新型コロナウイルスの影響で経済活動だけでなく、社会全体がさまざまな制限を受けている。しかし新年度は始まり、新社会人をはじめ、気持ち新たに生活をスタートさせる人もいる。今回、厳しい時代の中で「いかに自らを成長させていくか」について、三井物産の飯島彰己会長に話を聞いた。 (聞き手=古賀寛明 Photo=佐々木 伸)【『経済界』2020年6月号より加筆の上転載】
飯島彰己・三井物産会長プロフィール
飯島彰己氏を育てた3人の上司の言葉
新卒社員が成長するために必要なこと
―― 新型コロナウイルスの影響で先の見通しが立たない状況の中、新しく社会人になった方がいらっしゃいます。彼らにメッセージを贈るとすればどんな言葉ですか。
飯島 「大変なチャンスの時期に社会人になりましたね」ということを伝えたいですね。私自身の経験から考えても、試練や課題に向き合った経験が自分を育ててくれたと感じます。好奇心をもって仕事を行い、経験を積んでいくと必ず課題や試練に直面します。大変ですが試練には必ず落としどころがありますから、それを見つけて乗り越える経験が成長につながります。
今回の新型コロナの影響は、リーマンショック以上の経済的インパクトがあるといわれています。リーマンショックは金融システムや新興国と先進国の問題でしたから、先進国が財政政策や金融政策を駆使することで脱出できました。
ところが新型コロナでヒト、モノ、カネがストップし、情報だけが飛び交っています。経済が動かず先行きが見えないのですから、どんな立ち位置を決めるかは自分自身で決断しなければなりません。厳しいですが、良い経験を積む機会だと思います。
―― ビジネス上でも先が見えない時代といわれます。何を意識して仕事に向かえばいいでしょうか。
飯島 VUCA(ブーカ)の時代といわれるように、先行きが不透明な上にすごいスピードで世の中は変化しています。この時代を生き抜くにはどれだけ多くの経験を積んでいくかが重要です。新たに社会人になる方には「会社というのは社員の皆さんに自己研鑽と自己実現の場を提供している。その場を生かすも生かさぬも皆さん次第だ」と話したいですね。
会社という成長の場があるのですから、意識すべきは2点です。
まずは自分のキャリアを意識すること。会社は単年度の事業計画、3年から5年の中期計画、そして10年、20年先の長期計画をつくります。同じように個人も自分のキャリアを単年、中期、そして長期と描き、会社という場を使って自己実現を果たしていってほしいです。
そして会社に、世の中に、世界に、自分はどんな価値を提供して貢献できるのかを意識することも必要です。世の中の役に立つ、会社の役に立つ、同時に自分にもそれが役立ってくるという志を持って臨むことが重要です。
―― もうひとつはなんでしょうか。
飯島 旺盛な好奇心と人への興味を持ち、できるだけたくさんの人に会うことです。ただし会ってもらうには相手にとって自分が特別で、刺激を与える存在でなければなりません。そのためには自己研鑽を続ける必要があることも認識してほしいと思います。
飯島彰己氏が上司にもらった3つの言葉
―― ご自身は若い頃、仕事をする上でどんな気づきをもらいましたか。
飯島 若い頃に上司からもらった言葉で3つ印象的なものがあります。
ひとつが入社5年目のお正月に大阪から東京への異動が決まり送別会を開いてもらった時のことです。明日東京に帰るので、はなむけの言葉でもいただけるのかと思っていたら、上司から「君はお客さんと良い関係を築いていると思っているだろうが、ただ迎合しているにすぎない。このままでは君は成長しないし、三井物産でやっていくのは難しいよ」と厳しい言葉をもらったんです。
その上司が言いたかったことは、相手の立ち場に立って考え抜いて時には厳しいことを言わなければならないということです。考え抜かずに迎合することは簡単です。ですがこれは真の対話とは言えません。相手に喜ばれる仕事になるかどうかの本質はこの立ち位置にあることを教えられ、最初の転換点となりました。
そして2つ目が東京で相場商品を扱っていた時のことです。当時、採算が良かったこともあり、好き勝手やっていました。課長代理にこそ報告をしていましたが、上司である室長には報告していなかった。出張中に後輩に引き継いでおいたところ室長から「こんな業務をあんな若い奴に任せた覚えはない」といわれ、「透明性のない奴だ」とこっぴどく叱られました。
