経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

名参謀・瀬島龍三の 「逆境に打ち勝つための哲学」とは

戦時中は大本営作戦参謀として活躍、戦後は伊藤忠商事の会長、中曽根康弘内閣の顧問も務めて「昭和の参謀」と呼ばれた瀬島龍三氏。戦後はシベリアに11年もの間抑留、強制労働に従事させられるなど、筆舌に尽くしがたい苦難を乗り越えて復活した人物である。人生において、これ以上ない逆境を経験してきた名経営者は、経営者としての難局にどう対峙していったのか。その哲学を紹介する。(『経済界』1982年11月23日号収録 聞き手:佐藤正忠・経済界主幹)*社名、肩書はすべて当時

瀬島龍三氏プロフィール

(せじま・りゅうぞう)1911年生まれ。日本の陸軍軍人、実業家。陸士44期次席・陸大51期首席。太平洋戦争のほとんどの期間を参謀本部部員(作戦課)として務めた。最終階級は中佐。戦後は伊藤忠商事会長、中曽根康弘元首相の顧問など多くの要職に就任し、政治経済界に大きな影響力を持ち、「昭和の参謀」と呼ばれた。2007年没。

瀬島龍三氏が説く「難局に直面した時の心構え

佐藤 いま、日本経済全体が不況に突入して、経営者は本当に苦しい時を迎えていますが、難局に直面した時の心構え、指揮官のあり方はどうあるべきだ、と思いますか。

瀬島 まず、大事な心構えが3つぐらいあると思います。1つは、以前のような景気が回復するだろうという腰の甘い経営をやめることです。2つ目は、あらゆる面で足元をきちっと固めておくこと。3つ目は、時代の変化を先見して、毎日の問題、例えば、商品や技術の開発を常にやっておくことだと思います。

佐藤 つまり、景気がいつか良くなるという“夢よもう一度”という考えを捨てろ、ということですね。

瀬島 そうです。日本経済は、世界経済とは別個のものではありえないからです。世界経済の流れをみると、よくわかります。第一次オイルショック前までは、日本経済も世界経済も10%以上の高度成長だった。

 ところが、第一次オイルショックがあって、日本を除く世界経済はすぐ2〜3%ぐらいの低成長に入ってしまった。一方、日本は“中二階”があったんです。まず、5〜6%という“中二階”に下がって、それから2年ほど前から2〜3%にダウンしていった。つまり、日本はワンクッション置いて、低成長時代に突入したわけです。

佐藤 なぜ、日本だけが“中二階”という二段階あったのですか。

瀬島 いろいろな見方がありますが、私は二点がその要点だったと思います。その一つは、輸出が非常に伸びたということです。

 とくに、自動車。オイルショック前までは百六十万台から二百万台前後と低迷していたが、オイルショック後、急速に伸び、今や六百万台に伸びています。もう一つは、国の財政、言い換えれば、借金によって景気を支えてきたということです。ところが世界全体が不景気になり、輸出が鈍化してきて、日本も不況になった。3年ほど前からからです。

 それから、国の財政が窮乏してきて、財政によって景気を支える力がなくなってきた。ということは、5〜6%の中成長を維持していく要因が二つとも、くずれてきたということです。そこで、日本経済も2年ほど前から2〜3%の低成長に入っていったわけです。

佐藤 これから再び上向くような要因はないんですか。

瀬島 再び上向くには、何がいるか、というと、アメリカの景気と産油国の動向がどうなるか、ということだと思います。世界全体のGNPの三割を占めるアメリカの景気が今年末から来年にかけて、上向くだろうという見通しは、まずないと思います。

 また、産油国はどうか、というと、油の需要が減って、お金持ちではなくなりつつあるわけです。この二つを除いて、他に何かあるだろうかと見渡しても、残念ながら上向く要因は見当たりません。

 ということは、日本もこれからずっと、低成長が続くと思います。ただし、ここに一つの問題があって、エレクトロニクスとかロボットとか、人間社会の変化に対応していく産業はこれからも伸びていくだろうと思います。

 つまり、以上のようなことから考えて、1〜2年我慢していれば良くなるだろうという甘い考えは捨てて、寒い冬の海にズボっと入るという情勢の認識をすることが必要ですね。

瀬島龍三・伊藤忠商事元会長
「夢よ、もう一度」という考えは捨てよと語る瀬島龍三氏(左)

