「社交パーティー」という言葉は知っていても、その位置付けや文化的背景について詳しく理解している日本人は少ない。単なる「上流階級の娯楽」といったイメージも強いのではないだろうか。今回、アミチエ ソン フロンティエール インターナショナル ジャポン(ASFIJ)代表理事の畑中由利江氏に、社交と人道支援が密接に関連する欧州の文化と、それを日本で広めていくことの意義について聞いた。(吉田 浩)
畑中由利江・アミチエジャポン代表理事プロフィール
日本でなじみの薄い社交パーティー
2019年2月、参加者約800人を集めた日本最大級のチャリティパーティーがグランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)にて開催された。
主催は、モナコ公国の人道支援組織アミチエ ソン フロンティエール インターナショナルの日本支部である一般社団法人アミチエ ソン フロンティエール インターナショナル ジャポン。集まった寄付金は、国連難民高等弁務官(UNHCR)を通じて世界の難民支援に充てられる。
「モナコ公国は社交の国で、年間を通じて700以上の公式なパーティーが開催されます。そうやって日常的に開かれる華やかなパーティーの9割以上が、ファンドレイジングを目的としているんです」
アミチエジャポン代表理事の畑中由利江氏はこう説明する。同団体が主催するチャリティ目的のガラパーティー(男女とも正装で参加する正式なパーティー)は、これで4回目となった。
アミチエが主催するモナコ式のパーティーでは、参加費の1部に加えて、トンボラと呼ばれる豪華賞品が当たるくじ引きの収益も人道支援に回される仕組みだ。チャリティの機運は日本でも高まっているとはいえ、こうした形式のパーティーは日本ではまだ馴染みが薄い。
畑中由利江氏がアミチエジャポン代表に就いた経緯
人生を変えたアミチエ創設者との出会い
パーティー文化が社会に根付いている欧州との違いもあるが、日本では恵まれた立場の人間が、大々的に慈善活動を行うことへの抵抗感がまだ残っているのも事実だ。
自然災害などの際に有名人や富裕層が支援を表明すると、必ずと言っていいほど「偽善」と批判の声が上がるのを見ても分かる。苦しんでいる人々がいるのに、着飾って美味しい食事や催し物を楽しむことが不謹慎という意識も相変わらずある。人道支援を堂々と行うことに対して、多くの日本人は不慣れで不器用だ。
畑中氏自身も、アミチエの活動に関わるまで人道支援への意識はほとんどなかったという。
そんな同氏がチャリティに関わるようになったきっかけは、東日本大震災だった。国際マナーの教室を経営する畑中氏はモナコと日本を往復する生活を送っていたが、震災後にいったんモナコにすべての拠点を移すことになった。そこで出会ったのがアミチエ創設者のレジーヌ・ヴァルドン・ウェスト氏だった。
レジーヌ氏は人口5千人程度しかいないモナコ人の一人で、学校教育や赤十字の仕事に携わってきた。米国の人気女優でモナコ君主と結婚した、グレース・ケリー王妃の秘書も務めたという経歴の持ち主。あるとき、ケリー王妃から「モナコから世界に発信できる慈善団体を作りたい」と相談されたのが、アミチエ設立のきっかけとなった。本部創設は1991年。レジーヌ氏は当時60代半ばで、90歳を超えた今でも活動を続けている。
「チャリティパーティーで初めてレジーヌを見たとき、身体は凄く小さいのに舞台に立つととても大きく見えて、言葉の一つ一つに力があったんです。どんな人生を送っている人なのかすごく興味がわきました」
と、畑中氏は当時を振り返る。
社交が人道支援につながるという発想に驚き
社交して、自分の人生を豊かにすることが社会貢献になるという発想自体が衝撃的だったという畑中氏。自分も活動に関わりたいと決意し、その後3年間チャリティパーティーに通い続けて、ようやく名前を覚えてもらうまでになった。
アミチエをぜひ日本に紹介したいとレジーヌ氏に持ち掛けた畑中氏だったが、すぐにゴーサインが出たわけではない。その後、レジーヌ氏から朝から夕方まで「アミチエの心得」や「アミチエとは何か」について、繰り返しレクチャーされる日々が続いた。
「すごく貴重な時間でしたね。印象的だったのは、『自分もやりたいと相談に来る人はたくさんいるけれど、モナコ元首が顧問総裁を務めている正式な会なので、アミチエをやるということはモナコを背負うということ。だから上手く行かなくても、やめることはできない』と言われたことです」
一見華やかな社交パーティーの主催だが、相当な覚悟がなければできない活動であると畑中氏は理解することになった。
アミチエジャポンの今後の課題と新たな取り組み
日本でチャリティパーティーを行う際の課題
「ライフスタイルが一人一人違うように、社会貢献の仕方にも新しい形があることを知ってほしくてアミチエを日本に紹介しました。私たちの活動を知ってもらうことが日本人の豊かさにつながると考えたからです。パーティーを楽しんだ先に社会貢献を意識するスタイルは日本には浸透していないので、日本人の教養を高める方法の1つとして捉えてほしいんです」
畑中氏はこう語る。
アミチエの活動を日本で実際に行う過程で、いくつかの気付きもあった。
まず、会社経営とボランティア活動は全く別ものだということ。会社のように金銭報酬で成り立つ関係ではないため、参加者の心を動かすものがなければ積極的に活動してはもらえない。
現在、アミチエジャポンの登録者は約450人。このうち、7~8割は女性で、経営者や畑中氏のスクールの生徒、会社員などもいる。この会員たちにアミチエの魅力をしっかりと伝え、参加者に心から楽しんでもらう必要性があることを感じたという。
会場を探すのも日本では一苦労だ。欧州の公式なパーティーでは、開始前にアペリティフと呼ばれる参加者同士が交流する時間がたっぷりと設けられており、そのためのスペースも用意されている。東京都内でも、そうした慣習に適した会場は限られている。
運営に関してもさらに工夫が必要という認識だ。例えば、有力な外資系企業がスポンサーとなっているようなパーティーの中には、一夜にして億単位の寄付金を集めるケースもある。アミチエジャポンにとっても、企業会員を増やすことが今後の課題になってくるが、それには時間が必要だ。
「私たちはまだそこまでのパワーはないため、それならボリュームで勝負しようということで『日本最大級のチャリティパーティー』を謳ったのが今年2月の会です。来年は1千人を目標にしています」と畑中氏は言う。
人道支援の新たな取り組みも開始
本拠地のモナコで行うパーティーと違い、日本ではまだ手探り状態が続く。
モナコの本部が開催するパーティーは知名度も高く、国家元首が顧問総裁という点で社会的な信頼性もある。一方、日本ではファンドレイジングパーティーに対しての社会的な認識から変えなければいけない。
そうした中、日本における新たな試みとして、日本の青少年を対象としたスカラシップ制度も設立した。15歳から20歳までの青少年をモナコやその隣国に招待し、一流ホテルの食事や築数百年の古民家での宿泊、自然の中での乗馬体験など、普段味わうことのできない体験をしてもらうというものだ。
「前回は大学生と高校生の3人を連れて行ったのですが、帰国してから彼らがアミチエの学生部門を立ち上げたいと申し出てくれたり、チャリティパーティーに学生の友人たちを連れてきてくれたり、想定外のことをしてくれたのが嬉しかったです。災害などに関する支援だけでなく、将来を担う人材に寄与していく方向も、同じく人道支援と言えると思います」
人道支援の形は、社会的立場や考え方などによって違うのが当然。社交によるチャリティーが、日本でも人道支援の新たな選択肢の1つとなるよう、畑中氏らは活動を続けている。
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