経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

SNSと中道

松本紹圭「ひじりみち」(『経済界』2021年1月号より加筆・転載)

SNSに広告出稿する目的とは

 ネットフリックスで配信されているドキュメンタリー作品「The Social Dilemma(邦題『監視資本主義:デジタル社会がもたらす光と影』)」を観ました。

 SNSを中心とする現代のインターネット技術が、「監視資本主義」ともいうべき昨今の状態をいかに作り出しているかを描き出したネットフリックス渾身のドキュメンタリー。出演する専門家らが、自ら開発したテクノロジーに警鐘を鳴らすとともに、SNSが人間にどれほど危険な影響を及ぼすかについて、ドラマを交えて検証しています。

 現在、グーグルやフェイスブックやツイッターといった巨大なテック企業(GAFA)によるサービスが「無料」で提供される背景には、素朴にいえば、広告収入に依る構造がありますが、事態はもっと複雑です。

 広告出稿者が広告を打つ理由は、自社商品の認知度を高め購買を促すことに他なりませんが、目的がかなうのであれば、その手段は従来の分かりやすい「広告」でなくとも良いわけです。

 さらにいえば、広告出稿者には多様な形態と人格があり、目に見えない商品、例えば選挙ビジネスにつながる「世論」を動かすことが商品となる場合もあります。つまるところ、クライアントの望むように人々を誘導することがビジネスの目的です。

無料サービスを受け入れることの意味

 「顧客を・ユーザー・と呼ぶのは、麻薬ビジネスかSNSビジネスだけだ」と番組が示唆するように、実はGAFAの顧客はユーザーではなく、お金を支払う広告出稿者である企業が顧客に当たります。

 GAFAにとってユーザーとは、商品そのもの。ユーザーという商品を知り尽くし、意のままに操ることで利益を生む構造があります。もはや従来の広告ビジネスが素朴に感じられるところにまで、GAFAの在り方は来てしまっているのです。

 ちなみに、ネットフリックスがこのようなドキュメンタリーを制作できるのは、彼らがユーザー課金型のサブスクリプション・ビジネスモデルになっているから。もちろん、ユーザー課金型を取るサービスであっても、ユーザーを商品化しないとは限りません。

 今のところネットフリックスはその点において慎重な姿勢を取っていますが、今後も保たれるかどうかは、ユーザーがそこに意識的であれるかによるでしょう。番組内でSNS開発者が語るように、「無料のサービスを使うということは、自らが商品になることを受け入れることを意味する」のです。

膨大なデータをもとに人を操作しにかかるGAFA

 こうしてGAFAは膨大なデータを元に、あらゆる手を使って人を操作しにかかってきます。

 これは妄想や陰謀論ではなく、AIにあらゆるデータを仕込んでディープラーニングを続けさせた帰結として、論理的に明らかです。開発者自身も全貌を把握できない巧妙さで、GAFAはスマホという窓を通じて人間を操作し、分かりやすい目的のために動かします。

 例えば、グーグルは閲覧者の属性を判別しながら、それに応じた検索結果を表示します。同じキーワードであっても、現われる結果はみな異なるのです。本来、世界の見え方は人によって異なるものですが、現状では「違った世界を意図的に見せられる」段階に来ていると言えます。

 こうしてAIは、「ユーザー」の人生全体の豊かさを配慮することなく、ひたすらに瞬間のアテンションを奪いにいきます。いかに依存度を高めてユーザーを操るかこそAIの関心事であり、それは、人間を極端な方向へ導くことにもなり得ます。

 ユーザーの判断力が失われる状況は彼らにとってむしろ好ましく、これに任せていれば、あらゆる軸において二極化が進み、人間は同質性の高いクラスターに閉じこもり、そこから見えるものが「世界」だと思い込んでいくでしょう。

 私自身、GAFAのサービスなしでは生活できない日常があり、完全にアテンション・エコノミーの檻の中にあるのが現実ですが、そこにあってもなお、やれることはあるはずです。

 私は手始めに、スマホに入っていたSNSアプリを軒並み削除し、各種通知に反応する依存回路を止めるところから始めてみました。ツイッターのいわゆる・バズり・がもたらすのは、パチスロが刺激する射倖心と変わりありません。無自覚でいると容易にハマってしまいそうな弱さが自分の中にあることを、自覚していたいと思います。

イラスト=田村記久恵

SNSがもたらす二極化の罠

 本来、知性を重んじるはずのリベラル寄りの人々が、彼らが嫌悪するネトウヨ的な粗暴な言動に自ら陥りがちな最近の状況もまた、SNSがもたらす二極化の罠によるものではないでしょうか。

 知性を基に世の中を大局的に眺めているはずの論客たちが、知らぬ間に「おともだち」に囲まれた井の中の蛙となってしまう現象です。著名でカリスマティックな人物が、集まる信者や似た傾向を持つ人たちが構成する周縁世界を、世界そのものと見誤ってしまう危険性。SNSの背後にあるシステムに無自覚であれば、容易に陥ってしまいかねません。

 そして、見る世界のみならず、私たちの感情もまたコントロールされていることを自覚したいところです。

 各種SNSの投稿やメッセージには、感情を表すアイコンで簡単に反応できる機能があり、私自身も使用しています。しかし気付けば、いつの間にか自分の感情がこの10個もないほどのアイコンの中に矮小化されていくような感覚があるのです。

 SNSの巧妙さはここにあって、昨日までの私と今日の私を180度変えてしまうようなサービスであれば、大きな社会問題になるでしょう。ところが、毎日1ミリずつ変わっていくとしたらどうでしょう。「人間の行動を1%変化させることで、莫大な利益を生む」GAFA。過激派カルトより、マイルドカルトのほうが、実は恐いのです。

SNS時代に必要な「中道」

 仏教では、極端に寄らず依存から距離をとって生きる姿勢を「中道」と呼びます。「中道」を行くことがますます難しくなっている現代だからこそ、自分がどのような世界を生きて、その世界のシステムがどのように動いているのか、知り続ける必要があります。

 しかし、アルゴリズムが自己進化する世界では、早晩、それが知りようのないところへ入っていくでしょう。その前に、私たちはどんな準備をすべきでしょうか。野性と知性と感性は、砦となるか。