近年では国内のベンチャーキャピタル(以下、VC)が増加している背景もあり、日本でも起業しやすい環境となった。若手起業家に対しても「アイディア」や「人間性」といった要素のみで、お金が集まるケースも増えてきた。
ただ、VCの出資後、経営のアドバイスが貰えない、営業先の紹介や相談に乗って貰えないといった声もあがっている。
そんな中、米国の投資会社であるブラックロック・ジャパンでCIOを務めた経験のある河野眞一氏は新たにVCの立ち上げを行った。河野氏に投資家としての経緯、VCとしてのスタンスを聞いた。(取材・文=野下 龍)
河野眞一・エリュー社長プロフィール
ブラックロックの日本法人にて最高投資決定者(CIO)を務める。2016年4月に現在の株式会社LLiwを設立。2020年9月現在はVCを立ち上げる準備中。
河野眞一氏の投資家人生とブラックロックで学んだこと
出会いで始まった投資家人生
—— 河野さんが以前勤めていたブラックロック・ジャパンは知る人ぞ知る資産運用企業ですが、学生時代から、金融(資産運用)を志望されていたのでしょうか?
河野 元々は建築家志望でした。ですが英国の大学に在学していた時、親の体調が悪化し、帰国を早める必要がありました。英国で建築家登録に至るまでには、実務経験も含め、6年以上の期間が必要だったので、あと1年間程度で学士号が取得可能な数学に急遽専攻を変更しました。
その時に、山一証券出身で外資系証券に努めている方々と知り合い、金融に興味を持ったので、数学に加えて計量経済学も学ぶ事としました。
卒業後は第一證券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)の知り合いに話をして、途中入社(10月)でしたが、同年の4月入社の方々と同期扱いで就職させて頂きました。
当時、証券会社の営業はいわゆる「転がし」のビジネスモデルだと諸先輩の方々から話を聞いていて、自分には興味ないと思っていたので、正直に「営業は嫌です」と話をし、内勤として採用して頂きました。今では、営業も経験しておくべきだったと思っておりますが。
当初は、プログラミングで金融商品の開発をしておりました。今でいうAI・RPAの開発ですね。
—— AI・RPAということは特定の値動きや数値になった際、売買を行うシステムを作成していたのでしょうか。
河野 私が開発していたのは主に2つです。私が入社した時は、サイエンス(金融工学)が金融の政界に導入され始めた頃でした。
一つ目は、様々な派生商品(ノックイン・ノックアウトオプション、などなど)のプライシングモデルの構築です。
二つ目は、株式ポートフォリオのIRの最大化システムの開発です。 様々な市場情報や財務情報からポートフォリオのIRが最大化となる銘柄群を選択するシステムです。開発したシステムは、系列の運用会社などが使用していました。
ブラックロック入社のきっかけは買収
—— 新卒当初はプログラミングをしていたのですね。そこから、ブラックロック・ジャパンにはどのような形で入社されたのですか。
河野 第一證券を退職した後は、クレディ・リヨネ、JPモルガン、メルリンチ・インベストメント・マネージャーズと転職しまして、2006年にブラックロック・ジャパンがメリルリンチ・インベストメント・マネジャーズを買収すると同時に入社しました。
私は元々、理系出身なので、クレディ・リヨネ以降はリスク管理が主な業務でしたね
—— 入社のきっかけは買収だったのですね。
河野 メリルリンチの買収が発表される直前に当時の社長に呼び出され、ブラックロックにの傘下に入ると聞きました。ブラックロックという名前はその時に初めて聞きました(笑)。
当時のブラックロックは少数先鋭部隊で、ベンチャー気質が高い公明正大な方々が多く、メリルリンチ・インベストメント・マネジャーズの買収後も更なる成長を成し遂げるだろうな、という予感がありました。
ブラックロックの強みとは
河野 ブラックロックはアメリカ中心のボンドハウス(株ではなく、債券の取引)だったので、メリルリンチ・インベストメント・マネジャーズの買収で“グローバル”と“株”という強みをも持つことが狙いだったのです。
さらに2009年、バークレイズグループのBGI(バークレイズ・グローバル・インベスターズ)を買収したことが次の成長に繋がりました。BGIの買収前のブラックロックはアクティブ運用が主で、BGIの持っていたETF機能が欲しかった。この買収により、ブラックロックはグローバル・株・債券・ETFと略全ての機能を持つことになったのです。
あと、ブラックロックの一番の強みは、一気通貫のシステム「アラジン」です。俗に言うフロント(ファンドマネージャー)からバックオフィスまで、統一できる優秀なシステムを保有していました。
システムは基本的にコストが掛かるものですが、コストのままにするのではなくアラジンの仕組みを外部にも利用して収益を上げていたのも強かった。そうやって急成長して行きましたね。
日本のベンチャー投資の課題を解決する新たなVCとは
コンサル機能にVCを加える
—— その強い組織であるブラックロック・ジャパンを辞めてなぜVCを立ち上げようと思ったのでしょうか。
河野 中小企業に向けたコンサルティングに興味があったのですが、そのコンサルティング機能にVCを備えることで、より企業に価値を提供できると考えたからです。
コンサルティングだけではお客様の事業価値向上に限度があるため、資金の提供も行う事が出来るようにすべきとの考えから、ファンドの設定に踏み切りました。
一昔前までは、情報は人と会わなければ、現場に行かなければ得られなかったですよね。人と会話をする、情報を交換する、足で稼ぐ、そういう日頃の努力を通じて投資に結び付いた投資を行うために時間や労力を要したことが成長戦略に目を向け長期的なスタンスで投資に取り組むためには、時間や労力を要したのです。
ただ、90年代後半からのIT技術革命やコンピューターの普及が2000年以降の大きな社会変化をもたらし、投資における価値観や投資手法を大きく変化させる要因となりました。情報を誰でも瞬時に入手できるようになり、また、膨大な情報処理を短時間で行うことが出来るようになったことで、いち早く情報を入手して投資に反映させることが重要という価値観が形成されましたね。
その一方で、企業経営者と事業戦略に関する対話を重ねるといった従来のボトムアップ手法に対する価値が大きく下がっていったと思います。
今では、投資先の企業経営者や財務担当者と、年に1,2回程度、業績などについて協議するだけの運用者も多いのではないでしょうか。
大手にはできないハンズオンの経営支援
—— なるほど。
河野 大手運用会社は、限られた企業資源の効率的活用の観点から超小型企業に長期に渡るリスクマネーを投じるファンドの設立には消極的だと思います。
このような運用は、ハンズオンにかかるコストに対して、リスク一単位の運用報酬が少ないとの判断があるからです。
だから、大手ではできないハンズオンによる経営支援を行い、ともに成長を目指し、成功の喜びを分かち合えるような運用をしたい。私はお金を突っ込んでエラそうにしている投資家が一番嫌いです(笑)。
資金だけでなく、助言やハンズオンを最も求めているのは間違いなく中小企業やベンチャーと考え、今回のファンドを設立することにしました。
—— 私はスタートアップ出身なので、迷った時の意見やハンズオンの大切さがわかります。最後にどんな起業家と一緒に成長していきたいでしょうか。
河野 変化に前向きな人物ですね。僕の好きな言葉は“Change is the only constant”っていう言葉で、世の中絶えず変わっていっているので変わり続けられる人でないと成長はありません。皆、あぐら掻いて変化することを嫌がりますけど。