極寒シベリアで体験したこと

佐藤 国民全体の期待を担って、行革と取り組んでおられる臨調会長の土光敏夫(※東芝元会長)さんの立派な姿をみていますと、このジイさんを支えているものは何か、と興味を覚えるんです。

 そこで、私なりに分析してみますと、土光敏夫という男を支えているのは、法華経への信仰だと思うんです。経営者が難局に直面したとき、こうした信仰をもつかもたないか、で決まるものではないか。そんな気がしてならないんです。

瀬島 私は、宗教というものは客観的に存在するのではなく、自分の心の中にあると思っています。難局に直面したとき、一番大事なことは、自分の心を統一させて、自分自身が迷わないことが大切です。

 それを宗教に求めるのか、他の方法を求めるのか、は個人の考え方や育ってきた環境によって異なると思います。しかし、所詮、人間というものは弱い動物だから、世界の歴史をみると、宗教に求めたといえますね。

佐藤 瀬島さんが極寒のシベリアで戦犯として獄中にあったとき、心の支えとなったのはものは何ですか。

瀬島 私は北陸(富山県)で生まれ、浄土真宗の中で育ってきた。3〜4歳の頃から仏壇の前にすわって、お念仏を唱えていたんです。お参りをしないで食前につくと、母に叱られたんですよ(笑)。

 だから、宗教を学問的に勉強したことは一度もないんです。幼少の頃から宗教的な環境の中で育ってきていますから、未だに自分が迷ったときとか苦しいときには南無阿弥陀仏を自然に唱えるんです。

佐藤 お念仏を唱えることが“血”になっているんですね、理屈ではなく。

瀬島 今日も築地で食事したあと、車に乗ろうとしたとき、すぐ目の前に本願寺があったので、つい手を合わせてお祈りしたんです。自然にそうなってしまうんですね。

佐藤 「正信偈(しょうしんげ)」も当然マスターしておられるわけですね。

瀬島 そりゃもう、学校で歌を習うように覚えたもんです。幼少の頃は意味はわかりませんでしたが。

佐藤 欧米のビジネスマンは、右手にバイブル。左手にソロバンをもっているものですが、日本人は両手にソロバンしかもっていない。右手に宗教をもって商売する時代がきたように思えます。

瀬島 これから、ますます日本は苦しくなると思います。そうしたとき、何か心の支えが必要になってくることは確かです。この間、何か書物で読んだんですが、「神なき教育は知恵のある悪魔をつくることにつながる」というという言葉があった。いい言葉だな、と思ってメモしておいたんです。わかるでしょ?

佐藤 よくわかります。神も仏も同じなんです。

瀬島 ある人から聞いた話ですが、上智大学のプロフェッサーは自分の月給の何割かを大学に寄附しているそうです。

佐藤 いい話ですね。モラールの原点は神や仏にあるんですよ。

瀬島 本当にそう思いますね。

長を補佐するスタッフの役割

佐藤 瀬島さんは現在、土光臨調の“参謀”として活躍されておられるわけですが、このような厳しい時代の参謀のあり方というのはどうお考えですか。

瀬島 参謀というよりも、スタッフはどうあるべきか、ということだと思います。スタッフというのは本来的には長を助けていく立場にあるものです。長を助けていくという立場を除いて存在しない。それがスタッフの原点です。それを誤ると、スタッフの立場を踏み外して、スタッフではなくなってしまう。

佐藤 軍隊でいえば、長のために働くというのが参謀の原点ですからね。

瀬島 そうしてみますと、非常に難しい環境の下で、スタッフはどうあるべきかといいますと、第一に、冷静でなければいけないということです。きわめてクールに情勢を判断し、先をよくみてあるべき策案を長に対して具申していく。長というのは、全体の存亡に対して重責を担っている。

 とくに、こういう厳しい情勢になれば、責任はますます重くなり、平静を失いやすいものです。それだけ責任の重圧感と孤独の中にある、といってもいい。従って、それを補佐していくべきスタッフは逆に、冷静に情勢を判断し、的確な策案を具申していかなければならない。