一般的に報告、連絡、相談で「ホウレンソウ」といわれますが、これができていなかったんです。自分の仕事を、上司を含めた組織全員に理解してもらわないと、いくら利益を出しても評価されません。仕事の説明責任と透明性の大切さは、自分に部下ができた時にさらに思い知りましたね。
ロンドンに赴任した時には、挑戦する背中を後押しすることの重要さを学びました。ソ連が崩壊した頃で、それまで統制価格での売買しか認められていなかった商品を直接買い付けられるチャンスが生まれていました。そこでビジネスを進めたのですが、品物を買い付けてもいつのまにか転売されていたり、購入した物が港に着く前にすべて盗まれていたりするなど、トラブルばかりでした。
さすがにそんなリスクのあるビジネスは諦めようと思ったのですが、当時の上司から「挑戦するからトラブルが起こるのだ。挑戦しなければ何も生まれないよ」と後押ししてもらったのです。リスクを取ってでも挑戦する人は評価するし、後押しもしてあげる。そういうことを教わりました。
この3人の上司の言葉が私を育ててくれましたし、私が人を育てるベースにもなっています。
仕事を通じて自分を成長させるための心得とは
人との付き合いは切磋琢磨とギブ&テイク
―― 先ほどソ連崩壊直後のビジネスの話が出ましたが、そういった情報はどこから得ていたのですか。
飯島 一般的に情報は人から得ていました。社内でも同じ部署だけでなく違う部署の人間と、外でも取引先をはじめいろんな人と広く付き合いました。付き合いで大事なことは関係をずっと続けることです。
私が東京にいようが海外にいようが、相手が会社を辞めようが、お亡くなりになるまでのお付き合いです。そのお陰で、誰がやっても損する相場の地合があった時でも損をしなかった。
多くの人から、お前は運がいいと言われましたが、運ではなくお客さまをはじめとする社内外の方々が助けてくれたのです。だから損をしなかった。人に恵まれたのです。 ―― 人との付き合いで大事にしたことはどんなことですか。
飯島 相手の立場が変わろうが、自分が変わろうが関係を変えぬこと。そして互いに切磋琢磨できる関係を築けるかどうかです。もちろん自分自身が相手に対して刺激を与えられる存在でなくちゃいけません。ギブ&テイクの関係です。テイクばかりじゃ関係は続きませんからね。
試練を乗り越える経験が自分をつくる
―― 会長の会社人生を振り返ると試練の連続ですね。
飯島 仕事でトラブルを経験するたびに自分がつくられていったように思います。
ブラジルで船積みの立ち会いに行った時、サッカーのワールドカップでブラジルの試合と重なって、平日なのに誰も仕事に来ないということもありました。部長時代は5期連続で単体も連結も赤字で、当時の社長から「君が最後の部長だ」と、つまり来期赤字だったら部を廃止すると言われました。他にも、あるメーカーが会社更生法を申請したときには、60億円の債権があり真っ青になったこともあります。
しかし、ブラジルの時は滞船料がかからないよう交渉し祝日扱いにしましたし、部の存続危機の際には逆に結束が強まり黒字に転換しました。60億円の債権も取引先の協力で全額回収しています。ロシアでの盗難の件も、盗難保険の仕組みを作って自分でかけていましたのでカバーできました。幾つものトラブルに直面しましたがそれを一つ一つ解決していきながら勉強できた。この現場経験が次の試練に応用でき、役立てることができたのです。
社長になってからも試練は続きました。09年の就任当初はリーマンショックの後始末があり、翌年はメキシコ湾の原油流出事故です。
当社の子会社が10%の権益を持っており、半年原油の流出が止まらず、このまま流出がとまらなければ会社が潰れてしまうという危機感がありました。最終的にBPは8兆円を支払いましたが、当社は素早く和解する決断をしたので負担は1千億円で済みました。
11年には東日本大震災があり、12年にはチリの銅鉱山をめぐる係争と、毎年何か課題を抱えていたわけです。でも、さまざまな勉強をさせてもらったと思います。父から「一生勉強だ」と言われましたが、まさしくそのとおりですね。
