次期経団連会長に日立製作所会長の中西宏明氏が内定した。4年に1度の経団連会長選びは、毎回のように難航するが、今回は大本命候補へのバトンタッチとなった。財界の地盤沈下が言われるようになって久しいが、久々の巨大企業出身者の財界総理就任で、経団連はどう変わっていくのか。文=関 慎夫
経団連会長のすべての条件を満たす本命候補
「久々に、『本命候補』が経団連会長に就任することになった」(全国紙の財界担当記者)
経団連は1月9日に会長・副会長会議を開き、今年5月に任期の切れる榊原定征会長の後任に、日立製作所の中西宏明会長を内定した。5月31日の総会で正式決定し、就任する。
榊原会長は『経済界』2月号のインタビューで、「経団連の大きな柱はイノベーションとグローバリゼーション。そういうことを提言し牽引することができると同時に経済外交を推進できる人が望ましい。経団連にはこういう人たちがたくさんいるので選ぶのが大変だ」と後継者の条件を語っていたが、事実上、中西氏に絞られていた。
経団連会長になるにはいくつかの不文律がある。①所属企業で現職の会長、社長であること②経団連副会長ないしは評議員会議長・副議長職を現在務めていること③製造業出身者であること④財閥系企業出身者ではないこと――などだ。
前会長の米倉弘昌氏が財閥系の住友化学出身、榊原氏も4年前には既に経団連副会長でも評議員会会長・副会長でもなかった等、いくつかの例外があるが、ほとんどの場合、この不文律は守られてきた。そして中西氏も、すべての条件を満たしている。その意味で、今度の人事は極めて順当だった。同時に冒頭の発言のように久しぶりのことでもあった。
時計を榊原氏が選ばれた4年前に戻してみる。選ぶ立場の米倉会長の脳裏にあったのは日立の川村隆会長であり、実際に打診もした。しかし川村氏は74歳と高齢であることや健康問題を理由にこれを固辞。榊原氏に内定する約1週間前には日立の社長交代に伴い4月1日付で相談役に就任することで現職会長・社長という不文律から外れることを明らかにし、「財界活動は現役で仕事をやっている人がいい」と言い切った。
川村氏はその後東京電力ホールディングス会長に就任したことも明らかなように健康面に問題はない。さらには社長交代を6月の株主総会後とすれば、現役問題もクリアできたのにそうしなかったところに、川村氏の意思の固さを見ることができる。
その4年前は、本命は米倉氏ではなく東芝会長の西田厚聰氏だった。本人にも意欲があったことから、読売新聞は2010年元旦の1面で「経団連の次期会長、東芝・西田氏が有力」との見出しを掲載、本文中では「日本経団連の御手洗冨士夫会長(74歳)(キヤノン会長)の後任に、西田厚聰副会長(66歳)(東芝会長)が最有力となったことが31日、分かった。近く最終調整に入る。1月中にも内定し5月の定時総会で正式決定する見通しだ」とのスクープを飛ばしている。
しかし実際には内定は2月にずれこみ、米倉氏が選任された。西田氏が選ばれなかったのは、この時、日本商工会議所会頭が東芝出身の岡村正氏だったためだ。西田氏が経団連会長となれば、経済3団体のうちの2つを東芝出身者が占めることになる。これが嫌われて西田財界総理は見送られた。
波乱が続いた経団連会長人事
さらに4年前の06年に就任したのはキヤノン会長だった御手洗氏。それまで精密機器メーカー出身者が経団連会長になったことはなく、本命候補とは言えなかった。最有力と言われたのは張富士夫・トヨタ自動車会長だったが、もし張氏が就任した場合、トヨタ(奥田碩氏)からトヨタ(張氏)へのバトンタッチとなる。過去に稲山嘉寛氏から斎藤英四郎氏へと、新日鉄同士のバトンタッチはあったが、奥田氏はそれをよしとはしなかった。その結果、財界傍流企業から経団連会長が誕生した。