佐藤 長と一緒になって浮き沈みするようでは、スタッフ失格というわけですね。

瀬島 長がカッカすればするほど、クールさを要求されるのが、スタッフの役割ですね。

佐藤 スタッフに向いても長に向かないとか、長に向いてもスタッフに向かないとか、人それぞれ天性のものがあるようですね。

瀬島 三種類のタイプがあります。長に最適でもスタッフに向かない人と、スタッフに最適でも長に向かない人と、長にもスタッフにも向く人がいます。これはいい悪いということではなく、その人のもって生まれた素質というものがありますから、そうした個人差によって違ってくるものです。

佐藤 例えば、突然辞任した鈴木善幸総理の場合、総務会長としては名総務会長だったと思いますが、果たして総理としてどうだったかというと、はなはだ疑問が多い。逆に鈴木さんにとって総理になったことが悲劇だったのではないか、そんな気がしてならないんです。

瀬島 大平正芳前首相の急死によって、和を尊重する政治環境の下で、鈴木総理が誕生したわけですから、それなりに意義があったと思いますよ。

佐藤 それから、経営者の資質が良くて、スタッフの具申をよく聞くタイプなら、問題ないわけですが、経営者がワンマンで、余り人の言うことに耳を貸さない場合、そういうときのスタッフはどう対処したら、いいんですか。

瀬島 スタッフが長を補佐するのは何のためか、ということです。それは、組織全体のためなんです。国家あるいは会社全体のために長を補佐するのがスタッフです。個人のために補佐するのではないんです。

 そうしますと、トップが独断専行型であった場合、スタッフは組織のために、私を捨てて、勇気をもってアドバイスするというのが、スタッフとして正しい道であると思います。その結果がトップから嫌われて、首になっても本望だというスタッフにならなければいけないと思います。

進むは諮り退くは自ら決す

佐藤 経営者にとって出処進退、とくに“退”の方が非常に大切な決断になると思います。これまで経営者の出処進退をつぶさにみてまいりましたが、まことにあっぱれな引き際だったと思うのが日本興業銀行の中山素平相談役で、反対に出処進退を誤った代表的な例が三越前社長の岡田茂氏だったと思います。

 瀬島さんも昨年、会長として留まれたのにも拘らず、あっさりと後進に道を譲られたわけですが、どういう心境で引退を決意されたのですか。

瀬島 私自身はそんなに難しい心境にあったわけではなくて、念願だった東京本社ビルが青山にできたこと、それから、役員の平均年齢が非常に高くなってきたので、こういう難しい時期には若い人が前線に立ってやった方がいい、という理由から引退しようと決意したんです。

佐藤 あのとき、瀬島さんは「退くときは自分一人で決めるべきだ」という意味のことを言っていましたね。

瀬島 先人がいい言葉を残しているんです。「進むは諮り(はかり)、退くは自ら決す」と。進むときは他人に相談して決めて、退くときは自分一人で決断せよ、という意味です。中国の古典だと思いますが、それを忠実に守っただけなんです。

佐藤 こういう厳しい時代に突入しますと、いかに撤収するか、ということが企業の命運を左右すると思うんです。古来の名将といわれる人たちは、この撤収がみんなうまかったといいます。撤収作戦を成功させる秘訣というのは、何かあるんですか。

瀬島 撤収作戦の重要な要素は、二つあります。その一つは、タイミングを失わないこと。もう一つは、撤収こそトップが決断せよということです。

佐藤 タイミングを失わないということは?

瀬島 それは、敗けになってからではもう遅いということです。要するに、タイミングというのは、情勢を分析して、先見して、利あらずと判断したときに、撤収を決断しなければならない。

 とはいっても、現実なかなかそううまくいくものではない。私も経験がありますが、敗けと明らかに分かってからでないと決断できにくいものです。気がついたら雪ダルマ式に赤字が増えていた、ということがあるものなのです。それほどタイミングを失わないということは難しいものなのです。

佐藤 そうならないためには、どうすればいいんですか。

瀬島 そのためには、撤収こそトップが決断しなければならない、ということです。まだ敗けと決まったわけではない段階では、下のものが決断するというのは不可能なことです。トップの大切な要素は、先を読むということです。

