えはこうだ。

 浅川さんは1942年、東京生まれ。慶大卒業後、時事問題研究所常務理事などを経て、政治評論家になった。「当時、政治評論家という仕事は新聞社の政治部記者の“特等席”だった。だから、シンクタンクからこの道に入りたいと言っても最初は話を聞いてもくれなかった」と振り返った。電力王と呼ばれた松永安左エ門氏の助言を得て、ようやくこの道に入った。一人一人の政治家に会い、話を聞き、記事にする。小さな仕事でも喜んで引き受けたという。

 恐らく、周囲の新聞記者の目は厳しかっただろう。今は元秘書、元政党職員など、さまざまなキャリアを持った方が論評したりしている。しかし、当時は完全に外様扱いだった。そんななかで信頼を得、実績を積み重ねていったのだ。

 そんな経験があるからこそ、筆者のような門外漢が、汗を垂らしながら駆け回っている姿を見て、心配になったのだと思う。どこかで、自分の辛かった時代を振り返り、道を誤らないように助言してくれたのかもしれない。いつも弱者に対して優しい目線を持ち、ちょっと調子に乗った素振りを見せると頭ごなしに叱るのではなく、やんわりと相手が気づくような話をされていた。それが浅川さんの“しなやかな反骨心”だと感じ、いつしか筆者の“政治取材の父”のような存在となっていた。

 “共謀罪”法案の強行採決、森友学園や加計学園問題、さらには豊田真由子衆院議員の暴言・暴行問題、稲田朋美防衛相の失言問題が相まって、都議選は自民党大惨敗の結果となり、安倍1強時代に暗雲が垂れ込めている。自民党関係者からは「皆、陰口は叩くけど、正面切って安倍さんに苦言を呈する人がいない」といった声も聞こえてくる。

 浅川さんだったら、安倍首相にどう言うだろう。やんわりと、「一度、茶坊主を遠ざけてみてはどうか。違った景色が見えてくるかもしれないですよ」と。そんな姿が瞼に浮かんできた。合掌。

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