その4年前の02年は旧経団連と日経連が合併して新生・経団連が誕生した年だ。その最初の会長には、日経連会長からの横すべりで奥田氏が就いた。1998年に経団連会長に就いたのは新日鉄会長だった今井敬氏。財界本流中の本流企業だが、この時は、NECの関本忠弘会長が財界総理の椅子を目指して積極的に活動を行っていた。重厚長大の代表企業とIT企業の新旧対決とも言われたが、軍配は新日鉄に上がった。
94年にはトヨタ自動車会長の豊田章一郎氏が経団連会長に就任するが、これも予期せぬ人事だった。前任の平岩外四氏(東京電力出身)の意中の後継者はソニーの盛田昭夫会長だった。盛田氏は世界で一番有名な日本人経営者。また平岩氏と盛田氏はともに愛知県常滑市出身であり肝胆相照らす仲だった。しかし内定決定を公表する直前の93年11月、盛田氏はテニスのプレー中に脳出血で倒れ、財界総理就任は不可能になった。
代わって白羽の矢が立ったのが豊田氏だ。それ以前はトヨタの本社が愛知県にあることもあり、財界活動には不熱心だった。しかし豊田氏が経団連会長に就任したことで、財界内におけるトヨタのポジションは一気に変わった。その後奥田氏が経団連会長となり現在のトヨタ社長である豊田章男氏が将来の経団連会長最有力候補と言われるのも、すべてはここから始まっている。
以上見てきたように、4年に1度の経団連会長交代は、横滑りだった02年を除くと、予想外のことばかりだった。ところが、第14代経団連会長に内定した中西氏はそうではない。早くから本命候補と言われ、その下馬評どおりとなった。むしろ榊原現会長の語った次期会長の要件である「イノベーションとグローバリゼーション」は、中西氏を念頭に置いたものではないかと思えてくる。
財界活動嫌いの日立は「今は昔」
中西氏は1946年生まれの71歳。東京大学工学部を卒業して日立に入社。70年にはスタンフォード大学大学院で修士課程を修了している。スタンフォードでの専攻がコンピュータエンジニアリング学であったことからも分かるように、ITに明るい。若い時代はコンピュータエンジニアとして頭角を現し、2010年に社長に就任した。
日立はリーマンショック直後の09年3月期に、最終赤字7873億円という日本製造業史上最悪の赤字を計上する。それを受けて社外に出ていた川村氏が呼び戻され、社長に就任した。川村氏は日立を保守本流である社会インフラの会社と位置付け、舵を切った。現代の社会インフラにはITが不可欠だ。しかもその舞台は世界中に広がっている。そこで川村氏は自らの敷いた路線をより強固なものにするために、就任1年後、ITに精通し、かつヨーロッパおよびアメリカでの駐在経験のある中西氏に社長の座を譲った。
その後日立は11年3月期に2388億円の最終利益を出してV字回復を遂げ、その後もコンスタントに利益を計上し続けている。
日立の売上高は9兆円強。2位のパナソニックでさえ8兆円に届かないのだから国内電機業界では断トツの存在で、そのため、そのトップが経団連会長候補になるのは当然といえば当然だ。
しかし前述の川村氏のように、これまで日立は財界活動には消極的だった。茨城県の地方都市に拠点があることもあり、かつてのトヨタのように、中央に背を向けていた。しかし中西氏は違う。会長内定直後の囲み取材では「財界と距離を置くカルチャーは今もあるが。もうそういう時代ではない」と語っている。
日立の主力事業である社会インフラは、安倍政権と経団連が進める成長領域そのもののため、経団連会長会社となることは、日立にとっても重要だ。「経団連の立場で動くことが日本経済にとってすごく意味がある」と中西氏は言うが、これは政府、経団連、日立の目指す方向が一致しているということだ。
慣例に従えば中西氏は22年まで会長を務める。20年には東京オリンピックが終わり、その反動が心配されている。五輪後に日本が成長できるかどうかは、イノベーションをどれだけ起こすかにかかっている。それが、中西新会長の双肩にかかっている。(肩書はいずれも当時)
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