 トップに先見性があるかないか、で、企業の命運は相当変わってくると思います。トップにとって一番難しい決断は、この撤収の決断だと思います。それをタイミングを失わず決断するには、先見性がないとできない。こういうことだと思います。

佐藤 先見性がないと、名将にはなれないというわけですね。経営者にとって、本当に厳しい時代に入りましたね。今は、初期の昭和恐慌と同じくらい悪いという経営者もおります。

瀬島 あの頃と今では時代背景も違うから、何とも比較しようがないが、初期の頃は日本国内だけの問題だったが、今は世界全体の中で日本がどうなるか、という情勢にあるだけに、より深刻な時代になりつつあるといえるかもしれません。

私淑する師を持つこと

佐藤 シベリアの獄中にいたとき、太った兵士から先に死んで、やせた兵士が逆に生き残ったということを、以前に瀬島さんはおっしゃられましたが、国も国民も、本当に筋肉質にならなければ、これからの時代は生き残っていけませんね。

瀬島 佐藤さんも以前に比べて、本当に筋肉質になりましたね。

佐藤 病気のお陰なんです。

瀬島 肥満体がいけないということは、結局大食いするからなんです。食物が少量ですからぐんぐんやせていき、体力がもたなくなって先に死んでいくというわけですね。私は小食ですから、少々食物が少なくなっても、影響度が少ないんです。そういういみで、肥満体の人が死ぬ確率が高かったと思います。

 人によって個人差はありますけど、腹八分という先人のいった言葉は重みがあると思います。食べすぎは禁物ですね。

佐藤 いまや国民的英雄の元ミスタージャイアンツの長嶋茂雄が、巨人軍監督時代に瀬島さんに教えを請いにいったそうですね。長嶋が聞きにきたことは?

瀬島 非常に厳しい局面に立たされたとき長はどうあるべきか、ということでしたね。

佐藤 そのとき、巨人は連敗中だったわけですか。

瀬島 そうです。

佐藤 しかし、一面識もなかった瀬島さんに教えを請いにきたというのは、長嶋も実に謙虚な青年ですね。

瀬島 スポーツマンらしい、素晴らしい青年だと思います。

佐藤 そのあと、巨人は連敗を脱出したそうですね。

瀬島 そうらしいですね。何連勝かしたという話でした(笑)

佐藤 彼もそれで吹っきれたのでしょうね。

瀬島 やはり人間は、難局に立たされたときは、神や仏に救いを求めるか、あるいは自分が心から尊敬する人に相談して、意見を聞くということが必要ではいでしょうか。

佐藤 お師匠さんをもつ、ということは人生の上で大切なことですね。

瀬島 それをしないと、人間はどうしてもおごりになって、神を恐れず、という誤った方向にいってしまうんじゃないでしょうか。

佐藤 そうした例では、経済界にも見受けられます。とくに岡田茂さんなんか、その典型的な例ではないですか。

瀬島 私も含めて、人間というものは不完全ですからね。だからこそ、人間ともいえるわけで、常に謙虚に処するということが大切ですね。

佐藤 人間の肉体は亡びても、魂は永遠である、ということが、病気をして、初めてわかるようになりました。

瀬島 昭和16年12月8日に大東亜戦争が始まりました。その前日7日、私は当時、三宅坂にあった参謀本部にいたんですが、やはり祈りたい気持ちになるんです。矢はツルを放たれてしまった。

 そして、すべての手はつくした。そうなると、あとは祈るしか手はないわけです。で、7日の夕暮れ時、何人かの仲間と一緒に明治神宮にお参りに行ったんです。我々が手を合わせてお祈りしてフッと気づくと、石段のところにすわっておられる人がいる。海軍の方でした。人事を尽くして天命を待つ、ということです。

佐藤 松下幸之助さん(松下電器産業相談役)も同じことを言っておられました。四十余年の不況で、販売関係者を集めて熱海会談をやったとき、「すべてやるべきことはやった。あとはお祈りするだけでした」と語ったことがあります。経営も結局同じなんですね。

瀬島 それが人間なんですよ。ただ一心に法華経やお念仏唱えるのも、虚心に帰れ、ということなんです。

佐藤 帰依するということが大切です。念仏も法華経ももとは同じですから。

瀬島 どうも宗教論になってしまったようですね(笑)。