―― 少々のことでは動じなくなったんじゃないですか。
飯島 いやぁ動じますよ(笑)。毎回、新しい問題ですからね。
ただ、数々の経験で学んだのは、どんな問題にも必ず落としどころがあるということです。最初にも言いましたが、ビジネスは課題と試練と背中合わせです。良いことが続くと必ず何かある。そういう意味で神様は私にいつも何か課題を与えてくれているような気がします。
メキシコ湾の原油流出の時でもどうしようかと思いましたが、当時の槍田うつだ松瑩しょうえい会長から「コンプライアンスに反したわけではないし、結果として海洋汚染になってしまったが、油田の開発自体は非難されるべきことではない」と言ってもらえたことは力になりました。社長時代も上司に恵まれたんですね。
飯島彰己氏が後進に伝えたいこと
日本人の質は「失敗」の 価値向上から
―― 今こうした経験を後輩たちに伝える場がないのでは。
飯島 「人の三井」といわれ、自由闊達、挑戦と創造といった価値観を大切にしてきました。しかし、ビジネスモデルは変わりました。
物流事業は依然としてものすごく大事ですが、投資がビジネスの中心になりました。それに伴いコミュニケーションもメールが中心になり、オフィスでは電話は減りました。かつて先輩たちが社内外の方と電話で話されるのを耳に入れて自然と学ぶような機会が減っているのです。
私たちの時代はぼけっと会社にきても、どんどん知識が入ってきた。今は、上からのアプローチがないと、若い人はなかなか勉強できない。
これは、かつてあった上司と部下が言いたい放題に言葉を交わす機会が失われ、いわゆる自由闊達の好循環が切れてしまっているのではという懸念も時として感じます。
―― それは三井物産だけでなく日本全体の課題かもしれませんね。
飯島 そうかもしれません。
80年代にジャパンアズナンバーワンと称された日本ですが、いまや米中をはじめとする海外企業に押されまくっています。そこを若い人がどう変えていくか。
スマホ世代といわれる20代の人たちにはイノベーションを起こす力が強いと思っています。彼らの挑戦にも期待しています。そのために最前線の仕事、挑戦の場を提供することが大事だろうと考えています 。
―― これもまた日本全体の問題ですが、女性の活躍が進んでいません。何か手を打っていますか。
飯島 三井物産としても意識している課題です。1992年に女性の新卒採用を始め、その中から女性部長が誕生するようになってきましたが、生え抜きの役員はまだいません。ダイバーシティー経営で会社の競争力を高めるためにも女性が活躍できる場を制度的にも充実させていく必要があります。
性別に限らず国籍や価値観も含めたダイバーシティーによって化学反応を起こした方が会社も強くなるはずで、この課題には力を入れて行きたいと思っています。
人の成長に必要な3つの要素
―― 人口減少、少子高齢化が進み人材難といわれていますが、人が成長するために必要なものは何でしょうか。
飯島 成長するために必要な要素と考えているのは、まずは「挑戦」と「現場力」、そして、その基礎となる「心」です。感謝、努力、謙虚さ。挑戦すればトラブルも起こりますが、対処するには、現場経験からしか得られない現場力が必要です。
また失敗もしますが、失敗は成長のためにも必要です。ただし、失敗した時にその原因は自分にあると受け止めなくては成長の機会を失います。周囲のアドバイスや意見に耳を傾け、失敗を経験知として昇華させ、人間力を高めていくという謙虚さと努力が大切です。
そして、そういった経験ができたことに感謝し、それを積み上げていくことで人間としての厚みが増すのだと思います。そのためには、自分が望んでいないトラブルから逃げないことです。周囲との人間関係だったり、社内外から理不尽な要求を受けることもありますが、そういう時にも果敢に挑戦して解決策を探してほしい。
外部環境を理由に逃げる人は、次の試練も乗り越えることはできません。全力で立ち向かえば、挑戦した人にしか見られない景色があります。これから社会に出る若い方には、ぜひそういう景色を見てもらいたいと思います。その努力を見ている人は必ずいます。